現の夢 前編
-悠久に馳せる想い- 番外編
「紅!!危ねぇ!!」
「ん?」
ヒュンと頭を直撃するコースで飛んでくる霊丸を捉えると、紅は慌てる事無くそれを避ける。
しかし、彼女の方に飛んできていたのはそれだけではなかった。
「げ…母さん後ろ!!」
暁斗の声に背後から向かってくる二つ目の霊丸を何とか避けるが、それは彼女の手を掠めていった。
彼女の手の中にあった袋が裂け、中の粉末が空に舞う。
「―――っ!!」
咄嗟に口元を押さえた時にはすでに遅く、視界が揺れたかと思えばその思考は闇へと沈んだ。
「あれほど扱いには気をつけるように言ったのに…」
横たわる紅を前に、蔵馬は盛大に溜め息を落とす。
彼の言葉やその身にまとう空気に、後ろで正座していた幽助と暁斗がびくりと肩を揺らす。
「で、暁斗。紅は何の薬草の整理を?」
「確か…以前手に入れた時戻りの薬草って言ってたような…」
暁斗の言葉に蔵馬は以前自分が同じようにそれを吸い込んでしまった事を思い出す。
そう言えば、あの時の薬草を処分し忘れていたな…と自身の不甲斐無さに舌を打った。
「とりあえず、今は休ませよう。俺が解毒剤を作るから、それまで暁斗が…」
「と、父さん!」
くるりと彼を振り向いて指示を出そうとした蔵馬だが、暁斗の声に再び紅へと視線を向けた。
亜麻色の髪が徐々に伸びていき、その色を美しい金色へと変化させる。
容姿が完全に佐倉に戻ってしまったところで、蔵馬はそっと息を吐き出した。
「…佐倉まで戻ってしまったか…。何にせよ解毒剤は必要だ…か、ら…」
彼の言葉は尻すぼみになり、やがて消えうせる。
佐倉まで戻った所で安定するかと思われた紅だが、そこから更に変化を見せた。
幼くなった顔立ちに蔵馬が沈黙する。
「…おい、蔵馬。これってどれくらい戻ったんだ?」
黙り込んでしまった彼に痺れを切らした幽助が声を掛ける。
心なしか、蔵馬の横顔は青ざめているように見えた。
「…まずい…。暁斗、悠希を呼んできてくれ」
「え?あ、うん!わかった!!」
トタトタと駆けていく足音が遠ざかると、蔵馬は漸く安定した彼女を見つめる。
規則的な呼吸は彼女が確かに生きている事を表していた。
「………何かまずいのか?」
「数百年は戻った」
そう言って蔵馬は引きつった笑みを浮かべ、続ける。
「俺が彼女と出逢った頃まで戻ってるよ」
幽助がその意味を正しく理解したのは、彼女が目を覚まして3分後の事だった。
完全に消失した屋敷の壁(壁丸々一面綺麗さっぱり消えうせているのだ)
自身の目の前に開いた、大きな穴(しかも地面が見えている)
現状は想像よりも遥かに恐ろしいものだった。
「何者だ」
そう言って蔵馬の上に跨り、その首元に妖気で作り出したナイフを突きつける紅。
いや、彼女は幽助の知る紅ではなく、蔵馬と出逢った頃の佐倉だった。
「紅っ落ち着…!」
声を発するとほぼ同時に、自分の頬を掠めていった何か。
それは彼女が生み出したナイフに他ならない。
薄く切れた頬から流れ落ちた血が顎を伝って畳に赤いしみを残した。
「誰が声を発する事を許可した?」
「(恐っえぇーっ!!!やべぇ、俺…死ぬかも!!)」
冷や汗を流しつつ、幽助は自身の顔色が悪くなっていくのを自分でも感じていた。
蔵馬は大人しくしているが、彼女の様子を何一つ見落とすまいとしているようにも見える。
「もう一度、問う。貴様は何者だ」
「…何故、そこまで怒りを露にするんです?」
「………質問を変えよう。何故貴様のような人間風情から蔵馬の妖気を感じるのだ!」
膨れ上がる妖気に、幽助はいっそ気を失えたほうが楽かもしれないと思う。
自分の知っていた紅は随分と丸い性格になっていたらしい。
