黒揚羽
Target --100
「背が伸びたのね」
身体を包んでいた腕から解放され、振り向いた紅は開口一番にそう言った。
実年齢がいくつなのかは知らないけれど、既に高校は卒業しているのだろう。
ツナよりもスーツが身体に馴染んでいる様子だった。
「…雲雀?」
いつの間にか生まれた身長差の分、彼が見下ろしてくる。
目を合わせてからも無言の彼に、紅は疑問符を浮かべた。
「―――5年間…君が言ったように、多くのものを見てきた」
彼は、言葉を選びながらゆっくりと話し出す。
その一言も聞き漏らすまいと、紅は口を結んで彼を見つめた。
「考え得るだけのことを見て、そして体験したつもりだ」
「…ええ」
わかる、と思った。
もう、5年前―――紅が幼いと表現した彼ではない。
彼が見た多くのもの、体験したこと…そのすべてを、彼の目に感じ取ることができた。
「君の考えに触れられるかと思って、女に近付いたこともある」
「…考えに触れられた?」
「……………」
返ってきた沈黙に、紅はおや、と首を傾げる。
男として成長する中には、女性に対する扱いと言うものも含まれてくる。
そう言う意味で女性に触れることも、彼の成長には必要なことだったと思った。
罰が悪そうに視線を逸らした彼を見ると、何となく答えが見える気がする。
「…あんな弱い生き物に傍を許すのは…無理だ」
苦々しく告げられた言葉に、紅はまるで現場が見えるようだと苦笑した。
きっと、彼は彼なりにとても我慢したのだろう。
弱く、守らなければならない存在―――弱さを草食動物と表現して嫌う彼にとってそれ以上の苦痛はない。
彼の求める強さは、精神的なものではなく肉体的なものなのだから、眼鏡に適う女性の方が少ない。
笑いをこらえる紅に、雲雀は少しだけ不機嫌な表情を作り、そして続けた。
「でも、その経験のおかげで気付いたこともある」
「どんなこと?」
「僕は、君を好きじゃなかった」
言葉として言い表すならば、それは驚きだったのだろう。
彼がこの場に現れたことで、5年前の約束が果たされるのだと思っていた。
やはり、彼の心は変わらなかったのだと…そう思っていたのだが。
現実は違っていたと言う事なのか。
紅の心に浮かんだのは、純粋な驚きか、それとも寂しさだったのか。
雲雀はスーツのネクタイを緩め、襟元のボタンを一つ外した。
そこから引っ張り出したチェーンの先にぶら下がっていたのは、ゴールドのピルケース。
話の流れから察するに、その中身は紅が渡した例の薬だろう。
雲雀は躊躇いなくチェーンを引き千切り、紅の手を取ってその手の平にピルケースを落とす。
そして、彼女の手ごとそれを握りしめた。
「この言葉を教えてくれたのが君じゃないことは一生不愉快だと思うけれど…言われなければ知らなかった。
言われた瞬間に、この言葉こそが君に向けるべき言葉だと気付いた」
彼が何を言おうとしているのか、わからなかったわけではない。
何かを紡ごうとした紅自身を止めていたのは、他でもない彼女自身だ。
その続きを聞きたいと思う部分が、言葉を喉の奥へと引っ張り込んでいた。
「紅、君を…愛してる」
その声が耳に届き、紅は初めて彼の視線から逃げた。
顔を俯かせた彼女は、少しだけ沈黙した後、小さな声で言う。
「年の差…理解している?」
「うん。でも関係ない。君じゃなきゃ駄目だけど、年齢はどうでもいい」
「…そう…」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………あの、ね」
沈黙が痛い。
急かさないようにと努力している空気は感じるけれど、その中に確実に答えを待つ空気もある。
ビシビシと痛いほどに感じるそれに、紅は苦笑した。
「正直…あなたに同じ言葉を返せない。でも―――」
その続きを躊躇い、やがて彼女は顔をあげた。
彼女の表情を見た雲雀は、珍しくも驚いた表情で瞬きをする。
そんな彼の視線に気付き、彼女はふいと横を向いた。
まさかと思うけれど、しかしこの表情は、もしかして。
「―――嬉しいと、思ったわ」
頬を赤くし、どことなく困惑した様子で…けれど、彼女は綺麗に微笑んだ。
紅のその表情を直視した雲雀は、口元を覆って顔を背ける。
「…雲雀…?」
「………可愛い」
「な…!一回り近くも年上を相手に可愛いはないでしょう!」
心外だ、と少し声を大きくした彼女は、相変わらず赤い頬をしていた。
そんな彼女の頬に雲雀の手が伸びれば、彼女はそのまま言葉を失う。
「君のそう言う自然体な反応、初めて見る。やっと―――届いた」
「…雲雀、あのね…私はまだ…」
「うん、わかってる。でも、今の反応だと脈なしってことはなさそうだし」
そう言った彼が、ピルケースを持たない方の手を取り、その手の平に口付ける。
「今はまだ傍にいてくれるだけでいいから…帰ってきて」
手の平のキスは、懇願。
彼がそれを知っているのかどうかはわからないけれど、その言葉はまさしくそれだった。
真剣な表情に小さく息を吐く。
「今の仕事だけ片付けたら…ディーノに許可をもらうわ」
真剣に考えると約束した。
進む先は見えている気がしたけれど、まだ少し心が追い付いていないから。
「ねぇ、紅」
「はいはい、どうしたの?」
「恭弥」
「…うん?」
「名前で呼んで」
「………仕方ないわね。また、よろしく―――恭弥」
彼の傍で考えて―――そして、答えを出そう。
きっと、そう長くは待たせないだろうけれど。
The End.
(06.08.17 ~ 10.08.08)