あと一歩の境界線
夢追いのガーネット Side episode
「椎名ってさー…」
昼休み。
昼食を終えた紅は、悠希と向かい合うようにして自身の席に腰を下ろしていた。
次の授業の準備をしていた彼女の耳に、前の席を借りた悠希がポツリと呟く。
彼女の口から翼の名前が出る事は珍しく、紅は少し驚いたように…でもそれを表情に出さずに続きを促した。
「うん?」
「紅の事好きだよね」
「……………それは本人に言う事じゃないと思うよ」
彼女の言葉は予想外な事この上なく、何とか紡ぎだしたのはそんな返事。
紅の言葉に悠希はニッと口角を持ち上げ、笑う。
「でも、否定はしないよね?」
今度はイエスともノーとも答えにくい問いかけだ。
いや、一応問いかけの如く語尾を持ち上げてはいるが、彼女の中で答えなど決まっているだろう。
ニヤニヤと緩んだその口元がそれを示している。
紅は彼女の笑みを視界から外すように手元に視線を落とし、はぁと溜め息を吐き出した。
数学の教科書とノートを手に持ち、トントンと意味も無く机に当てて揃えてみる。
そして、窓の外を見下ろした。
まだまだ暑いと言うには少しばかり涼しい気候。
差し込んでくる日差しも今が丁度良く、薄く開いた窓からは爽やかな風が差し込んでいた。
この時期の窓際の席は最高だなと思いつつ、グラウンドを一瞥する。
白と黒のボールを追いかける集団を見つけ、知らず知らずのうちに口元を緩めた。
その僅かな変化すらも、目の前の親友にはお見通しなのだろう。
「あいつらが不良だったなんて想像も出来ないくらいにサッカー少年よねー」
紅に倣う様にしてグラウンドを見ていた悠希がそう漏らす。
教師すらも、彼らがここまでサッカーで変わるとは思って居なかったらしい。
少しとは言え成績も上がり、素行も良くなった。
「雪耶さん様様ね」
なんて廊下で顔を合わせた保健教諭に言われた時には、流石の紅も返事に困ったものだ。
それでも、彼らのあの楽しげな笑顔の手伝いが出来たのだと思えば…誇らしい気持ちは後を絶たない。
「食べた後は動かない方がいいって言ったのに…」
「あんた、母親じゃないんだから…。それに、そんな柔な奴らじゃないんだし、大丈夫でしょ」
「んー…まぁ、確かに」
そう言った後、紅が小さく「あ」と声を漏らす。
何かあったのか?と彼女の視線の先を探れば、こちらを見上げる人物に気付く。
周囲のメンバーよりも一回り小柄な彼が誰なのか―――考えるまでも無かった。
彼は何かを言おうと口を開いた後、ポケットから何かを取り出して顔の辺りまで運ぶ。
これだけ離れているとそれが何かわかる筈もないのだが、耳元に当てている姿を見ればそれが携帯なのだと理解出来た。
数秒とおかずに、紅がピクリと肩を揺らして、鞄の中に手を突っ込む。
取り出したのは先日一台目が壊れ、新たに購入したばかりの真新しいそれ。
マナーモードにしてあるのか音は無く、けれどもディスプレイの傍のメーカー名が水色に点滅していた。
「何?―――うん。あー……数学だよ。そう。えー…今から行くの?あと20分なのに?」
携帯を耳に当て、紅はあまり大きくない声で話す。
そんな彼女と、グラウンドからこちらを見上げている彼を交互に見つめる悠希。
「(なーんで付き合わないのかなぁ…。)」
「悠希ー。グラウンドに来ないかって言ってるんだけど、悠希はどうする?」
考えを遮るように、紅が携帯から口を話して彼女に問いかける。
悠希は、と言っているという事は、彼女はグラウンドに行くつもりなのだろう。
その間悠希が一人になるからと、敢えて返事を待って尋ねているのだ。
恐らく「行かない」と答えれば、彼女は少し残念そうにしながらも携帯に向かってごめんと告げるだろう。
彼女はそういう人間だ。
