桜花爛漫
もしかすると、一子相伝である結界能力を受け継いだところから、全てが始まっていたのかもしれない。
盗賊団の頭である妖狐の父と、九尾の母。
兄弟は兄と姉が一人ずつ。
盗賊団と言っても、兄が生まれた頃のように悪事と類されるそれではなく、所謂義賊だ。
父や母に影響を与え、更には魔界に統治者を設ける制度を生み出した人物は、今も時々遊びに来る。
「この近辺で悪さしてる妖怪が居るって話だぞ。頼めるか?」
彼がやってきたのは、今日の朝のことだった。
突然の来訪にも驚かなかった母が部屋へと案内し、飲み物を前に腰を落ち着けたところで告げられた内容。
父が困ったような表情で母を振り向いた。
「今日は時間が空いていないわ。私も、彼も」
「―――と言う訳だ。さて、どうするか…」
悩んでいる父が、ふと顔を上げた。
ぱち、と父と視線が合う。
…嫌な予感がした。
「…その妖怪のランクは?」
「報告ではAだったな」
「そうか。それなら―――紅」
名前を呼ばれ、「…はい」と返事をする。
僅かに微笑んだ父は、それはもう綺麗な顔で“それ”を口にする。
「大丈夫だな?」
「…父さん、私のランク、まだBなんだけど…」
「少しくらい強い相手と戦ってこそ、強くなるものだ」
こうなった父は梃子でも動かない。
諦めた私が用意をしようと部屋の出口へと向かうと、母がそれについてきた。
「準備はしっかりしていきなさいね。危険がないとは言えないから」
「わかってるよ」
「それと…悠希を連れて行きなさい。悠希、行ってくれるわね?」
「はい。紅様、ご一緒いたします」
母の肩に居た悠希が私の肩に移動してきた。
悠希は母の使い魔だけれど、私が生まれてからは、私の傍に居ることが多いという。
お目付け役というのが相応しいだろう。
「行ってきます」
「紅」
部屋から出てきたらしい父がそこにいた。
いつの間にか近づいてきていた父は、スッと私の頭を撫でる。
「お前なら大丈夫だ。だが…無理はするな。いついかなる時も―――」
「“冷静さを忘れるな”でしょ?」
物心が付いた時から何度も聞いてきた言葉だ。
満足げに笑った父は、頭を撫でてくれた手でスッと背中を押す。
行きなさい、と言う言葉の代わりとなる行動に逆らわず、両親に背を向けて歩き出す。
まさか、あんなことになるなんて―――この時には、予想もしていなかったけれど。
「さて、紅様…どういたしましょうか」
「とりあえず、動かない方がいいでしょ。あの感覚からして、妙な次元に巻き込まれた可能性も否めないから」
それよりも―――と眼下に広がる光景に目を向ける。
昔、兄に連れられた人間界と同じだ。
しかし、違うところが一つ。
「あちらこちらに妖気を感じるね」
「そのようで。更に言うならば、恐らく紅様の知る人間界とは少し違うようです」
「わかるの?」
「魔界への繋がりが感じられませんので」
「ふぅん…そっか。困ったな…」
とても困っているとは思えないほどに淡々とした様子の紅。
上の二人に輪をかけて冷静なところは、父によく似ているらしい。
尤も、その容姿は母と瓜二つらしく、父は彼女が怪我をすることを嫌っている。
「生活するにも、情報を得るにも…同じ妖怪の方がいいよね」
「同胞食らいの者でなければいいのですが…」
「その時は返り討ち。さて、と…一番近い妖気は―――」
気配を探り始めた紅は、難しそうな表情を浮かべた。
多少の探知能力はある物の、紅ほどではない悠希は彼女の様子に首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「近い妖気はあるんだけど…何て言うのかな…こう…薄められた感じ?凄く、弱い」
それに、と呟きながら、彼女はフェンスのところまで歩いていく。
生き写しといっても過言ではない紅が、躊躇いもなくフェンスのところに歩いていくのは不思議な感じだ。
彼女の母は、未だに高所の音を嫌うから。
「ここ、学校よね」
「ええ、そのようです」
「学校に妖怪?母さんや父さんのような妖怪なのかな」
カシャン、とフェンスに手をかけた紅の姿が、妖狐のそれから人間のそれへと変化する。
人間界で暮らした経験のない紅だけれど、変化だけは完璧になるまで教えられた。
特徴である耳と尾、そして鋭い犬歯が消え、兄弟では唯一の母譲りの金髪は亜麻色へと変化。
「あーあ…こんな事なら、コウ兄さんと朱音姉さんの話をちゃんと聞いておけば良かったなぁ…」
人間界についての情報は少ない。
関わるつもりはないのだからと、極力聞かないようにしていた。
「ま、何かありそうな妖怪は置いておくとして。
…あっちの方角に妖怪が集まってるみたいだから、行ってみようか」
後ろを付いてきていた悠希をひょいと抱き上げ、鉄製の扉へと向かう紅。
扉に手をかけたところで、思い出したように悠希を見下ろした。
「姿、消しておいてね」
「わかっておりますとも」
答えと共に気配が薄くなるのを見届け、よし、と頷く。
ギィ、と重い扉を開き、見知らぬ地への一歩を踏み出した。
「あれ?」
「どうしたの?」
「いえ…あの子の肩に、狐が…」
どれ?と指差した先には、今まさに校門を抜けようとする女子生徒の姿がある。
確かに、意識していないとわからないけれど、その肩に小さな狐が見えた。
「狐に憑かれてるのかな…」
「どうなんでしょうね。もしそうだとすると、あの狐はかなりの力を持った妖怪です」
「そうなの?」
「はい!だって、妖気をまったく感じさせませんから」
「…ここの生徒だろうし、もし危ない存在なら、気付くよね」
そう呟きながら、眼鏡をかけた少年は、教室の窓から見えるその小さな背中を見つめていた。
少年の名前は奴良リクオ―――そう遠くない未来に、紅との関わりを深める事になる、妖怪と人間の血を引く少年である。
09.08.05