廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 003 --
この大して骨のない野盗とは別の気配を感じ、彼は振り向いた。
完全に身体を反転させる前に、自分を背後から狙っていた野盗の一人が斬られる。
一太刀胴を薙ぎ払うその動作だけで、気付いた。
―――出来る。
そう感じた時には、すでにその黒髪を靡かせる背中は自分を追い越していた。
そして、前へと立ちはだかる野盗を一撃ずつで片付け、進んで行く。
彼は自分に向かってくる輩を切り伏せつつ、その背中を目で追った。
「…女…?」
これだけむさ苦しい集団に囲まれていれば、間違う筈はない。
その独特の線の細さは、自分とは違う身体のつくりのそれだ。
やがて彼女はこの乱闘の中をその身一つで真っ直ぐに通り抜け、林の中へと飛び込んだ。
彼女の進んだ後には、何人、何十人の屍が枕を並べている。
すっかり数の減ってしまった野盗に、彼は口角を持ち上げた。
「おい、小十郎!今のが例の女じゃねぇのか?」
「姿、が見えたのは一瞬でした…ので、何とも…」
刀を一振りしか使わずとも余裕の彼に対し、もう一人…小十郎と呼ばれた男は息を切らせつつ答える。
ギリギリならば質問など聞こえなかった事にすれば良いものを、何とも律儀な男だ。
尤も、彼らの上下関係は無視する事を許される筈のないものなのかもしれないが。
「それにしても…あの女、何しに行ったんだ?」
逃げたのか?と彼は思う。
しかし、すぐに「いや…」と思いなおした。
先ほどまではあんなに上手く気配を殺していたのだ。
今になって、態々乱闘の中を横切って逃げる理由はどこにもない。
それならば、考えられる事は一つ。
向こうの林に何らかの用があった―――これだ。
「………一気に潰すぜ!」
何を思ったのか、彼はそんな高らかな声と共に六振り全ての刀を鞘から抜く。
左右に三振りずつ刀を持つ姿は、一度見れば忘れないほどに印象深い。
眼光を鋭く、彼は口角を持ち上げた。
刀を一度振るうごとに数人が地面へと伏していく。
そうして、最後の一人に向けて刀を振り被ると同時に、先ほど彼女が去った林の方から悲鳴が聞こえた。
振り下ろす手を止めないまま、そちらへと視線を向ける。
手に肉を斬る感触を受けながら、覚束ない足取りで林から飛び出してくる野盗の一人を見た。
何かに怯えるように、半ば転がるようにして飛び出してきた男。
真っ直ぐにこちらへと向かってくる男の目は、二人を映してはいなかった。
ただ、背後から迫る恐怖に表情を歪めている。
「助け―――」
その言葉は、最後まで紡がれる事はなかった。
ザッと音がして林が揺れたかと思えば、次の瞬間には男の真後ろに人影。
一太刀で男の背中を薙ぎ払うその動きは、風のようだった。
今度こそ、最後の一人が地面に倒れる。
それを見下ろしていた紅は、刀を拭い、そして鞘へと納めた。
チン、と鯉口を鳴らす。
二人と彼女の距離は、僅か3メートルほど。
先ほどの瞬発力を以ってすれば一瞬で詰められる距離。
それは、二人の実力においても言える事だった。
刀を鞘に戻してからと言うもの、彼女はこれと言った行動を起こさない。
ただ、周囲に転がっている骸を視界に映し、立ち尽くした。
「…殿」
一向に行動を起こさない彼女に、見かねて一歩踏み出せば、そんな声が届く。
不用意に近づくな、とでも言うかのような硬い声。
それを視線で制し、彼はまた一歩踏み出した。
そして、そこで気付く。
彼女の肩が、小さく震えていることに。
あれだけの腕を持っていながら、今頃恐怖を感じたと言うのか?
いや、違う。
この反応は―――
「…人を斬ったのは初めてか」
問いかけとして語尾を持ち上げなかったのは、どこか確信があったからだろう。
その言葉に、彼女はピクリと反応した。
ゆっくりと持ち上げられた目が彼を映す。
ふっと逸らされるそれに、自分の考えが外れていない事を悟った。
「…その感覚を忘れるな。強さだけを求めるのは、獣だけで十分だ」
人を斬る痛みを忘れる時、それは自分が人であることを捨てる時だ。
心を無にして殺人鬼に堕ちるなど、彼女には似合わない。
出会ったばかりにも拘らず、彼はそう感じた。
「だが、斬る事を恐れるな。刀を持てば、相手だって刀を向けてくる。
―――覚悟を決めろ。お前が今、奪った命を背負う覚悟を」
「………はい」
初めて聞いた彼女の声は、低くもなく高くもなく…耳に良い声音だった。
彼女が向けた眼差しに、一筋の光が浮かぶ。
虚ろだった目に、光が戻った。
それを悟り、彼は僅かにその口角を持ち上げる。
「…お前、名は?」
「………人に名を尋ねる時は自分から。私はそう教えられてここまで育ちました」
きゅっと頬についた返り血を拭い、彼女は淡々と答える。
その答えが予想外だったのか、彼は一瞬反応を失った。
代わりに口を開いたのは、今まで沈黙していた小十郎だ。
「殿に向かって何たるご無礼を…!」
「…殿であろうとなかろうと、人として正すべき道はあるはずです。人の上に立つ者ならば、尚の事」
「貴様…!」
「まぁ、待て、小十郎。そいつの言い分は間違っちゃいねぇ」
寧ろ正論だ、と彼は小十郎を止める。
主に止められた以上、彼はそれ以上口を挟む事は許されない。
ぐっと拳を握り、一歩下がった。
「悪かったな。俺は奥州筆頭、伊達政宗だ」
「…伊達………政宗…?」
奥州、伊達政宗、共に耳に覚えのある名前だ。
先ほど野盗に襲われた時に聞いただけではなく、もっと前に。
学生時代、歴史の授業中に社会科の担当教師の声で聞いた気がする。
「え…だって………嘘…」
そんな事はありえない、と言ってしまいたかった。
誰かが夢だと言ってくれたならば、どんなによかったか。
先ほどはタイムスリップか、とどこか納得できていたが、実際に歴史上の人物と出会ってしまってはまた話は別。
ぶつぶつと呟きながら首を振る彼女に、二人は顔を見合わせた。
ほうっておけば、ずっとこの調子のような気がして、彼、政宗は口を開く。
「で、お前の名は?」
「…雪耶…紅」
今度は素直にそう答えた。
どこか遠くを見る眼差しに、半ば条件反射のようにも感じたが、今は名前が聞ければ問題はない。
「紅か。どこから来た?」
「…恐らくは、あなた方のご存知ではない所から…」
「俺達の知らない?奥州以外の出か?」
彼の問いかけに紅はふっと瞼を伏せた。
これを、どう説明すればよいのだろうか。
鈴の音に導かれて、数百年後の未来から来ました。
そんな話を、誰が信じる?
「…っ」
この場をどうやって切り抜けるか。
それを考えていた時、紅は自分の視界が霞むのを見た。
まずいと思ったのは、すでに思考の半分以上が闇に囚われた後。
ぐらりと揺れる身体を支える事すら間々ならず、傾いてゆく身体よりも先に思考がそれを手放した。
07.01.31