廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 009 --
「よぉ。遅かったな」
「殿に勝るとも劣らないじゃじゃ馬に、悠希殿が手を焼いているようで」
「こ、小十郎さん!それは言わない約束ですっ」
袴姿で縁側に腰を下ろす政宗の元まで歩く。
ここまでの道中で、紅はさり気無くではあったが彼には黙ってくれるよう頼んだ。
その時は「言いませんよ」と笑ってくれたのに、事実はあまりにも簡単に彼に伝えられてしまった。
この時代の女性の振る舞いとしては、とても褒められたものではないと言う事を分かっているからこそ、焦る。
それを咎めるような彼だとは思わないが…こればかりは自分の沽券に関わるではないか。
「へぇ…悠希を、なぁ。紅、あいつは小言が煩いだろ?」
「そうですね――――――って、いえ。そんな事は…!」
半ば条件反射的に本音がぽろりと顔を出してしまい、数秒後に自分の言葉に気付く。
何を口走ってくれるんだ、この口は。
目の前で自身の返事に腹を抱えて笑っているらしい彼を見て、そう思った。
まるで数年来の付き合いのような、この親しみ易さは何だ。
こうして言葉を交わすことが今までの日常であったかのような、そんな感覚すら覚える。
隠す事無く笑う彼と、声を押し殺して肩を震わせる彼を見ながら、僅かな疑問が首を擡げる。
恐らくは、それが彼らの人となりなのだろう。
「悠希は小言が煩いが…信頼できる奴だ。困った事があれば何でも頼れよ」
きっと、力になってくれる。
言っている事はとても良い事なのだけれど、残念ながら表情と肩に先ほどまでの笑いの名残が残っている。
それでも、十分に目を奪われる程度に格好良いという事は否めないけれど。
「よし。んじゃ、始めるとするか。木刀か、真剣か?」
「無論、真剣でお願いします。命の遣り取りの場に立つものとして、生半可な事ではいけませんから」
「よく言った。小十郎、準備しろよ」
そう言ってひらりと手を振って、庭の方へと向かわせる。
昨晩よりも動き易い服装の小十郎が、自身の刀を腰に下げながらそちらへと歩いた。
紅もそれに続く。
二人が向かい合った所で、政宗は懐から取り出した砂時計を手に持つ。
ひょいとそれを見えるように投げた後、危なげなく自身の手中へと受け止めた。
「制限時間は砂が落ちるまで。小十郎に一撃与えりゃ紅の勝ち、守りきれば小十郎の勝ちだ。You
see?」
「承知いたしました」
小十郎がそう答えれば、次は紅へと視線が向けられる。
彼女は二人の視線に怖気づく事もなく頷いた。
「I see…と言いたい所ですけれど…。小十郎さんは、守りに徹すると言う事ですか?」
「そう言う事だ。小十郎と本気でし合えば、結果は分かりきってるからな。それ以上にハンデが必要か?」
「いいえ。…その考えは、し合った後は捨て置くことになると思います」
そう言って、紅は強気に微笑んだ。
それに気分を害したと言うよりは、寧ろ挑発されたように笑みを深めると、政宗は砂時計を持った。
「Let's party!!」
トンと砂時計が置かれ、砂が上の階層から滑り落ち始める。
同時に、二人を包む空気が切れそうな鋭さを纏った。
その僅か3秒後、政宗は…いや、政宗だけでなく小十郎も、予想外の光景に目を見開く事となる。
一粒目の砂が滑り落ちる。
それと同時に、鞘に収めたままの刀の柄に手をかけ、低く構えた紅は強く地面を蹴った。
鍔迫り合いになればこちらが不利とよく理解しているのだろう。
初めの一撃をあえて刀で受けられる強さにして、自身への反動も最小限に抑える。
そうして、進行方向への勢いをそのままに、名残を惜しむでもなく刀を滑らせて小十郎の脇を抜けた。
言葉で説明するのは簡単だが、実際にこの動作が完了するまでに要した時間は刹那と言っても過言ではない。
政宗の動体視力をもってしても、漸く見えた程度だ。
小十郎にいたっては初めの一撃以後は死角へと入り込まれ、結果として紅を見失った形となる。
そして、パサリと着衣の切れ端が地面へと落ちた。
「…私の勝ちです」
一撃を与えたわけではない。
実際に刀を交えたのは最初の一瞬だけで、今は彼の背後に自身の背を向けて立っている。
だが、彼女の刀は後ろから小十郎の首筋へと添えられていた。
首の皮一枚にピタリと身を寄せるそれが峰であるとわかっていても、冷たい汗が背中を伝う。
この場が命の取り合う戦場で、彼女にその気があったなら―――自分の首は、確実に胴体に別れを告げていた。
自分に攻める意思がなかった事を除外しても、補って余りある動きだ。
「恩人に一撃を食らわせる事ができるほど、私はまだ戦に慣れていません」
スッと刀を引き、紅は彼の背中から前へと歩く。
