廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 018 --
翌朝は朝日が昇ると同時に、宿を出た。
馬屋から虎吉を出してもらい、主人に礼を言って村を後にする。
昨日は早めに馬屋に預けたお蔭かよく休めたようで、虎吉はご機嫌に山道を駆けた。
馬を走らせると言うのは乗り手としても楽な作業ではない。
けれど、紅は走っている方が辛いに決まっている、と弱音も不平も零さず、虎吉が疲れて速度を緩めるまで彼に付き合った。
それが功を奏したのか、はたまた、彼が稀に見る駿馬なのか。
どちらが理由と断言する事は出来ないが、とにもかくにも、二人が甲斐の国に入ったのは翌日の朝日が昇る頃。
やや息を切らせてはいるものの、あまり疲れた様子の見えない虎吉に紅は苦笑した。
何だか、若さだけでは彼の驚くべき底なしの体力を説明するには不十分のような気がする。
「あの村で休憩したら、信濃の上田城を目指そうね」
焦る必要がないとわかっているのか、彼は薬草を摘む紅に合わせてのんびりと足を進めている。
これだけあれば十分な金をもらえると判断すると、彼女はそれを鞍につけた袋の中に丁寧に入れた。
もう目ぼしい物はないかな、とクルリと周囲を見回したところで、紅は虎吉の足元に何かを見つける。
間違っても蹴られないだろうが、一応その事態を避けるために前からそこに回り込み、それを拾い上げた。
「…財布?」
形、中身から確認して、それが財布である事はわかった。
しかし、残念な事に名前は無い。
この時代には持ち物に名前を書く習慣はなかったか…と、自身の小学生時代を思い出した。
あの頃は鉛筆一つにも名前を書かされたものだ。
「どうしよう…」
拾ったのはいいけれど、これからどうするかに困る。
中身の量からして、結構な物持ちだ。
ひょっとしたら武士が落としたものかもしれない…と思い、それを片手に悩む。
このまま自分のものに、などと言う考えは浮かばないが、交番と言う便利なものはない。
とりあえず、とそれを懐に収め、虎吉に跨る。
「落としてからそう時間は経ってないみたいだし…急ごうか、虎吉」
夜露に濡れた草の上に落ちていたにも拘らず、それはあまり湿っていない。
それは落とされてまだそう長い時間が経っていないことを示していた。
村にでも預けておけば、持ち主が探すかもしれない。
淡い期待を抱いて、紅は虎吉の腹を蹴った。
村が賑わいだすには少し早い時間。
けれど、すでに店を開けていた主人に虎吉を預け、紅は馬屋を後にした。
徐々に準備を整えているらしい店の前を通り、それらの位置関係を把握する。
全てを知るには開いていない店もあるが、これで迷う事はないだろう。
「さて…誰に渡しておこうかなぁ」
懐からそれを取り出し、呟く。
この時代に、交番のようなものがあるのだろうか。
歴史の大好きな悠希ならば知っているだろうけれど、生憎自分はそっちの方面はマイナスと言ってもいい。
「おや、お嬢さん。朝早くから散策かい?」
「散策って言うか…さっき着いたばっかりなの」
「何だい、その年で女の一人旅かい?少し休んでいきなよ」
そう言われて、初めて彼女の持つ『茶屋』と書かれたそれに気づいた。
客引きか…と思いつつも、少し腰を落ち着けたかったので素直に頷いておく。
「じゃあ、お茶と…奥さんのオススメの物を」
「あいよ。ちょいと待ってな。出来立ての団子を出してあげるよ」
年配の女性が店の中へと姿を消す。
そうして、紅は通りの店が開店準備を整わせていくのを、ただぼんやりと眺めた。
「さぁ、たんと食べな!」
どん、と前に出されたそれに、紅にしては間の抜けた表情を見せる。
ぽかんとその口を開かなかっただけでもマシだと思ってもらいたいところだ。
「奥さん………いくらなんでも、多い」
「何言ってんだい!食べられる時に食べないと胸が大きくならないよ!まけてあげるからしっかり食べな!」
「(一体いくつに見られてるの!?)これ以上大きくなられても動くのに邪魔って言うか…」
紅の年齢は、この時代で言うならば、すでに成人して大人と見られる歳のはずだ。
確かに茶屋の彼女からすればまだまだ子供だろうけれど、少なくとも、胸の心配をされるような歳ではない。
「団子を貰いたいのだが…」
「はいはい、いらっしゃい」
何とか量を減らしてもらおうと、もう一声かけようとするが、運悪くも別の客の来店だ。
