闇の支配者 23
薄闇の中、電灯の明かりが女性の姿を映し出す。
長い金髪を揺らし、コウはマース・ヒューズ准将が殺害された電話ボックスの近くを歩いていた。
別人の顔立ちに似せて自身を作り変えたコウを、彼女だと気づく者はいない。
彼女の隣を付かず離れず歩く漆黒の犬の首輪に繋いだ紐を片手に、そのブーツを鳴らした。
「すみません。少しよろしいですか?」
「…はい?」
振り向いた先に居たのは、青い軍服に身を包んだ人物。
見覚えのない顔だった。
「中央司令部の者です。二・三質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
「あら、司令部の方なんですね。ご苦労様です。…構いませんわ」
人当たりの良い笑みを浮かべ、コウは犬を足元に座らせる。
傍から見れば、躾が行き届いているように見えるだろうが、二人の間にあるのは確固たる主従関係のみだ。
逆らうことなど初めから選択肢として存在しない。
「助かります。いつもこの時間に散歩を?」
「ええ。この子人見知りが激しいので、こうして人通りがなくなった頃に」
そう言って愛犬を撫でる優しい女性のように、彼女は犬の額に手を乗せる。
この犬は言うまでもなく彼女が生み出した合成獣だ。
薄暗闇の中、犬と瓜二つのそれを見分けられるはずもない。
軍人は当たりだ、とばかりに顔を明るくした。
「では、先月も?」
「先月…そうですね。雨の日以外はこうして歩いていますから」
「…軍部で詳しくお話をお伺いしたい!今すぐご同行願えますか?」
彼は己の標的を見つけたかのような勢いでコウにそう言った。
言葉と共に、彼女の紐を握っている反対側の手を取る。
その瞬間、己の右の方から僅かに洩れた殺気に、コウは思わず苦笑した。
「今日は無理です。この後予定がありまして…」
「あ、そうですか…困ったな…」
「何かお聞きしたい事でもありますの?」
「…先月、この時間に誰かと会われた記憶はありませんか?」
躊躇った後、彼はその質問を口にした。
軍にとって調査中の内容を第三者が居るかもしれない場所で口に出す事に抵抗があったのだろう。
紡がれた内容に、コウは心中で口元を持ち上げる。
「この時間は滅多に会いませんよ。あぁ、でも…」
そこでふと言葉を区切り、ごく自然に右の方へと視線を向け、彼女は続きを述べた。
「すれ違いましたわ。今日のように軍の方と」
答えを見つけた、とばかりに軍人の声が変わった。
「あー…疲れた」
バシンッと言う音と共に先程までの金髪が闇色に変化する。
同時に顔立ちや目の赤も戻ってきた。
「お疲れ。どうだった?」
「聞くまでもないでしょ?見てたんだから」
合成獣の首輪を解いて檻の中へと戻し、コウはニッと口角を持ち上げる。
背後から声をかけてきたエンヴィーは彼女の笑みに肩を竦めた。
「当たり前でしょ?軍の奴らに変なことされても困るからね」
「僕がそんな簡単にやられるわけないよ」
「ま、その辺はちゃんとわかってるんだけどね」
「…どうだか」
コウはトンッと床を蹴ると、合成獣の入った檻の上に腰掛ける。
彼よりも高くなった視線を満足げにおろし、その紫の目とそれを絡める。
「で?手ごたえは?」
「大丈夫だよ。問題ない。明日軍部に行って…君の言っていた彼女の特徴を話してくればいいんでしょ?」
楽な仕事だよ、と彼女は笑った。
エンヴィーは彼女を挟み込むように檻の屋根へと両手を付く。
接近した距離に照れる事なく、コウはその髪に指を通して目を細めた。
「本当なら俺が行くつもりだったんだけどね」
「別にいいよ。最近これと言って動いてなかったから暇だったし。君も忙しいでしょ?」
「コウを軍に放り込むよりも忙しい方がマシだよ」
「…ラースが居るから平気だって」
過保護は時として己を縛る物だが、彼のそれは心地よい以外の何物でもない。
案じてくれるその一言にさえ喜びを感じられる事を、コウは素直に喜んだ。
髪を梳いていた手を彼の首へと回し、丁度いい高さにあった額に軽く唇を当てる。
「君の役に立てるなら、それ以上に嬉しい事はない。…知ってるでしょ?」
「………そうだったね」
失念してたよ、とエンヴィーが苦笑を浮かべる。
本当に忘れていたのか、それとも思い出さないようにしていたのか。
明らかに後者だとは思うが、コウはそれ以上何も言わない。
「ねぇ、ラースだけでも十分だったかな?」
「さぁね。ま、一般市民とやらの声があった方が軍も動きやすいだろうし…いいんじゃないの?」
その辺りにはさして興味がないのか、エンヴィーは事も無げにそう答える。
特に気にした様子もなく、コウはぬいぐるみを抱えるように彼の首に腕を回していた。
いつもは抱き込まれる側なだけに、偶にはこうして抱きかかえるのも悪くはないなと思う。
「…いつまでそうしてるの?」
「んー…気が済むまで」
自分の頭を抱えたままのコウにエンヴィーは短い溜め息を漏らす。
いつの間にか背中から抱きこまれるような姿勢へと変わっていた己の身体を反転させ、コウと向き合った。
少しだけ不満げに首を傾げたコウ。
「…残念だけど、タイムアップ」
そう言ってエンヴィーは、訳のわからない表情のままのコウの身体を抱き上げる。
軽い、と言えば軽いその身体だが、何より愛しいその存在であると言う重さがあった。
「俺は抱かれるより抱く方が好きだからね」
「…その言葉、変な風に聞こえるよ」
「何なら望み通りにしようか?」
楽しげに笑う彼を見ているのはとても楽しい。
だが、このまま沈黙していればそれが肯定と取られるのはまず間違いないだろう。
「…明日は朝から軍に呼ばれてるから嫌だよ」
「そう言うと思ってたよ」
彼の浮かべたそれは気を悪くしたものではなく、寧ろ自分の思惑通りだったと言う笑みだった。
「所で…。何であの女?他の…そうだね。名前も知らないような軍人でも良さそうだけど?」
廃屋の窓から見える月は冷たい光を二人の元へと注いでいた。
「名前も知らないような奴じゃ、焔の大佐の頭に残らないでしょ」
「あぁ、そう言う事。あの女なら…第五研究所の時の発砲が上手く使えそうだしね」
「さすが。そんな事まで覚えてたんだ?」
エンヴィーが口角を持ち上げ、コウの頭を撫でた。
心地よさ気に目を細めた彼女は自身の髪の裾を指に絡めて遊ぶ。
「あーあ…おチビさんたちと関わったばっかりに。軍の中でただ目立たずに生きていればよかったものを…」
人事のように、ただ薄く笑みを浮かべてそう語るコウ。
言うまでもなく彼女にとっては人事なのだが。
コウはそのままの姿勢で、手の届く範囲にあった写真へと手を伸ばす。
正式な書類に使うためのものだったのか、写真の中の女性は真面目な表情を浮かべていた。
それをピンッと指で弾き、コウは口角を持ち上げる。
「本当に災難だね、マリア・ロス少尉?」
05.11.12