廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 016 --

「城を出たら、真っ直ぐ南下してください。そして、二つほど村を越えたところで―――」

くるくると飾り紐を巻きつけて髪を結い上げる紅の傍らで、そう説明する兵士。
情報を求めて全国を巡ることを生業とする足軽らしく、先ほどから地図を片手に何度も道順を説明してくれている。

「紅様。聞いておられますか?」
「聞いていますよ。真っ直ぐに南下して二つ村を越えて峠を三つ。その先が甲斐でしょう?」

耳にたこができます、と言う言葉は心の中に飲み込む。
その後も彼の説明を完璧に復唱し、彼女はカチンと籠手を嵌める。
腕を締め付けていないことを確認して、バサッと外套を羽織り、襟元に入り込んでしまった自身の髪を背中へと払う。
この外套は、城をあげて旅支度をしてくれている間に紅自らフードを縫い付けたものだ。
寒さも日差しも、場合によっては己の顔を見られることも、防いでくれるだろう。

「そう心配しなくても、進めばそこが道になりますよ」
「紅様!今は戦前でどの国も安全ではないとあれほど…!」
「あー…分かってます分かってます。火に油を注ぐような事はしないから」

半ば投げやりにそう答え、彼には下がってもらう。
ぶつぶつと文句を言っているのが聞こえたけれど、自分を責めるものではなく案じるそれだったので黙っておこう。
渡された地図を折りたたみ、着物のあわせから懐へと忍ばせる。

「紅姫」
「…!悠希、呼び方」
「そうでしたね。失礼いたしました。では…紅様。殿がお呼びです」

突然背中から声を掛けられ、紅は肩を震わせる。
様付けもいらない、とは思うのだが、これは断固拒否されたので仕方がない。
すぐには直せませんけれど、そう言いつつも、悠希は努力してくれている。
三度に一度の割合になってきただけでもよしだろう。

「そう言えば、悠希…今来たの?」
「ええ。今、紅様をお呼びする為に参りましたが…何か?」
「………何でもないわ」

首を傾げる彼女に、紅は緩くそれを振ってそう多くない荷物を提げる。
悠希の傍らを通り抜ける時に、ふわりと何かの香りが鼻孔を擽った。

「金木犀…?」

思わず呟いた彼女に、悠希があぁ、と頷く。
そして彼女は着物のあわせから手を差し込み、緋色のそれを抜き取ってきた。

「匂い袋?」
「はい。先日、いただきまして」
「ふぅん…。いい香りね」

そう言って微笑みを残し、紅はその部屋を去った。
彼女に続く事無くその場に止まった悠希は、思案顔で少しばかり熱い息を吐き出す。

「…相変わらず勘のイイお人で」

匂い袋を胸元に戻しつつ、彼女はそう呟いた。
一方、部屋を去った紅もまた、似たような表情で廊下を進む。

「…小十郎さんも私を呼びに?」

いくつ目かの部屋の脇を通る際に、紅はピタリと足を止めてそう言った。
彼女の声に答えるように、スラリと開かれた襖の向こうから小十郎が姿を見せる。

「相変わらず素晴らしい察知能力です」
「いえ、それほどでは…」

気配を読むことに関して、衰えはない。
となると―――。
考えるように口を噤んだ彼女に、小十郎は首を傾げた。

「何か?」
「…いいえ」

一瞬だけ、聞いてしまおうかと言う考えが脳裏を過ぎる。
しかし、結局首を横に振って何でもないのだと答えた。

「殿…政宗様はどちらに?」
「すでに城門でお待ちです」
「では、もう行きますね」

そう言って歩き出せば、小十郎も彼女の隣に並んで歩を進める。
そんな彼を横目に見て、紅はクスリと笑った。

「殿自ら見送っていただくなんて…何だか、この身が地位の高いものであるような錯覚を起こしますね」

尤も、口ではそう言っても、彼女の中には「恐縮だ」と言う思いばかりが溢れている。
誇示とは程遠いそれを抱いている事は明白で、だからこそ小十郎もその言葉を笑いごとに出来るのだ。