さっさとそちらに歩いていってしまう彼女に、紅は目の前に山のように置かれたそれを前に肩を落とす。
どう見ても、一人で食べられる量じゃない。
と言うか、そもそも団子はこんなに大量に食べるものではない。
自分はその対処に困っていると言うのに、その団子を注文している男を、お門違いとは知りつつも恨めしく思う。
せめて連れでも居ればなぁ…と思ったところで、紅の思考は奇声に邪魔される。
「うぉおおお!?」
心底何かに驚いている、或いは、思いっきり焦っている。
もしくはその両方、と言った感じの声に、紅は「何事だ」とそちらを向く。
「お兄さん、声が大きいねぇ」
「そ、某の財布が行方不明に…!?」
「おや、文無しかい」
今しがた差し出そうとしていたそれをサッと自身の手元へと引き寄せられ、彼はいよいよ焦る。
パタパタと自身の身体のいたる所を探してみるも、目当てのものは見つからなかった。
「残念だねぇ、あんた。財布を見つけてから出直しなよ」
ポンとおばさんに肩を叩かれ、彼はがっくりとそれを落とす。
何だか、彼の背負う重く暗い空気が目に見えそうだ。
それに苦笑しながら女性が去った所で、紅はふと思いつく。
「あの!」
「ん?」
思い立ったが吉日。
紅はその客に声を掛ける。
振り向いた彼の首元で、紐に通された六文銭がチャリンと揺れた。
「良かったら、一緒に召し上がりませんか?」
困ってるんです、と眉尻を下げて問いかける。
彼は、紅の前にある団子の山にパッとその表情を輝かせた。
しかし、次の瞬間にはハッと我に返り、「いやいや!」と首を振る。
「見ず知らずの女子の施しを受けるなど武士の恥!」
「でも…こんなに食べられませんから」
「いや、しかし…!」
「では、か弱い女性の助けだと思って…ご一緒していただけません?」
どこがか弱いんだ、と自分で笑いたくなったが、その言葉は思った以上の効果を上げたようだ。
只管自分自身と葛藤していた彼は、それならば…と彼女の隣に団子を挟んで落ち着いた。
「奥さん、お茶をもう一ついただけますか?」
「あらあら、優しいねぇ、お嬢さん」
事の成り行きを見ていたおばさんがクスクスと笑いながら茶を運んでくる。
それを受け取り、紅は彼に向けて差し出した。
「どうぞ」
「何から何まで…かたじけない…」
「困った時はお互い様です」
そう言って微笑みながら、手を伸ばさずにいたその山の天辺から一つ団子を拾い上げる。
恐らく、彼は自分が手を出すまで、まるでお預けを食らった犬のようにじっと我慢するだろう。
それを手に取ったまま、どうぞ、と促せば、彼は頭を下げてそれに手を伸ばす。
「しかし…食べられない量の団子を頼んだのでござるか?」
「オススメを頼んだ覚えはありますけれど、こんな大量には」
まけてくれる、と言っていたけれど、果たしてどの程度安くしてくれるつもりなのだろうか。
ふとそんな事が脳裏を過ぎるが、どの道これ全部を支払えと言われても金銭面で問題はない。
少し懐が寂しいな、と思う程度なので、今はこの事は考えないでおこう。
「あ、申し遅れました。私、雪耶紅と申します。ここで会ったのも何かの縁。どうぞよしなに」
そう言って彼女は微笑む。
一度言ってみたかった台詞が使えた事が満足ならしい。
そう挨拶され、彼は今しがた口に含んだ団子を慌てて飲み込んで、そして詰まらせかける。
茶でそれを流し込み、目尻に薄く涙を溜めた状態で彼女を見た。
紅はと言えば、彼の一連の行動をしっかりと見ており、笑いを堪えるのに必死だ。
そんな彼女の心中など露知らず、彼は深く頭を下げる。
「そ、某は真田幸村と申す。此度は誠に申し訳ない」
ゴトン、と湯飲みを落とした。
幸いお代わりを貰おうとしていた所だったので、中身をぶちまけてしまう事はなかった。
「真田…幸村…?」
「いかにも」
「噂はかねがね。まさか、かの名高き方とお目見えできるとは思っておりませんでした」
そう言えば、彼は照れたように頬を掻き、団子を食べる。
そんな彼の様子を見ながら、彼女は「ふぅん」と心中で思った。
「(…なるほど…。ストライクゾーンのど真ん中、ってわけか…)」
先ほどの狼狽様や、団子を見たときの反応。
それらが、紅の「愛でる」対象である範囲に的中している。
さすが親友、よく分かっているなぁ…。
せっせと団子の量を減らしてくれている彼を見ながら、紅はクスリと微笑んだ。
一つ目の目的―――思わぬ偶然により、達成。
07..