「いいよ、行っても。気持ち良さそうだし」
そう答えれば嬉しそうに表情を綻ばせて頷く紅。
そして、再び携帯に向き直った。
数秒で通話が切られ、紅が「行こ」と悠希に笑いかける。
どこか足取りの軽い親友の隣を歩きつつ、悠希はそっと苦笑を浮かべてみた。
「この距離が一番いいと思ってるのかな」
「何?」
「何でもないよ」
そんな言葉を交わし、二人は生徒用玄関へと向かう。
「誰と電話しとったん?」
「紅」
短く答え、翼は携帯をポケットに戻した。
答えてもらえるとは思わなかったのか、はたまた電話相手が意外だったのか。
恐らく前者だが、兎に角直樹は少しばかり驚いた様子だった。
「雪耶を呼んだのか?」
「うん。暇そうに見下ろしてたからね」
「よぉ見えたなぁ…こんな所からやと識別も危ういわ」
目の上に手を翳すようにして、自身の教室を見上げる直樹。
彼の様子を見て翼が呆れたように肩を竦めた。
「見てればわかる」
そう答え、さっさとボールの方へと歩き出す。
その背中を見送ってしまった直樹の傍らで柾輝がクツクツと笑いを押し殺していた。
「アレは惚気やろか…」
「さぁな。どっちにしろ、翼だけの芸当なんじゃねぇ?」
グラウンドの端…校舎の方から歩いてくる二つの影が見えたのは、丁度その頃だ。
事が起こったのは、翼が転校してきて数週間。
もう間もなく一ヶ月が経とうとしている頃だった。
生徒用玄関で上履きに履き替えた紅が、白い封筒を片手に溜め息を吐き出していた。
「おはよう、紅。……また?」
ポンと背後から肩を叩かれ、紅は振り向きながら「おはよう」と返す。
彼女の手元を見るなり、悠希の表情は歪む。
そしてその真っ白な封筒を指先で取り上げてしまい、天井に添えつけられている電灯に翳す。
「相変わらず真っ白な封筒に一輪のポピーの押し花。手が凝り過ぎてて気障よねー…捨てれば?」
「そうなんだけど…捨てるのも気が引けるし…」
紅はそう答えて、はぁと短い溜め息を零す。
そんな彼女を見て悠希は封筒を手の中で遊ばせながら思い出したように声を上げた。
「椎名には話したの?」
「兄さんにも話してないのに?」
「暁斗さんにも話してないの!?」
即座に返ってきた言葉に悠希は驚く。
馬鹿じゃないの、と言う言葉は何とか飲み込む事に成功したが、そう思うのはやめられない。
あのシスコンと言っても過言ではない兄だ。
一言困っているのだと話せば何をおいても親身になってくれるに決まっているのに…。
そんな想いを込めて紅を見つめるが、彼女は困ったように笑うだけだった。
「兎に角、明日も手紙を貰うようならどっちかに相談しなよ」
「うーん…明日にはなくなると思うよ。そろそろ飽きると思うし」
「二週間も続いてるのに今更飽きるも何も無いでしょうが…」
彼女の言葉でわかるように、紅の靴箱にこの白い封筒が置かれるようになったのは今から二週間前。
それから毎日欠かす事無く置かれているところを見るとかなりマメだな…と思ってしまう。
紅の考えをしっかりと察した悠希は、その危機感の無さに人知れず溜め息を零した。
「明日相談しなかったら、私が直接暁斗さんに言いに行くからね」
「…わかった」
悠希が直接言いに来れば、ある事ない事喋られるだろう。
紅は眉を寄せつつも、仕方なく頷いた。
「それにしても…これ、花と封筒の無駄だよね」
「あんた…自分がそんな気味の悪いものを貰ってるのによくそんな事言ってられるわね」
紅は白いそれを見下ろしてポツリと呟く。
それに対して、悠希が呆れたように答えた。
「椎名には言った方がいいと思うんだけどなぁ…」
悠希の声を聞きながらも、紅は敢えてそれが聞こえなかった振りをした。
そんな彼女らを遠くから眺めている人影があったことに、二人は気づいていない。