廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 001 --
頬に当たるのは、冷たい土の感触。
何故それが土だとわかるのかと問われれば、今までの生活の中で培われた勘だと答えるしかない。
目を開いたそこは、全く覚えのない世界だった。
傍らに落ちていたそれと、身に纏った覚えのない着衣。
「こんなレプリカが一振りあった所でどうしようも…」
そう呟きながら、紅はすらりとそれを鞘から抜き取った。
白銀のそれを月に翳すように持ち上げる。
「…こんなに光ってたっけ?」
レプリカなのだから、本来の『斬る』と言う目的は果たせない筈のそれ。
それにしては、やけに光り輝いているように見えるのは、自分の気のせいだろうか。
蔵の中で見た時には、くすんだ自身しか映らなかったと言うのに、今では映る自分が少しばかり美人に見えた。
そんな考えを馬鹿馬鹿しいと振り払い、三日月にそれを翳した紅の目に、はらりと舞い落ちてくる木の葉が入る。
「………」
刃先に空を仰がせるように持ち変え、落ちてくる木の葉の下へと滑らせる。
スッと、音も無く木の葉が二つに割れた。
「……………レプリカって斬れるものだっけ…?」
いや、たとえもし仮に斬れるものだったとしても、この切れ味は恐ろしく危険だ。
レプリカとして、色々と間違っていると思わずには居られない。
紅がその方面に関しては全く無知である事も手伝っているかもしれないが、それを差し置いても、だ。
そこから導き出される事と言えば―――
「本…物…?」
指を滑らせる度胸は無い。
人間なのだから痛みを恐れた所で臆病にはならないだろう。
抜き身の刀を手に提げたまま、紅の脳裏は現状の整理に追われた。
見えるのは、今…いや紅が生きていた時代で言えば、とても古風な造りの建物。
どこか草臥れているのは、すでに主を失っているからなのだろう。
夜と言う時間の問題を除外したとしても、人の気配がなさ過ぎる。
慣れた様子で刀を鞘に戻すと、紅は近くにあった岩の上に腰を下ろした。
見下ろしてくる三日月を見上げ、ふぅと溜め息を吐き出す。
「少なくとも、知ってる所じゃないし…どうしよう」
省みてみれば、自分の服装だって時代錯誤もいいところだ。
着物の長さは太股の半ば辺りまでで、着崩したような胸元は大きく開き、網目のアンダーがその下に見える。
ミニスカートに近いそれは、屈めば中が見えてしまいそうだが、ありがたい事に黒のスパッツがそれを隠している。
腕の動きが制限されぬよう、袖の部分も肩の辺りからは切り落とされていた。
とりあえず…と、腰紐に鞘を括りつけると、彼女はもう一度周囲を見回す。
言い重ねるが、覚えのない場所だ。
「こんな所で何してる?」
不意に、地を踏みしめる音と共にそんな声が紅の耳に届いた。
背後への注意を怠っていた自身に叱咤しつつ、彼女は振り向く。
月明かりの元に彼女の姿が浮き彫りになった。
「ほぉ…思ったより上玉じゃねぇか」
知り合いである事を期待したわけではないが、もう少しくらいガラの良い人間と出会いたかったものだ。
明らかに卑下する表情を浮かべる男に、紅は心中で溜め息を吐き出した。
行く所がなかったとは言え、こんな月の見下ろす時間帯に一人で廃屋の傍らに居るものではない。
失念していたな、と思うと同時に、腰の刀を意識した。
「一つ、聞きたい」
「何だぁ?」
「ここはどこ?」
多くを問う必要は無い。
ただ、それだけが知りたかった。
「お前、そんな事も知らないからこんな辺境の廃屋に居るのか」
「どこ?」
「奥州と甲斐の境…って言やぁ、わかるか?」
聞きなれない地名、けれども、その地名に聞き覚えはある。
そう、確か…中学で歴史を習った時に聞いた地名だ。
「………タイムスリップ…?」
嘘でしょう、と言う呟きは空に消え去る。
カクンと膝の力が抜け、その場に座り込む彼女に男が不思議そうに、けれどもどこか丁度良いと笑みを浮かべた。
「今は奥州と甲斐も国の取り合いの真っ只中だからなぁ…国境なんざ、危なくて誰も近づかねぇぜ?」
