廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 005 --

いつの間にか、再び眠ってしまったらしい。
気がつけば、外は暗くなっていて、部屋の中はシンとしていた。
身体を起こした拍子に落ちた手ぬぐいはまだひんやりとしていて、濡らされてから間もない事がわかる。
眠っているのだから、放っていけばいいのに…そうは思ったが、誰かが傍に居てくれた事は嬉しかった。

「…そっか…熱が出たのね…」

一度起きた時に身体が動かしにくいと感じたのは、その所為らしい。
元々風邪を引きやすい体質ではないはずなのだが…原因は環境の変化だろう。
しかも、それは現代で言うような些細な変化ではなく、年代どころか時代を超えたそれ。
体調を壊したところで、自身の身体を責める事など出来はしない。
すでに熱は下がっているのか、身体は軽い。
柔らかい布団からそっと這い出すと、ひんやりとした夜の空気が身体を包み込んだ。
思わずそれに身を震わせてから、部屋の中を見回す。
特に目に付くものはない。
寧ろ閑散としすぎているような気もしないではないが、紅にとってはごちゃごちゃと物があるよりは好ましい。
ふと障子の存在が目に入り、ゆっくりと立ち上がるとそちらへと歩き出す。
足袋すらも履かない足の裏から、畳独特の冷たさや感触が伝わってくる。
足音もなくそこへとたどり着くと、紅はそれに手をかけた。
さほど大きい力ではなかったけれど、それはスーッと開く。

「…すごい…」

視界の邪魔をする高層ビルもなければ、鬱陶しく目に残像を残すネオンもない。
まるで自分だけがこの世界の唯一の光、とばかりに輝く月が見下ろしていた。
思わず漏れた感嘆の声は、寝起きの所為かどこか掠れている。

「時代が違うとこんなに違うんだ…」

月と言うのは、こんなにも綺麗なものだっただろうか。
忙しなく日々の生活を送る中で、こう言う小さな事に対する感動をどこかへ置き忘れてしまっている。
悲しいかな、それが現代と言う時代だ。
田舎の方では邪魔されること無く月を見る事が出来るのかもしれないが、それでもこれには及ばないだろう。
月と自分の間にある空気は、綺麗に澄んでいた。














随分と寝てしまったのか、もう一度布団に戻っても眠れそうにない。
すっかり冴えてしまった頭は、この場所を離れる事を拒んだ。
キョロキョロと周囲を見回した後、紅はそっと縁側に腰を下ろす。
足を投げ出すようにして、再び月を仰いだ。
こうしていると、自分の実家を思い出す。
今でこそ少し街よりのところにマンションを借りて大学に通っているが、実家はこんな純和風の家だ。
何でも数百年は歴史を遡る事の出来る大層な家らしいが、残念ながら歴史に弱いのでよく理解していない。
教科書に登場するような有名な家ではなかったけれど、細々と、けれども確かに続いてきた家。
祖父、父と二度に亘って教えられても尚よく覚えていない自分には、最早苦笑しか浮かばない。
ふと、紅はそんな思い出に身を浸らせながらとある事を思い出した。

「そう言えば…出来たのは天下が統一された頃だったような気が…」

確かな記憶ではないので、年号までははっきりしない。
天下統一といえばいくら彼女でも知っている歴史的出来事で、偶然の一致に驚いたのを覚えている。
自分が居るのがその頃の事だとすれば…。

「家が出来た頃って事…?うわ…信じられない」

夢みたいだ、と呟き、苦く笑った。
そう、これが現実ではなく夢ならばどんなに良いだろう。
すでに手と脳裏にこびりついた忌まわしい赤の記憶。
夢だったならば「嫌な夢だった」と笑い話にも出来るのに。
思い出してしまってから、紅は自身をぎゅっと抱きしめた。
古い家には在り来たりな事だが、祖父や父は厳格な人だ。
代々男性であろうと女性であろうと、その子供には武道を教えるしきたりがあり、彼らはそれを忠実に守っている。
兄弟のない長女の紅は、行く行くは婿を取って家を継ぐことが決定していたらしく、特に厳しく躾けられた。
彼女自身が、その矛先が妹達へと向かぬように努力したと言うこともあるが。

「今となっては、感謝…かな」

それこそ血を吐くような修行を積んだからこそ、野盗如きの手で一生を閉じることにはならなかった。
正当防衛と言う言葉が通用するかどうかは別としても、生きる為には止むを得なかっただろう。
それに、奪うと同時に、守ることが出来たと言う事もまた事実だ。
そこで、紅は再び思い出す。

