幼い記憶 エンヴィーver.
コウは腰のベルトから銀時計を千切り取った。
勢いに負けた鎖が硬い石の床に弾けて転がる。
それを、机の上に置いた。
中央に設置された机から踵を返す。
そして、足をエンヴィーの傍へと進めた。
「…今まで、ありがとう」
背中を向けたまま、言葉を発する。
彼が居なければ。
たった一人で真実を探す旅に出るなど、出来なかったかもしれない。
共に笑って、怒って…泣いて。
この旅の記憶は本物で。
彼への思いも確かにあった。
それでも―――
「…おいで」
他に何も言わず、ただそれだけを言って。
エンヴィーはコウに手を差し出した。
あの日と同じように。
コウは黙ってその手に自分のそれを重ねる。
「――――っコウ!」
エドが叫ぶ。
コウは足を止めるが、振り返ることは無かった。
「……怪我…するなよ。もう…助けてやれねぇから」
その声を背中で受け止めて、コウは階段に足をかけた。
ブーツが石の階段と擦れて音を立てる。
徐々に遠ざかる部屋の明かり。
繋がれた手はエンヴィーの体温を伝えてきた。
だが、決して束縛する物ではない。
そして、コウはエンヴィーと共に部屋から出て行った。
「引止められねぇよっ!」
ガンッと机に腕を叩きつける。
その衝撃で置かれていた銀時計が床に転がり落ちた。
秒針が動きを止める。
まるで、今ここで止まった二人の時間のように。
「本当に……本当に大切だったんだ……」
付け替えたばかりの機械鎧を何度も机に打ち付ける。
机に広がる研究資料が、エドの視線を引きつけた。
語られなかった部分を補うように、全てが書かれているそれ。
エドは黙ってそれを持ち上げた。
それを読み終えると、ゆっくりと目を閉じる。
去り際、コウが小さく言った言葉。
「『ありがとう。本当に、好きだったよ…』か…」
崩れるように床に座り込むと、腕で目を覆う。
「俺も…好きだったぜ、コウ…」
音のない部屋で、エドの銀時計だけが静かに時を刻んでいた。
いつの間にか日は暮れ、太陽に代わって辺りを包むのは夕闇。
地下からの階段は庭の花壇の傍に続いていた。
新鮮な空気を肺へ送り込むと、次第に抑えていた感情が湧き上がってくる。
「我慢しなくていいよ」
そう言って、エンヴィーはコウの腕を引く。
自分の物とは違う体温に包まれると、コウはゆっくりと目を閉じた。
「好きだったの…本当に…っ」
「…うん」
「……っエドの事、忘れられないけど…っでも!」
「いいよ」
優しくかけられた言葉に、コウは顔を上げた。
その弾みで溜まった涙が頬を伝う。
エンヴィーは涙を指で拭うと、瞼にキスを落とした。
「いいよ。おチビさんの事、忘れなくても」
「エン…ッ…」
「ただ、俺の傍に居てくれるだけで十分だよ」
そう言って、エンヴィーは優しく微笑む。
「ねぇ、笑ってよ」
瞬きと同時に溢れた涙を唇で拭い、コウに向かって言う。
コウは少し俯いた後、エンヴィーを見上げて微笑んだ。
「…ありがとう」
「うん。やっぱりコウは笑ってないとね」
コウの笑顔を見て、エンヴィーは腕を緩めた。
身体を離すと、再び手を取って歩きだす。
「お父様の所に行かないとね」
「お父様…」
「ああ、大丈夫だよ。お父様にはコウの事ちゃんと話してあるし…心配してたからね」
先ほどとは違い、エンヴィーは明るい声で話す。
コウも表情を取り戻しつつあった。
「あの…ラストさんは?あの人もホムンクルス?」
「そうだよ。他にも色々居るけど…手は出させないから安心して」
「そんなの心配してないよ」
クスクスと笑みを零す。
その様子に、エンヴィーは少しだけ安堵の表情を見せた。
「エンヴィー」
「何?」
「ありがとうね。錬金術を教えてくれて…」
「大したことじゃないけど…」
「大したことじゃなくても…嬉しかったから」
「ふぅん…」
コウは立ち止まって、エンヴィーに向かって笑顔を見せた。
「大好きだよ!」
『君、一人なの?』
『お父さんもお母さんも居なくなっちゃったから…』
『そっか。なら、俺と来なよ』
『?』
『一人にしないから。俺とおいで?』
どれが本物で。
どれが偽物で。
それはまだわからない。
でも、それでいいんだよね。
記憶は……新しく作ればいいから。
そう、私の幸せはあなたの傍に。
The End.
(05.01.22)