Restart
ザザン…ザザン…と波が打ち寄せては引いていく。
―――あぁ、またか…流しそうになる涙を、奥歯を噛んで堪えた。
無意識にシャツの裾を捲れば、浅く履いたショートパンツの上に、それは存在した。
臍の下、子供らしくふくよかなその下腹部に似合わない、横一文字の古傷。
まるで、忘れることは許さないとでも言うように。
他の全ての傷は消えるのに、これだけは消えない。
「大丈夫。忘れない…忘れないよ、絶対に。今度こそ―――」
ここからまた、再スタートだ。
子供の身体は本当に不便だ。
なんてか弱いのだろう―――コウは、必死にトレーニングを重ねた。
村の大人に見つかると、「女の子なんだから」と止められてしまうと知っている。
だから、コウがトレーニングを行うのは専ら、夜が明ける前だった。
いつものように砂場をランニングしたコウは、体力を回復するためにドサリと砂地に倒れこんだ。
まだ薄暗い空を見上げ、荒い呼吸を繰り返す。
そんな彼女だが、突如として体を起こし、振り向いた。
「ほぅ、気付いたか」
中々じゃの、と笑ったのは、彼女の祖父であるガープだ。
海軍にいるはずの彼がどうして、というか見つかってしまった。
コウの表情は、言葉はなくとも十分にその心中を表していた。
「偶然じゃよ。さっき船が着いたところじゃ」
「…そうなんだ、お帰り」
「おう、ただいま!」
屈託なく笑うその表情に、まだ幼い弟が重なった。
隣に座るガープに、コウは視線を水平線へと戻す。
彼はきっと、自分を叱りに来たわけではないと気付いたのだ。
「随分と過酷なトレーニングじゃな」
「…うん」
「…何か、あったか?」
まだ子供だが、彼女は賢い子だ。
こんな時間に子供が外でトレーニングをすることが、常識的に良いことではないとわかっているはず。
となれば、何かしらの理由があるのだろうと、ガープは察した。
「…おじいちゃん、私ね。海軍に入りたい」
「………理由を、聞いてもいいか?」
「…ルフィや、エースたちが、海賊になるっていうの」
膝を抱えたコウは、静かに話す。
アイツらはまだそんなことを!!と怒るも、今はコウの話だと怒りを心の中に沈める。
「この世界では、海賊は悪者で、海軍は正義だから―――でも、ルフィたちは止められない。
それなら、誰かの手に捕まるくらいなら…ルフィたちを捕まえるのは、私の役目」
ガープは黙ってコウの話を聞いた。
その横顔を見下ろし、眉を顰める。
子供らしくない、暗く、けれども強い眼差しだ。
これは覚悟を決めた者の目だと、否応なく気付く。
自分が留守のひと月ほどの間に、何がこの子を変えたのだろうか。
「お前には村で静かに暮らしてほしいと願っておったんじゃが」
そう思っていた。
けれど、この目を見てしまえば、それは叶わぬ夢なのだと理解した。
「行く道は険しいぞ」
「うん―――知ってるよ」
「…そうか」
知っている、というその言葉に、どれほどの覚悟が詰まっているのだろうか。
大人である自分ですら、ゾクリと背筋が粟立つ彼女の空気は、何なのか。
「エースは、良いのか?」
「…おじいちゃん、気付いてたんだね」
まいったなぁ、なんて言いながら笑うけれど、その表情にもやはり子供らしさはない。
「うん。大事だよ。ルフィも大事。だから、海軍に入るの」
おじいちゃんもそうでしょう?と言われて、そうじゃの、と頷く。
この覚悟を「子供だから」と聞き流すことはできそうにない。
いずれ、彼女は自らの足で選び取るだろう。
それなら、今であれば―――まだ、自分が手を貸しても許される。
「出発は明日の夕方じゃ」
「!おじいちゃん…っ!!」
「誰にも言わんでいいぞ。ワシが勝手に連れ出すんじゃからな」
自らの意思でそうするのだと、告げなくてもよいと。
反対されるとわかっているからこそ、これは二人だけの密約なのだ。
「海兵になる以上は、ワシも孫だと思わん」
「…はい!」
「………コウ」
真剣な声色に、コウは居住まいを正す。
「これだけは約束するんじゃ。―――死ぬな」
「…この命を無駄にはしません、ガープ中将」
これは、命を捨てるための選択ではないのだ。
理由の全てを明かすことはできないけれど、ガープに対しての想いがないわけではない。
この人が、どれほどにコウの、そしてルフィやエースのことを想ってくれているのかを知っている。
だからこそ、この人しかいないと思った。
「ありがとう、おじいちゃん」
「…可愛いコウの願いは無碍にできん」
困ったように笑う祖父に、思い切り抱き着いた。
18.07.07