廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 008 --

朝日に瞼を刺激され、紅はゆっくりとそれを開いた。
どうやら、目が覚めたのは今しがた昇ったばかりの朝日の所為ではないらしい。
近づいてくる気配に、紅は自然とそちらに目を向けた。
すっと開かれた襖の間から顔を覗かせ、彼女と目が合ったことに少しばかり驚く悠希。
しかし、彼女はすぐにその表情を穏やかな微笑みへと変えた。

「おはようございます、姫」
「…おはようございます」

寝起きの所為か、一瞬だけ声が出遅れた。
しかし、それを気にする事無く悠希はにこりと微笑むと、障子の方へと歩いていく。
それを開けば、朝露に反射した朝日が目に差し込んできた。

「殿より言付けを預かっております」
「殿から…?」

どうぞ、と促せば、彼女はすぐに口を開いた。

「“例のパーティーは昼餉前に中庭で”だそうです。…戦でもなさるおつもりで?」
「あー…似たようなものです。………ん?パーティー…?」
「姫は異国語をご存知ありませんか?失礼いたしました。殿がよくお使いになるので僅かながら覚えてしまいまして…」
「違うの。分かるんですけれど…あれ?」

この時代に、異国語が…?
恐らく、その疑問に答えてくれるのは彼女ではなく政宗だろう。
今駄目元で聞いてみると言う手もあるが…無駄な事はしない主義だ。

「どうかなさいましたか?」
「何でもないです」
「そうでございますか。…あぁ、姫本日のお召し物ですけれど…」
「………。…あの…用意していただいて、文句なんて言える立場じゃないんですけれど…」

悠希が差し出してきた彩の良い着物を見下ろし、紅は思わずその口角を持ち上げる。
帯まできっちり締めてしまった日には、慣れない着物に半日で音を上げてしまうだろう。

「もう少し、動き易い着物ってありませんか?」
「………そう仰るかと思いまして、こちらも用意しておきました」

そう言って、彼女は腕に抱えたその着物の下からもう一着の着物を見せる。
見覚えのあるそれに、紅があっと声を上げた。

「片倉様よりお預かりいたしました。本日はこちらを?」
「ええ、そうさせてもらいます」
「承知いたしました。では、これはまたの機会に」

クスリと悪戯に微笑んだ彼女に、いずれはあの着物に袖を通すことになりそうだと思った。
恐らく、その時がきても自分は彼女の申し出を拒む事は出来ないだろう。
何故か…彼女、悠希に対しては強く出る事が出来そうにない。

「お手伝いは必要ですか?」
「一人で大丈夫です」
「わかりました。朝餉を用意いたしましたので、こちらにお持ちいたしますわ。その間にお召し替えを」

彼女が立ち去ると、部屋の中はしんと静まった。
あのように尽くされる事に慣れていない紅は、肩の力を抜いて脱力する。

「な、慣れない…」

あれが彼女の仕事なのだと思っても、慣れないものは慣れない。
やたらと力んで会話していたらしく、筋肉が妙に強張っていた。
でも、と彼女は項垂れていた顔を上げる。

「今日は今後を左右する大事な事が待ってるんだから…こんな事で悩んでる暇はないわ」

自身に言い聞かせるようにそう呟くと、帯紐に手を伸ばした。
















朝餉の後、紅はすぐにでも刀を手にとって日々の鍛錬に勤しむつもりだった。
しかし、それは悠希によって止められる。

「食後すぐに身体を動かす事は、よくありませんわ」

そう強く言われてしまえば、やはり反論は出来ず―――縁側でのんびりと地図を開いている。
この城は良くも悪くも広く、初めての紅ではどこに行くにも迷ってしまいそうだ。
今彼女がいる場所である客間と、中庭までの道のりを朱で結んだものを用意してもらった。
何とか頭の中に城内の構造を叩き込もうと思うのだが…無駄に広い。
まぁ、一国を治める主の城なのだから、この規模は当然なのだろう。
歩いて案内する、と言ってくれた悠希の申し出は断っていた。
恐らく、彼女にも自分の仕事はあるだろう。
それを差し置いてまで自分に構ってもらうのは、紅の信条に反した。
しかし、と食い下がる彼女に、ならば地図を用意して欲しいと別のことを頼んで、漸く手を引いてもらったのだ。

「ま、とりあえず中庭までは大丈夫ね」

バサッと地図を横に置くと、紅はうーんと身体を伸ばす。
縁側に投げ出した足を揺らして、庭にある木に目を向けた。
丁度、青空から翼を休めに来た小鳥がその寒々しい枝に止まる。
自身の身体を嘴でこちょこちょと擽るその様子がなんとも可愛らしく、頬が緩んでいくのを感じた。
よっと反動をつけて縁側を降りると、足音を忍ばせずにその木の方へと歩いていく。
距離が2メートルほどに縮まった所で、その小鳥が紅を見た。

