Warmth  後編

結局考えが纏まらないままに夜が明けた。
兄との訓練もサボったから、恐らく今日は説教で一日が終わるだろうとキルアは溜め息を吐き出す。

「やっべー…絶対怒られるって」
「解ってたならちゃんと訓練ぐらい来たらどう?」
「!!」

ポツリと漏らした言葉に返事が返ってくるとは思わなかった。
膝の子犬が驚く程に飛び上がったキルアの視界に映ったのは、言うまでもなくイルミ。

「あ、兄貴…。ごめん…」
「………それ、何?」

彼は部屋の扉にもたれたまま、キルアの膝の上を指す。
指されている子犬はと言うと彼に近寄っていこうかと悩むようにキルアと彼を交互に見やった。
子犬を見下ろす冷たい眼に、キルアは思わず己の腕で隠すように抱き込む。

「こいつは…俺の友「私の仕事。里親探しで忙しいからキルアに預かってもらってたの」」

友達と言おうとしたキルアの声を遮るように上がった声。
イルミが扉にもたれるのをやめるなり、彼女は部屋の中へと侵入した。

「ありがとうね、キルア。で、どこの家がいいと思う?」
「え、あ…ここ」

彼女の笑顔に押されるままに、キルアは自分でも「ここなら…」と思っていた家族を指した。
情報に目を通したコウはうんと頷いて彼の頭を撫でる。

「キルアも見る目あるわね。じゃあ、ここの家族と話を進めることにするわ」

そう言ってキルアの手から書類を受け取ると、コウはスタスタと歩き出す。
だが、思い出したようにドアノブに手をかけて振り向いた。

「あぁ、イルミ。その子犬、私の仕事の子だから…手、出さないでね」
「…解ってるよ」

仕事の関連と言えば彼が手を出す事はない。
それがわかっているからこそ、コウは頷いて部屋を出て行った。
妙な沈黙が室内を支配する。

「あーあ…折角いいターゲットだと思ったんだけどな」
「ターゲット…?」
「その子犬。キルが大事にしてるなら殺しとしては最高の標的だろ?殺し屋に友達はいらないよ」
「――――っ!!」

ギュッと腕に力を篭めると、子犬がやや苦しそうに腕の中から這い出した。
だが、イルミの元へと駆け寄らない辺りは本能的に悟っているのかもしれない。
そんなキルアの反応に満足したイルミはクルリと踵を返して扉へと向かう。

「コウに感謝しなよね。俺はコウの嘘に付き合ってあげたんだから」

イルミの残した言葉に、彼女の辛そうな表情の原因を垣間見た気がした。















パソコンのキーボードを叩きながら、コウは人知れず溜め息を零す。
それを聞きつけたルシアやスノウが心配そうに見上げるが、彼らに微笑む余裕すらなかった。

「本当は…もっと子供らしく成長させてあげたいのにね…」

婚約者とは言え所詮は居候の身。
気兼ねせずにと言われてもそうはいかないのがコウの性格だ。
せめてキルアが大切にしている子犬を手にかけずに済むように。
コウに出来る事はそれくらいしかなかった。

「とりあえず、色好い返事はもらえたから良しか…」

タンとキーを叩き終えれば、画面に映し出されたのは例の家族へのメール。
彼女は画面を切り替えて彼らからの返信を読むと、静かにそれを閉じた。
自分の情報屋としてのスキルを存分に生かして色々と調べてみたが、問題ないごく普通の家庭と言う事が判明。
丁度犬でも飼おうかと言う事で、今回コウの「里親探し」情報に引っかかったと言うわけだ。
いや、引っかかったと言うよりは運よく見つけてくれたと言った方がいいだろうか。

「まさか子犬の引渡し先が殺し屋とは思わないでしょうね」

メールの内容からも読み取れるくらいに喜んでいる向こうの事を考えれば、これは絶対秘密だなと思う。
もっとも、そう易々と己の内を明かすつもりなど更々ないが。
パソコンの電源を落さずにスタンバイ状態にした時、部屋の扉がノック音を響かせた。
何ともグッドタイミングである。

「どうぞ?」

クルリと椅子を回して机の方から向きを変えてドアの方へと向き直る。
躊躇いがちに開かれた扉の向こうに居たのは、コウの予想通りの人物だった。

「入っておいでよ。久しぶりにお茶でもしましょう?」

優しい笑みを浮かべたコウに、キルアは俯いたまま頷いた。
腕に抱いていた子犬を下ろしてやると、子犬は嬉しそうにルシアやスノウの元へと駆けて行く。
唸る事も邪険にする事もせずに相手をする二匹にはさすがとも言うべき貫禄が窺える。

「暫く遊んであげてね」

そう言ってルシアとスノウに声を掛ければ、彼らは答えるように一声あげた。
食器の当たるカチャンと言う音以外、部屋の中に音と言う音は無かった。
キルアに程よく温めたアールグレイを置いた時に「どうぞ」と声を発して以来、コウも何も言わない。
無論彼が何かを言えるはずもなく、心地よいのか悪いのか微妙な空気が部屋の中を占めていた。

「あ、のさ…」
「ん?」

沈黙を破ったキルアは躊躇いながらも口を開く。
視線は彼自身が映っているであろう水面に落とされたままだ。

「…いい人だった?」

交わる事の無い視線が告げる彼の言葉。
湯気立つカップを置くと、コウは印刷しておいた返信内容を彼に差し出した。

「文句なくいい家族だと思うわ」
「そっか。…………あ、りがと…」

震える声に気づかない筈は無いが、コウがそれを追究する事はなかった。
ただ優しく「どういたしまして」と返し、彼の銀糸を撫でる。
細い指に髪を梳かれる感覚に、キルアの中で堪えていたものが溢れた。
握り締めた紙にポタポタとシミが広がっていく。
声なく涙を流すキルアに、コウは彼の頭を撫でる仕草を繰り返した。












その後、子犬は無事例の家族へと引き取られた。
引渡しの時にはキルアもコウと一緒にその家を訪れたので、彼自身もそれなりに満足できたらしい。
数日は表情を落としていた彼の心を癒したのは時間だった。

「姉貴!今日暇!?」

自室の窓に向かって届く声に、パソコンに向かっていたコウはクスリと笑みを零す。
彼がいるであろう場所が見えるベランダへと移動してそこから彼を見下ろす。

「また修行?」
「うん!」
「いいわよ。少しだけ待っててね」

そう言って部屋の中へと引っ込めば、追うように「早くな!」と言う声が掛かる。
先に向かわせたルシアが彼の元に到着したのか、楽しそうな声がコウの元まで届いた。
そんな彼の声に口元を緩め、さっさと切り上げてしまおうとパソコンへと向かう。

05.12.01