朱の舞姫

日が暮れ、町を祭りの賑わいが包み込む。
宿からそれを眺めていた紅は、ふぅ、と息を吐き出した。
あと1時間もすれば、彼の見世物が始まる。

「紅」

低い声で名を呼ばれ、振り向いた。
そこには既に用意を終えた高杉がいて、無感情な目で紅を見つめている。

「わかっているわ」

すぐに用意するから。
そう言った彼女は、隣の部屋に入って自身の帯に手をかける。
着物を着替え、部屋に戻れば、その場から動いていなかった高杉の視線が彼女に向けられた。

「不満そうだな?」
「…別に、不満と言うわけではないわ。少し…納得できていないだけ」

息子を思う親の気持ちを利用しているような気がして、と呟く彼女。
そんな紅に、高杉は僅かに口角を持ち上げた。

「真選組の連中には気をつけろよ」
「ええ。あなたも、あまり派手に動かないでね」
「俺は動かねぇよ。…今回は、な」

今回はただの様子見だ。
高杉も、おそらく本当に上手くいくとは思っていないだろう。
彼の脳内には、既に次の手が展開されているのだから。

「行くぞ」

着物を翻した彼に続き、宿を後にする。
もうこの宿に戻る事もないだろう。













これだから人ごみは嫌いなんだ。
紅は一人、そう呟いた。
そう、彼女は今、一人だった。
共に来たはずの高杉と逸れたのだ。
なんて迂闊な事を―――数分前の自分を叱ってやりたいと思う。
逸れただけならばまだいい。
紅の目の前には、黒い服の男―――真選組が居た。

「土方さんの言ってた事も、強ち間違いではなかったってわけか」

なるほど、と紅の全身を見回す、まだ若い青年。
紅は、それが真選組の沖田であると理解するだけの情報を持っている。
民衆が溢れる街中で刀を握りたくはない。
厄介な場所で厄介な相手と対峙してしまったものだ―――そう、自分の不運を呪う。

「そこのアンタ、俺の事わかってんだろ?」
「…見ず知らずの年下の男から“アンタ”呼ばわりされる理由は見当たらないけれど、ね」
「しかし…こんな身なりの良いお嬢さんって感じの女が高杉の…ねェ」

意外すぎる、と言う視線に、紅は冷めた目を向ける。
土方と言う男が気付いている事はわかっていた。
それなのに、真選組と出会ってしまったのは自分の失態。
恐らく、彼らは紅を餌に高杉を釣ろうとしているのだろう。
逃がす気のない沖田の様子を見ていれば、その考えが間違っていない事は確かだった。
馬鹿馬鹿しい―――紅は口元に笑みを浮かべる。

「仮に私が高杉の仲間だったとして…私を捕らえたとしても、あなた達の望むように事は進まないわ」
「それは試してみればわかる事ですぜ」
「無意味だ、と言っているの。過激派攘夷志士を束ねる男が、女一人を優遇しているとでも?」

それはありえない事だ。
高杉は、紅が障害になるならばその刀で彼女を斬る。
昔、二人の間で交わされた約束は、今も変わらず彼らの関係に寄り添っているのだから。
苦笑に似た笑みを浮かべた紅は、ふと背後から近付く気配に気付く。

「残念だけれど…私に、人質としての価値はないわよ。それに―――捕まるつもりもない」
「あれ、姉御?」

紅の背後から聞こえた声。
沖田の意識が一瞬、そちらに向けられた。
その一瞬の間に紅はその声の主の更に後ろへと移動する。

「久しぶりね、神楽」
「やっぱり、あの時の姉御ネ!元気にしてたアルか?」
「ええ、とても。あなたも元気そうだわ」

後ろから肩に手を乗せるようにして、顔を覗き込んで会話を楽しむ。
傍からは仲の良い姉妹のように見えただろう。
しかし、現実は違う。
神楽はそう思っているかもしれないけれど、少なくとも紅は彼女を利用した。
沖田と自分の間に神楽を置く事により、不用意に刀を抜けないように仕向けたのだ。
それを理解している沖田は、チッと舌を打つ。

「姉御は一人アルか?」
「いいえ、連れと逸れてしまったの。神楽は?」
「銀ちゃんと逸れたアル」
「ふぅん…銀時なら―――ほら、向こうから来るわよ」

沖田の向こうに見えた影を指差してそう教える。
すると、神楽はパッと笑顔を浮かべて「銀ちゃーん!」とそちらに向かって走り出した。
自分に向かってきた神楽で、また紅の姿が見えなくなる。
慌てて神楽を避けて彼女の姿を探すも、やはり彼女はその場から姿を消していた。
彼女は一瞬の勝負の仕方をよく知っている。
小細工なしに彼女を捕まえるのは不可能だと感じさせるには十分過ぎた。

「チッ…厄介な女でさァ…」




「神楽!」
「銀ちゃん!この間話した女の人と再会したヨ!あっちに…あれ?」

銀時と再会し、あっち、と振り向いた神楽は、そこに居るはずの紅が居ない事に気付く。
あれ?と首を傾げる彼女の指先を追った銀時は、そこに立ち尽くす沖田の存在に気付いた。

「沖田くん。君が今捕まえようとした女は無関係だから。完全に忘れてくれて構わないから。
寧ろ、今見てたのは錯覚。気のせいって事で―――」
「旦那ァ」

背中を向けたままの沖田が、銀時を呼んだ。

「いくら庇っても、あの女は黒ですぜ。あんな物騒な眼の厄介な女、見た事ねぇや」
「……………それも、気のせいだ」

その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるためのもののようだった。













「晋助」
「銀時と会ったか?」
「目はあったけど、話はしていないわ。利用して逃げてきたから」
「そうか」

クッと口角を持ち上げ、楽しげに笑う。
そんな高杉の様子を見て、気付いた。
銀時をあの場所に差し向けたのは、彼だ。

「てめーを置いていくと来島が煩ェからな」

間接的とは言え、彼が彼女を助けた。
障害になれば斬ると言ったはずの彼が。
少しでも、必要とされているのだろうか。
そうであれば嬉しいと思う反面、いつか彼の妨げになった時の事を思うと、少し苦しい。
紅は小さく苦笑を浮かべた。

「銀時はどうだった?」
「…変わらねぇな、奴は」
「…そっか。銀時は…あちら側、だからね」

相容れぬ向こう岸の存在は、高杉の目にどう映ったのだろうか。
逃げ惑う人々の喧騒の中、二人は静かにその姿を消した。

09.10.10