廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 004 --

「っと。おい、大丈夫か?」

腕一つで傾いてきた彼女の身体を支えると、政宗は紅を覗き込んだ。
しかし、すでに意識はなく、ただぐたりと彼に身を預けるだけ。

「気を失っているだけのようですね。まぁ、無理もない。この光景は女性には些か酷過ぎる」
「…発狂しなかっただけでも十分、か…」

血を吸った地面は赤黒く染まり、その上に倒れこんでいる骸の山。
全ては己に刀を向けてきた故の結果なのだが、慣れない彼女からすれば地獄に等しい光景だっただろう。
よく、普通に言葉を交わせたものだ。
このくらいの年齢ならば、泣き叫んでもおかしくない光景を受け止めていた彼女。
その腕前と言い、さっきまでの態度といい―――興味深い、と思った。

「それにしても…偶然ですが、無事で何よりですね」
「あぁ、あの野盗に絡まれたことに感謝すべきかもな」

彼らが話している野盗とは、紅が一番初めに出会ったあの男だ。
あの後、紅に追いつくことの出来なかった彼は、通りかかった政宗らに絡んだ。

「ちくしょう…!あの女を追ってりゃよかっ―――」

そんな言葉を残した男に、彼らは互いに顔を見合わせた。
この場に居合わせたのは本当に偶然だ。
それも何かの縁、と彼らは言葉少なにその女を探す事を決め、馬を走らせる。
そうして、この場へとやってきたのだ。

「んじゃ、帰るとするか」
「と、殿!お待ちください!」
「あん?」
「まさか、彼女を連れ帰るおつもりですか?」

ひょいとその身体を抱き上げた彼に、小十郎は慌てた。
そんな彼の制止の声に怪訝な表情で振り向いた政宗は、当然、とでも言いたげな視線を返す。

「身元の分からぬ者を連れるなど…!況してや、その女は刀を持っているんですよ!」
「んなこった、見りゃ分かる。じゃあ、何か?こんな所に置いていくつもりか?」

逆にそう尋ねられ、小十郎は言葉を詰まらせた。
こんなところに置いていけば、また流れてくるであろう野盗の餌食になるのが落ちだ。
その前に、野生の獣の腹に収まるかもしれない。
そんな事を考えてしまえば、置いていけとも言えない。

「いえ、それは…」
「なら、連れて帰るしかねぇだろうが。大体、コイツを探しに来るのはお前も賛成だっただろ?」
「それとこれとは話が別です。まさかこんなに腕の立つ者だとは…」

そう言葉を濁す彼に、政宗は長い溜め息を吐き出した。
そして、紅を片腕に抱きなおすと、空いた手で彼女の腰に結わえた刀を解く。
それを小十郎へと差し出せば、どうすべきか戸惑う彼のそれと視線が絡んだ。

「持ってろ。刀がなけりゃ問題ないだろ」
「いや、それならば私が彼女をお連れします!」
「あんまり騒ぐな。今夜だぞ。それに、身元なら城に帰ってからでも調べられる」
「ですから、連れ帰るのは承知しましたが、何も殿が―――って、話の途中で行動を進めないでください!」
「あー、煩せぇ」

半ば喚くようにして後ろから付いてくる小十郎に対して、適当に返事を返しながら馬の方へと歩く。
よく躾けられた馬は、あの乱闘騒ぎの間にも主人から遠く離れたりはしなかった。
栃栗毛の馬は、近づいてくる主人に向かって歩み寄ってくる。
片手で手綱を捕らえると、慣れた調子でその背中に跨った。
その一連の動作は、人を一人抱えているとは思えないほどに軽やかだ。

「殿ー…」
「いい加減にしろよ、小十郎。置いて帰るぞ」

今にも駆け出しそうにその場で踏鞴たたらを踏む馬に、小十郎は折れるしかなかった。








「それにしても…一体、何者なのでしょうか?」

政宗の斜め後ろに付き従うように馬を走らせながら、小十郎がそう問いかけた。
馬の蹄の音に掻き消されそうな音量のそれは、ギリギリのところで政宗の耳へと届く。

「…さぁな」
「間者であったならば、どうするおつもりですか?」
「その時はその時だ」

そう答え、自分の前に乗せた紅を見下ろす。
心なしか顔色が悪いようにも見えるが、月の光しかない道なのだからそう感じても無理はないのかもしれない。
どちらにせよ、気を失っていると言う時点で快調ではないのだ。
政宗は白い頬に残っていた赤いそれに手を伸ばす。
それを拭う際に指先に感じた彼女の体温に、どこか安心させられた。
前に誰かの肌に触れ、あたたかいと思ったのはいつの事だっただろう。
その記憶は、探さなければならないほどに昔のこと。
無言で馬を駆る彼の空気がどこか穏やかであることに気付いたのは、他でもない小十郎だった。
主が決めたことに、これ以上口を挟むまい。
そう心に決めて、彼は貝の如く沈黙した。
馬の駆ける音だけが、夜を裂くように近づき、そして遠ざかる。
















