Topaz 05 前編
彼に初めて出逢ったのは、1年生の夏休みの事だった。
「紅ー?どうしたの?」
終業式から三日目。
私と悠希はいつもと変わらず部活に勤しむべく、通学路を歩いていた。
そんな私の視界に映りこんだ、一人の子供の姿。
「ねぇって!」
「あ、ごめん。何?」
「何じゃないでしょ?あの子見てたの?」
悠希が私と同じ方を見つめ、その少年を視界に捉えた。
私が軽く頷けば、悠希はポツリと「危ないわね…あんな道路の脇で」と呟く。
そう。まさに私が考えていた事をそっくりそのまま。
車通りの多い道路に面した歩道で遊んでいる少年。
その足取りはお世辞にも安定しているとは言えないものであった。
「親は居るのかな…?」
「さぁ?私達が気にする事でもないって。ほら、部活遅れるよ?」
そう言って悠希が私の腕を引く。
その勢いに乗って一度は歩き出した私だったが、いつまでもあの少年が気になった。
ふと、前方へ向けていた視線を彼の方へ向ける。
その時私の視界に映ったものは――――
「…紅!?」
悠希の声を背中に感じながら私はその場から走り出す。
私が見た時、段差につまずいたのか、少年は地面に転がっていた。
運の悪い事に、道路側に身体の半分を投げ出すようにして。
自慢じゃないけど、足の速さには自信がある。
次第に縮まる少年との距離。
私は他に何も考えずに、ただ驚きの表情を浮かべる少年を抱き寄せた――
「紅――――っ!!」
耳に届いたのは悠希の叫び声と、そして車のブレーキ音だけ。
ポタポタと赤いそれが流れ落ち、地面に円状に溜まった。
周囲の喧騒は紅の耳には届かない。
彼女は自分の腕に抱いていた少年に向かって僅かに笑みを浮かべた。
「大丈夫?」
少年が頷くのを見て、紅はその右腕をゆっくりと解く。
ズキンッと痛んだのは動かした方の腕ではなかった。
解く為に動かした右腕の振動がそのまま左腕の傷に鈍痛を伝える。
「――――…っ…」
紅は痛みに顔を顰めた。
自らの鼓動に合わせるようにドクンドクンと流れ落ちる血に軽い眩暈を覚える。
それにあわせて鈍痛を伝え続ける傷口。
死ぬことはないだろうが、気を失えた方が楽だったかもしれない、と紅は思った。
「…ちょっと我慢しぃや」
音のない世界に、それでもはっきりと聞こえてきたその声。
痛みに閉ざしていた視界をゆっくりと開いた。
「…あの子は?」
「あの子なら安全な場所に連れてったから安心し」
この辺りではあまり聞かないイントネーションに、紅はその人物を視界に捉えようとした。
しかし、それよりも早く腕に違和感を受ける。
先ほどまで流れ出ていた血が止まったように感じたのだ。
人物の方に向けようとしていた視線を、自分の左腕へと落す。
そこには鮮血に染まるタオルと、自分を支える腕があった。
「一応止血したけど…救急車が来るまで大人しくしといた方がええわ。結構出血しとるさかい」
彼の言葉にゆっくりと頭を動かして頷く。
「紅!聞こえてるの!?」
ここで漸く他の音が紅の耳に届く。
“大人しく”と言う言葉を守るべく、視線だけを声の方へと向ける紅。
先ほどから自分の腕を持ち上げてくれている彼と、親友の姿が視界に映った。
「自分、この子の知り合いか?」
「私の親友よ!まったく…っ!!子供助けて自分が怪我するなんて馬鹿よ!!」
「…ごめんね」
まだズキズキと痛む物の、止血のおかげか痛みに染まっていた思考が回復して来ていた。
紅は悠希に向かって僅かに笑み、その言葉を告げる。
よほど心配したのか、悠希の目には涙が浮かんでいた。
「…来たみたいやな」
彼がそう呟くとほぼ同時に、紅達の耳にも聞きなれた音が聞こえてきた。
赤いランプを点灯させて、救急車が彼女らの近くに止まる。
野次馬を押しのけ向かって来る救急隊員を見て紅は立ち上がろうとした。
しかし、それよりも早く浮遊感が彼女を襲う。
「え!?あ、あの…っ」
「動かん方がええって。あぁ、この子ですわ」
前半部分を紅に、後半部分を救急隊員に、それぞれ告げる彼。
彼の腕の中にいる以上暴れるわけにも行かず、紅は抱き上げられた状態で救急車まで運ばれたのだった。
「馬鹿」
「ごめんって」
廊下で待っていた悠希の第一声はそれだった。
彼女らしい言葉に苦笑を浮かべながら、紅は包帯を巻いた腕を庇うように歩く。
「どうするつもりなのよ」
悠希は彼女の腕に視線を落として問う。
紅は黙って微笑んだ。
「大丈夫。日常生活には何ら支障はないわ」
「そうじゃなくて!」
「悠希、ここ病院だから…」
ね?と首を傾ける紅に、悠希は怒鳴ろうと開いた口を閉ざす他なかった。
「…学校に連絡してくるわ」
「うん、お願い」
「携帯携帯…っと。ここじゃ使えないわよね。正面玄関を出たところで電話してくるから」
電源を切った携帯を握ったまま、悠希は正面玄関へと歩き出す。
その場を動かないように!と紅に言い残して。
紅は黙って彼女の背中を見送った。
05.06.25