そう言って、男は一歩ずつ紅に近づいていく。
彼女が立ち上がる気配は無い。
「俺たちのようなゴロツキ以外はなぁ!!」
自分に伸ばされてくる腕を見ながらも、身体は動こうとはしない。
この状況で男に捕まればどうなるのか―――それが分からないほど、彼女は幼くは無い。
それでも、動かないのだ。
まるでスローモーションのように男の腕が自分に向かってくるのが視界に映る。
あと10センチも進めば、自分の肩に男の手が触れる。
そんな時だった。
視界の左上から右下に向かって、何かがヒュンと走ったのは。
「走れ!」
その声に、紅の身体はまるで金縛りが解けた様に動きを取り戻す。
立ち上がりつつ色の戻った目で男を見れば、先ほど自身に向かって伸びてきていた腕が赤い液体を零しているのが見えた。
手首が落ちた、なんて事は無いようだが、それに近しい状況ではあるらしい。
痛みと怒りに喘ぐ男の声に背中を押されるように、紅はその場から駆け出した。
どこに向かう宛てもない。
ただ、身体が勝手に動いたのだ。
慣れない草履、覚えのない道。
これらを考慮すれば、紅の分が悪い事は明らかだった。
それが証拠に、一度は聞こえなくなった男の声が、また近づいてきている。
怒り心頭、と言った様子の怒号が耳に届き、彼女は軽く舌を打った。
だからと言って足を止めるような馬鹿はしなかったが、そうなるのも時間の問題だ。
足が速かろうと、男と紅の間には、埋められない男女の体力差がある。
「!」
不意に、走っていた紅は後ろとは別の方向に気配を感じた。
それと同時に、飛んでくる何か。
それは先ほど自分を救ってくれたアレによく似たもの。
気配を感じなければ、きっとそれは彼女の肉に突き刺さっていただろう。
咄嗟に地面を蹴って脇へと飛べば、蹴った拍子に出来た窪みにそれが突き刺さる。
鉛色に光るそれには、その道の知識が深いとは言えない紅にも覚えがあった。
「…苦無…」
いくら正確な時代がわからないとはいえ、過去にこの武器を忍以外が使ったと言う記録に覚えはない。
と言う事は、これを放ってきたのは忍と考えて、まず間違いは無いだろう。
そんな事を考えている間にも、ヒュンヒュンと風を切って同じ形のそれが紅を狙ってくる。
バックステップの要領でそれを避けつつ、彼女は左手を鞘にかける。
そして右手で柄を握り、それを引き抜いた。
使うものが使えば致命傷になるであろうそれを向けられて、こちらは丸腰と言うのは些か頼りない。
真剣を使った事は無いが、道場で振るうそれと、大きな変わりはない。
大丈夫、そう自身に言い聞かせ、苦無を投げてくる気配へと真正面から向き合った。
だが、向き合うと同時にそれは消え失せる。
名残すら残っていないか、そう呟きそうになった所で、紅はふと疑問を抱いた。
「何で…気配なんて読めるようになってるの…?」
家の関係で、子供の頃から色々な武術を習った。
それ故に身体を鍛えていた以外は、普通に人間生活を送ってきた筈だ。
現に、今までは人の気配を読むことなど出来なかった。
それが、出来ている。
偶然かとも思ったが、何故かそうではないと言う確信があった。
そして、ふと思う。
―――あの男はどうした?
あれだけ威勢よく追いかけてきていたのだ。
まさか、追いつけないから諦めたと言う事はあるまい。
しかし、足音も怒号も聞こえず、代わりに耳に届くのは僅かな蹄の音。
「数は2…いや、3…?」
どちらにしろ、単独ではない。
音が近づいてきている事に気付くと、紅は周囲を見回した。
どこか、隠れられる場所を―――そう思い、登るには十分な太い幹の木を見つける。
先ほど苦無を飛ばしてきた気配のあった木だが、すでにその人物は居ないのだから問題はないだろう。
無用心だとは思いつつも、紅は刀を鞘に戻してその木に手をかけた。
ひらりと身体を躍らせて葉の茂った幹の上に立つ。
身を隠すようにそこに膝を着き、そっと息を殺した。
蹄の音はどんどんと近づいてくる。
07.01.29