「おいで、おいで」

にこりと笑って、手を枝の方へと伸ばす。
紅がいくら手を伸ばしたとしても、向こうからも寄ってこない限りは届く事のない絶妙な距離。
しかし、彼女はそれ以上距離を詰めるつもりはない。
再び「おいで」と声を掛ければ、小鳥がちょんちょんと二歩ほどこちらに近づいた。
迷うように首を傾げる動作にすら頬を緩め、おいで、と指先を差し出す。
小鳥の中で警戒心よりも、興味の方が勝った。

「よしよし。可愛いね、お前」

ちょこんと小鳥を乗せた人差し指を引き寄せ、もう片方の人差し指でその喉元を擽る。
チチチ、と鳴き声を上げる鳥に、紅は微笑んだ。

「紅姫!何をなさっておられるのですか!」

和やかな空気を裂いたのは、悠希の焦ったような声。
いつの間に部屋に来ていたのかは知らないが、先ほどまで腰掛けていた縁側にその姿があった。

「あ、悠希。ねぇ、見てください。可愛いでしょう?」
「可愛いかもしれませんが、裸足で庭に下りるなど…!姫君のなさる事ではありません!」
「や、姫じゃないし…」
「屁理屈はよろしいのです!早くお戻りになってください」

ぴしゃんとそう言われ、紅は肩を竦めて指先に止まったままの小鳥を見た。
悠希の鋭い声にも飛んでいかなかった小鳥に、随分と懐かれたらしいと思う。
嬉しいと思う半面で、早く戻らなければという少しばかりの焦りが紅を動かした。

「ごめんね。またおいで。今度はお菓子をあげるわ」

そう言うと、手を空へと持ち上げる。
その意図を理解したのか、翼を羽ばたかせて紅の頭上を二度ほど飛ぶと、ゆっくりと屋根の方へと消えていった。

「早くこちらへ。片倉様がお迎えに来てくださったというのに…片倉様、少々お待ちいただけますか?
手拭いを濡らしてまいりますので…」
「構いませんよ。その間は、紅殿と話でもさせていただきましょう」

紅からは見えない位置だったが、小十郎も共に来ていたらしい。
会話に入った彼に漸くその存在に気付くと、彼女は少しばかりバツが悪そうに微笑んだ。
そして、来た時と同じように平たい石の上をひょいひょいと歩き、縁側に腰を下ろす。

「悠希殿が手を焼いているようですね。随分お転婆な方だ」
「ははは…。今まで、こんな生活じゃありませんでしたから」
「でも、裸足で庭先に下りるのは良くありませんよ。後でここに草履でも用意させましょう」
「…じゃあ、お願いします」

庭先に出るなと言われるよりは、随分と嬉しい申し出だ。
態々用意してもらうのは申し訳ないけれど、今後は庭に下りないかと問われれば答えは否。
それならば、怒られない様に草履を用意してもらった方が得策だろう。

「小十郎さんが来てくれたと言う事は…もう、時間ですか?」
「ええ。政宗様はすでに中庭にいらっしゃいますよ」
「え!?じゃあ、遅れてしまったんですか!?す、すみません…」

殿を待たせてしまっている、と言う事実に、紅は頭を下げた。
今すぐにでも中庭に向けて出発したい所だが、悠希を待たずに行けば戻ってからの小言が煩そうだ。
それを分かっているのか、彼も急かしたりはせずに、構いませんよと首を振る。
その気遣いがまた心苦しく、肩を落とそうとした頃…悠希が手拭いを持って戻ってきた。
足を差し出せという彼女から慌ててそれを受け取り、自分で足を拭い終えると漸く縁側に上る。
そして、部屋の中に置いてあった刀を持ち、小十郎の元へと戻ってきた。

「お待たせしました」
「はい。では参りましょうか。あぁ、悠希殿。紅殿の昼餉は殿と一緒に用意してください」
「承知いたしました。…紅姫、くれぐれもお身体に傷など残されませぬように…」
「大丈夫ですよ。私にも武道の心得はありますから…少しの怪我くらいは気にしません」

そう答えれば、「そういう事ではありません」と言う答えが返ってくる。
女性の身体に傷を残すな、と言いたいのだろう。
分かっていてあえて別の回答をした紅は、彼女の勢いに「分かった」と約束をさせられてしまう。

「片倉様。相手は姫でございます。くれぐれも本気になどならないようお願いいたします」
「…努力はしましょう」

曖昧な返答だが、とりあえず彼女を納得させる事には成功したらしい。
行ってらっしゃいませと見送られながら、紅は小十郎と並んで中庭へと足を向けた。

07.02.11