「紅殿の実力があれば、伊達軍でも上位に躍り出る事は間違いありません。いずれは、それが事実になる」
「…そう出来るように、努力してきます」

彼らの信頼を裏切る事にならぬように。
その想いをこめた彼女の言葉に、小十郎はただ一度、しかし強く頷いた。
















「来たな」

軽装に身を包んだ政宗は、小十郎と共に歩いてきた紅を見て口角を持ち上げる。
彼の傍らには質素に馬装された虎吉と、虎吉を選ぶ時に頑張ってくれた兵士がその手綱を持って佇んでいる。
その両脇に花道を作るかのようにずらりと並んだ伊達軍兵士に、紅は思わず目を瞬かせた。
それから、その口元に苦笑を浮かべる。

「何もここまでしていただかなくても構いませんのに…」
「紅殿。彼らは政宗様がお声を掛けて集めたわけではありません」
「え?」
「伊達の戦姫を一目見ようと集まった奴らだ」

紅の疑問の声に答えたのは政宗だった。
彼のそれに、彼女は「戦姫?」と更に疑問を重ねる。

「何です、それは?」
「さぁな。小十郎を負かし、放浪馬を飼いならした噂が広がったんだろ」
「…いつの間に…」

半ば呆れるように、けれども少しの笑みを浮かべてそう呟く。
そして、紅は馴染みである兵士の手から手綱を受け取った。

「どうかお怪我をなさいませんように」
「ありがとう」

虎吉の手綱を取り、その視界に入るようにと前に立つ。
長い顔を摺り寄せてくる彼の頬を撫でて、手に持ったままだった荷物を鞍に結わえた。

「あぁ、忘れる所でした」

いざ乗ろう、と言うところで、彼女は思い出したようにそう言って、荷物の中に手を突っ込む。
そして麻布で包まれた何かを取り出すと、政宗に差し出した。

「もし、どなたか血の止まらぬ怪我をなさっているようでしたら…使うように伝えていただけませんか?」
「………あぁ、伝えとくぜ」

紅の言わんとする事を、彼は正しく理解してくれたらしい。
その表情からそれを察し、彼女は「宜しくお願いします」とそれを彼の手の上に載せる。
それが完全に自身の手を離れた所で腕を引こうとするも、逆に彼に手首を取られて引き寄せられた。
首元に手を回されたかと思えば、カチン、と金属音が耳に届く。

「これは…?」
「裏に伊達の家紋が刻んである。もし、どうしようもなくなったらそれを使え」

その言葉の意味を悟り、紅は首に嵌められたそれに手を伸ばした。
何で出来ているのかはわからないが、金属で出来ているとは思えないほどに軽いそれ。
細い銀色の輪が基本となり、鎖骨の真ん中に垂れるそれに青い石がはめ込まれている。
ぴったりではないにせよ、かなりの密着度で嵌められているそれは、青い石以外は彼女からは見えない。
石と輪を繋ぐのは小さいけれどもしっかりした鎖で、それをひっくり返した所に彼の言うように紋が刻まれていた。
辛うじて見える程度の長さのそれ。
初めて見る筈のその紋に、どこか覚えがあるように感じて心中で首を傾げる。

「ありがとうございます。必ずお返しします」
「いらねぇ。それはお前にやったもんだ。だが…返すつもりで帰って来い」

前にも聞いたその言葉に、紅は「はい」と強く頷く。

「国を見て、民衆を見て…その上で、お前が戦を望まないなら、それはそれで構わねぇ。
だが、望むにしろ望まねぇにしろ…必ず戻れ」

無理強いをさせるつもりはないが、そのまま彼女を手放すつもりもない。
その意思の込められた言葉に、紅は寸分の迷いもなく、再び首を縦に揺らす。
そうして、軽やかな足取りで虎吉の背に跨った。

「雪耶紅、行って参ります!!」

いきり立つ虎吉を宥め、紅は高らかにそう告げる。
その澄んだ声がその場に集まる全員の耳を通り、風に溶け込んだ。
腹を蹴れば、待っていたと言わんばかりに駆け出す。
列に並んだ兵士の間を風のように駆け、やがて黒髪を靡かせる背中は見えなくなった。

07.02.25