そして、抜き身の真剣を持ったまま、小十郎と向き合った。
「しかし…これで納得していただけないならば…何度でも」
穏やかに微笑んでいた事自体が偶像であったかのように、彼女は小十郎を射抜く。
冷たいと言うよりは鋭いと言った方が正しい。
すでに自分の負けを見た今では、どう返事を返せばよいものかと戸惑う。
勝ちか負けかで判断すれば、彼女の勝ちに間違いはない。
たとえ青臭い言い分で、一筋を傷つけることすらなかったとしても、だ。
自分が彼女と同じように攻めに転じれば、状況は変わるだろう。
しかし、今度もまた守りに徹するというならば、恐らく先ほどと結果は変わらない。
彼の脳内では、彼女の攻めを阻む事が出来るであろう動きが浮かばなかった。
どうしたものか…と思い、小十郎は指示を仰ぐように政宗を見る。
そうして彼を視界に捉えたところで、思わず動きを止めた。
沈黙していた彼の目に、否応無しに捕食者のそれを重ね合わせてしまう。
そのまま無言を保ち、彼はスッと脇に置いてあった刀を引き寄せた。
瞬きの間に彼は視界から消え、耳にギィンと鍔迫り合いの音が届く。
慌ててそちらを向けば、軽く眉を寄せつつ政宗の刀を自身のそれで受け止める紅の姿があった。
「よく止めた!次も止めろよ!!」
楽しげ。
そう形容する以外に、その声の抑揚を伝える術はない。
挑戦的に持ち上がる口元、獲物を見つけたような眼。
その全てが彼の興奮を伝えていて、小十郎は久方ぶりに見る彼の様子に出遅れる。
そうしている間に政宗による二度目の攻撃は加えられた。
力に押し負けそうになった腕が痺れるも、紅はそれを受け止める。
自身へと返って来る力を最小限に抑えたそれに、彼はヒュウッと口笛を吹いた。
「俺を二度止めたのは小十郎以来初めてだ」
そう言うと、彼は一旦その身を引く。
数歩分の距離が開き、息を吐き出しつつ鍔迫り合いの時の力を抜く彼女。
そんな彼女を前に、政宗は腕を上げて構えた。
「付き合ってもらうぜ?紅。―――伊達政宗。推して参る」
挑発的に名前を呼ばれ、彼女はふぅと溜め息を吐いた。
彼の向こうに見える小十郎は、どこか青褪めていて、それでいて嬉しそうだ。
止める事すら忘れているんだろうな、と思い、彼女も自身の構えを見せる。
そして、彼に倣って名乗り上げた。
「…雪耶紅。お相手いたします」
先ほどの二撃で分かった事だが、彼との実力差はそう途方もないほどに開いているわけではなさそうだ。
攻撃を受け流す事もできるし、恐らく機を窺えば自身が攻めに転じる事も出来るだろう。
いやだと言って止まってくれるようにも見えず、紅は早々に抗う事を諦めた。
―――どうせ言っても聞かないならば、言うだけ無駄。
心中でそんな事を思いつつも、心臓が逸るのを無視する事は出来そうにない。
何と言い訳のように考えた所で、結局の所自分も彼と刀を交えたいのだ。
先ほどの彼との鍔迫り合いでその興奮が刀から伝染してしまったかのように。
明らかに臨戦態勢の二人に、小十郎はやれやれと溜め息をつく。
彼女を思えば止めた方が良いと思ったのは、金縛りのような状況から解けたつい先ほど。
政宗に制止の声を上げようとした所で、彼は気付いた。
紅の表情に、どこか政宗と似通う雰囲気があることを。
「似たもの同士…か」
どうやら、止めても無駄…と言うよりは、止めない方が二人の為らしい。
そう判断すると、小十郎は刀を納めて縁側へと歩く。
彼がそこに着いた所で、丁度、自身の用事を終えた悠希がそこにやってきた。
「あら?紅姫とし合うのではなかったのでは?」
「あぁ、悠希殿。丁度良かった。殿と紅殿の分の茶を用意していただきたい」
「畏まりました。……楽しそうなお顔でございますね」
先ほどから聞こえている刃同士のぶつかり合う音と、偶に発せられる異国語。
小十郎との遣り取りの途中でそちらを向いた悠希は思わずそう微笑んだ。
二人とも彼女より年が下で、仕えるべき君主と客人として扱うよう告げられた人が、弟や妹のように見えてしまう。
二人のし合う様子は酷く楽しげで、年齢相応と言っても過言ではない。
特に、その肩に一国を背負う政宗のこんな表情を見たのは何年ぶりのことだろうか。
同じ思いを抱いているであろう小十郎と目を合わせ、二人で静かに笑いあった。
「不思議な方ですね。まだ数日だと言うのに…私共の生活に溶け込んでおられます」
まるで、ここに在る事こそが自然であるかのように。
怪我をしないうちに止めなければ、と思う反面、気の済むまで思うようにさせたい。
矛盾しているようで、その二つの思いは同じ「彼らのため」と言うそれを掲げている。
意外に接戦するその様子を眺め、小十郎はそっと目を細めた。
07.02.12