「あの後、私…?」

気を失って、そして目を覚ましたらすでにこの部屋だった。
少なくともその間の記憶はぽっかりと抜け落ちている。
それまでの記憶が夢ではなく現実に起こったことなのだとすれば、自分は彼らの前で倒れた事になる。
と言う事は…。

「ここ…伊達政宗の城…?」

思わず縁側から部屋を振り向いて呟いた。
そう言えば、悠希が『殿』と言っていた、と思い出す。
もう少し遡ってみれば、政宗と一緒だった男性もまた、彼を『殿』と呼んでいた。
二人が指す『殿』は、十中八九伊達政宗のことだろう。
彼の兜についていた三日月と同じようなそれに見下ろされながら、紅は自力で自身の所在を理解した。













一向に眠れそうにない瞼を瞬かせ、庭の風景へと目を向ける。
美しく整えられたそれに、月明かりが生み出す影が映っている。
その様子は墨絵のように静かで、水彩画のように優しかった。
肌を刺す空気から察するに、季節は秋から冬へと乗り移った頃だろう。
すでに虫の声はなく、木々も来る寒さに備えてその葉を落としていた。

「時代は変わっても季節は変わらない…か」

恐らく日付で考えれば大きく変わってくるだろうが、それは直接的に関係してこない。
呟いた紅は、唇を閉じたと同時に小さな気配を感じ取った。
明らかに隠されているそれは、ギリギリのところで彼女の警戒網に引っかかっている状態だ。
瞬時に身を強張らせるも、それが覚えのあるものであると気付くと、そちらを振り向いた。

「お姿を見せてはいただけませんか?」

縁側から続く隣の部屋へと声を掛ける。
障子の閉められたそこに人が居るのかどうかは見えない。
けれど、彼女には確かにそこに人が居ると断言できる。
その証拠に、悩んだようではあるけれど、その障子がカタリと動き出した。

「気配は消したつもりだったんだが…大したもんだ」
「何故、とは聞かないでください。私自身も、こんな特技があると気付いたのは最近ですから」

いつ、とはっきり断言しなかったのは、自分がどのくらい眠っていたのかを知らないからだ。
一日かもしれないし、実は半日ほどなのかもしれない。
夜に気を失ったのは覚えているのだから、半日と言うのはおかしいだろうが。

「身体はどうだ?熱が出たらしいな」
「ご迷惑をお掛けしました。お蔭様で、熱の方も平熱まで戻ったようです」

藍色の着流しに身を包んだ彼は、その唯一の眼差しに紅を映す。
それと同時に、彼女もまた彼を見た。
その身に纏う着衣も空気も、まるで、あの時の彼とは別人のようだ。
しかし、本人であるという事を否定するには至らない。
きっと、その理由は彼の強い眼差しが変わらないからだろう。
彼が城主であると言う事はすでに紅の中でも正しく消化されている。
それなりの態度を取るべきだろうと、姿勢を正そうとした。
だが、彼は片腕を挙げる事でそれを制すると、自分も彼女の隣に腰を下ろす。

「眠れないか?」
「…はい。随分と眠ってしまったようですけれど…あれからどのくらい経っているのですか?」
「安心しろ。まだ二日だ」

自分からすれば「もう二日」だ。
そんな長い間迷惑をかけていたのだろうか、と申し訳ないという思いが先に立つ。
しかし、彼はそんな事など全く気にしていないらしい。
まだ若いように見えるが、随分と懐の大きな男性だ、と思った。
彼の登場から、その姿を視界に捉え続けていた彼女が、その時になって漸くそれを外す。
そして、見るともなしに庭へと視線を向け、口を開く。

「全てを説明するにはあまりに時間が掛かりますので…どうぞ、殿の方から尋ねてください」

あなたの質問に、私が答えます。と紅はそう告げた。
一から全てを説明するよりも、相手の疑問に答える方が時間を短縮できる。
それに、不必要な情報まで与えて混乱させると言う事態が少しでも軽減する筈だ。

「ただ―――…一つだけ、私からの願いがあります」

彼が質問を口にしてしまう前にその言葉を発する。
それを止める理由を持たないからか、はたまた別の理由があるのか。
政宗は口を挟まず、彼女の言葉を待った。

「質問には、真実のみを答えると約束します。ですから…信じてください」

自分が答えるその内容が、まるで現実離れしていると分かっているからこそ―――言わずには居られなかった。
殆ど初対面の彼にこんな事を頼むのはおかしいのかもしれない。
けれど、彼ならば、もしかすれば…そんな想いが、紅の背中を後押しした。
まず、返事の代わりに、彼はその表情にシニカルな笑みを浮かべる。
そうして、次に口を開いた。

「何か訳有りみたいだな。…面白そうじゃねぇか」

やはり、彼は自分の願いを一方的に撥ね付けたりはしなかった。

07.02.04