彼女ですら怒らせると恐いという印象を持っていたが、それは撤回しておこう。
今の方が数倍…いや、数百倍は恐い。
「(来なきゃよかった…)」
暇だからという理由で幻海の屋敷を訪れた事を、彼は心から後悔していた。
一方、蔵馬は彼女の返答に心中で安堵の息を漏らす。
彼女の記憶が自分と出逢った後だった事は、不幸中の幸いだろう。
「理由を知りたいですか?」
「話さないならこのまま首が飛ぶだけだ」
「………なら、その妖気を少し抑えてください。彼の身体に負担がかかります」
蔵馬の言葉に紅は不快そうに眉を寄せるが、自身の放っていた妖気を僅かに抑える。
幽助はそれを肌で感じ取り、深呼吸をした。
今まで見えない重圧に押しつぶされていたかのように、呼吸がままならなかったらしい。
「話せ」
「母さん!目が覚めたんだね!!」
不意に感じた横からの衝撃に、紅は咄嗟に反応しなかった。
避ける事も出来た筈の彼女の行動に、蔵馬はまたしても安堵の息を漏らす。
どうやら身体の奥底では暁斗を覚えているらしい。
「“母さん”?」
「?」
「私は子など生んだ覚えは無い」
そう言って紅は抱きついてくる暁斗の身体を脇へと押しやる。
しかしその仕草すら彼を傷つけまいと優しいものだった。
暁斗は訳がわからずに疑問符で脳内を埋め尽くす。
「暁斗、ちょっと下がっててくれるか?」
「あ、うん。わかった」
「悠希は?」
「もうすぐ来るって。この山を根城にしようとしてる妖怪がいたらしくて…」
「ありがとう。…すまない、佐倉。出来れば上から退いてもらえると助かる」
暁斗に向けていた視線を紅へと戻し、彼女にそう言う。
名前を呼ばれたことに驚いた表情は見せるも、その中に決して不快の色は浮かんではいなかった。
彼の上から退くと、紅はそれでも油断無く蔵馬の動向に目を光らせる。
「俺の名前は蔵馬だ」
「…不愉快過ぎるな」
「まぁ、この姿なら無理は無い。だが…」
言い終えるが早いか、彼の姿が変わる。
赤みを帯びた黒髪が銀へと変化し、顔立ちがより端正なものへと成り代わる。
その様子に紅は目を見開いた。
「………人間にでも憑依したのか?」
「相変わらず話が早いな、佐倉」
「訳がわからん…。まず、ここはどこだ?魔界ではないな。それから、コイツは何者だ?」
そう言って紅は最後の部分で暁斗を指す。
びくりと肩を揺らした暁斗を自分の傍へと招きつつ、蔵馬は彼女に問い返した。
「覚えはないか?」
「生憎、妖狐の子供に知り合いなどない」
「違う。この妖気に覚えはないかと聞いているんだ」
紅は蔵馬の言葉に暁斗へと視線を落とす。
その視線に再び肩を落とす暁斗だが、睨まれていると感じないのは視線の主が母故の事だろうか。
じっと見つめる事数分。
彼女は深々と溜め息を漏らし、その美しい髪を掻き揚げた。
「理解を遥かに超えている…どう言う事か説明してくれ」
そう言って今まで自分が横たわっていた布団の上へと腰を下ろす。
そして、未だ固まったままだった幽助をちらりと見た。
「人間がこの場に居合わせている理由も、な」
「あの…母さ…あ、違った。えっと…」
自分の知らない頃の紅を前に暁斗は口を開くが、出てきた言葉は戸惑いに溢れていた。
そんな彼に苦笑めいた笑みを浮かべ、紅はそっと手を差し出す。
自分の知る頃の母よりは少しばかり若い彼女だが、握った手のぬくもりは変わらなかった。
「別に母でも構わない。どうやら血の繋がりがある事は否めないらしい」
恐らく父親譲りの銀髪を撫でれば、ぎこちなくも目を細める暁斗。
彼に向ける笑みが柔らかい事など、本人は気づいていないだろう。
幽助は先程とは全く違う様子の彼女に、間抜けにも口をぽかんと開いていた。
06.04.02