ピチョン、と頬に冷たい水の感触。
「あっ」と言うどこか焦った声に導かれるように、紅はゆっくりと瞼を持ち上げた。
まるで睡眠不足の翌日のように、瞼が重い。
霞む視界に入ってきたのは、見慣れない木の天井だった。

「申し訳ありません。お目覚めでございますか?」

状況を把握しようと寝起きの思考を働かせていた紅は、不意に脇からそう声を掛けられた。
やや驚いたようにしてそちらを向けば、濡れているらしい手ぬぐいを手に持った女性。
妙齢、と言うには些か若く、20代後半から30代といった所だろう。
これほどに近い距離でありながら人の気配を感じられなかった事に、紅は驚いていた。

「あ、の…」
「あぁ、急にお身体を動かされませぬように」
「…ここは…?」

あなたは?と先に質問したかったのだが、何故か先に場所を聞くべきだと思った。
身体を動かすな、と言われても、正直な所動かない。
指先を動かしたり、手を動かしたり、と言う程度は出来る。
しかし、いざ身体を起こそうとすると、寝違いにも似た鈍痛が身体のどの部分と言う事もなく走った。

「今は何も考えず、ごゆるりとなさいませ。殿には私から姫がお目覚めであるとお伝えさせていただきます」
「…殿?……姫?」

聞き捨てならない言葉に、紅はそのままの姿勢で彼女を見た。
それを口に出した所で、あの記憶が急速に自分の元へと戻ってくるのを感じた。
夜の三日月に見下ろされ、見知らぬ地へと独り投げ出された不安。
飛び道具が背筋を凍らせた恐怖。
そして、刀が肉を断つあの感覚。
目に見えて顔色が変わった彼女に、女性が慌てたように口を開いた。

「姫、落ち着いてくださいませ。無理は身体に障ります」
「―――っあ…」
「息を吸い込むのです。ゆっくりと、焦る必要はございません」

軽い呼吸困難に陥った紅に、彼女はその手を握って何度も繰り返す。
その手から伝わる温もりが酷く母親のそれに似ていて、ささくれ立った心が癒されていくのを感じる。
震える肩を抱くように身を縮めれば、やや間を置いてその背中を撫でられた。

「姫を脅かす者は居りません。大丈夫でございます」

何度も何度も、飽く事無く背中をあたたかい手が往復し、優しい声が耳に降り注ぐ。
やがて呼吸が穏やかになり、紅はゆっくりと自身の肩から手を離した。
強い力で握り締めていた所為か、指が固まってしまっていて中々外れてくれない。
それに気付いたのか、女性がそっとその指先を取った。

「何か温かいものでもお持ちいたします。もう少し、お休みくださいませ」

そう言ってスッと腰を上げた彼女に、紅は思わずその手を伸ばしてしまう。
この部屋の中で独りになると、世界が崩壊してしまうような…そんな感覚を覚えた。
縋るように伸ばされた手から逃げる事無く、彼女はその手を握り返す。

「姫、私はここに居ります。他の者に伝えてまいりますので、襖の所まで行かせてくださいませ」

再び母親とのデジャヴを感じ、紅はその指を緩めた。
彼女は紅に微笑みを残し、足音を立てぬように静かに襖のところまで歩く。
そして、薄く開いたそこから部屋の外へと声を掛けた。
誰かがきたのを気配で感じ取るが、何を言っているのかは、紅には聞こえない。
無理をして聞くつもりもなかった彼女は、布団の上で天井を見上げた。
頭も完全に覚醒していて、恐らくは身体の方も動くだろう。
それでも動こうと言う意欲が湧かないのは、どこか辛いからなのか、ただの怠けか。
前者だと言いたい所だが、事実は分からない。
センチメンタルなんてらしくないとは思うけれど、こうして生活観の違いを見せられると、弱くなるものだ。
「今」となっては滅多に見ない着物姿の彼女が傍らに戻ってくるのを目の端で捉えながら、そう紅は思った。

「申し遅れましたが…私、この度紅姫の身の回りのお世話をさせていただく事となりました、悠希と申します。
御用の際には何なりとお申し付けくださいませ」
「…悠希…?」

少し驚いたように目を見開き、確認するようにそう問いかければ、彼女…いや、悠希は「はい」と答える。
自分の親友と同じ名前を、こんなところで聞くことになるとは思わなかった。
彼女は見えないように唇を噛み締めた紅の心の内も知らず、柔らかく微笑んでその場に佇んだ。

07.02.02