記憶
Destiny Side story
「アズ、元気ないね」
リナリーは腕に抱いたアズの頭を撫でながらそう呟いた。
コウとアズが一緒に行動していないと言うのは、非常に珍しい。
と言うのも、全てはあのエリシアと言う少女が理由だ。
「あんなにもアズを怖がるなんて…前に、犬に襲われたりしたのかな?」
そう、彼女はアズが近づく事を頑なに拒んだ。
小さな手で必死にしがみ付いてくる少女に、コウはその手を振り解く事ができなかった。
仕方なくアズを三人の元へと残し、彼女と共に散歩に出かけたコウ。
それに続くようにして家を後にした三人は、目立たないように村の中を歩いている。
「あの子もそうだけど、アズの方が落ち込んでんなぁ」
そう苦笑を浮かべ、ラビがアズを受け取る。
どこか拗ねたような表情で見つめてくるアズ。
自分を置いて少女と出かけようとしたコウを、彼は全身で引きとめようとした。
しかし、コウはそれを宥めるようにしてアズを置いていってしまったのである。
まるで主人に留守番を言い渡された愛犬のように、彼の耳はしゅんと落ち込んでいた。
「コウはアズが嫌いになったわけじゃねぇさ。そんなに落ち込むなって」
な、と安心させるようにヘラリと笑い、アズを肩に乗せる。
それでもまだ不満らしいアズは、聞いているという意思表示に一度だけ尾を揺らす。
「…ユウ。何か静かじゃね?」
どうかしたんか?と首を傾げつつ、二人よりも少し後ろをついてくる神田を振り向くラビ。
元々口数の多い人間ではないけれど、いつもに増して静かだ。
そんなにあの少女に懐かれた事が気に入らないのだろうか。
「…おかしくないか」
ラビの予想を裏切るように、神田はそう声を上げる。
そんな彼の言葉に、リナリーとラビは歩いていた足を止めて振り向く。
「あのガキ、初めに会った時にはアズに怯えるような仕草は見せてなかっただろ」
「…そうだっけ?」
神田の言葉を聞き、リナリーがラビにそう問いかける。
彼は少しだけ悩むように「うーん」と唸ってから、確かに、と頷いた。
「そういや、普通だったよな。ユウが居たからじゃねぇの?」
「それにしても、急すぎるだろ。あれだと、まるで―――」
「まるで…コウさんを一人にしたかった…みたい…?」
一瞬口を噤んだ神田に続けるようにして、リナリーは顔色を青くしてそう言った。
所々に不自然な空白が生まれたのは、そこに「まさか」と言う信じたくないと言う思いがあったからだろう。
彼女は小さく肩を揺らし、口元を押さえる。
何と言う事だ。
それが事実だとすれば―――あの少女は、ただの子供ではない。
子供の独占欲と呼ぶには、あまりにも闇を含ませた行動だ。
「…っ!アズ、コウを探せ!」
ラビの声に答えるように、アズが隠していた翼をバサリと広げる。
即座に迷いなく移動を始める彼に続き、三人は走り出した。
頭の片隅で分かっていたのかもしれない。
拒む事ができなかったのは―――自分が過去に雁字搦めのように縛り付けられている証拠。
エクソシストだから、などと格好のいい事を言ってみたけれど、結局は強がりだったのだろう。
焼けるような痛みを伝える肩を押さえ、コウは息の塊を吐き出した。
「随分と…上手く化けるのね」
似ているなどと言うものではない。
まるで、知っているかのように、幾度となく記憶のエリシアに重なるような仕草を見せた。
「人間は記憶に弱いから。ちょっとそこを触ると、簡単に壊れるんだよ。
初めはね、あのお兄ちゃんにするつもりだったんだ」
屈託のない笑顔でそう告げる少女。
そんな彼女の小さな手は赤く濡れていて、ポタ、と地面に赤い染みを残す。
「でもね、お兄ちゃんの過去は面白くなかったの。だから、お姉ちゃんに変えたんだ」
クスクスと笑い、手に付着した赤をペロッと舐める。
コウは彼女の仕草に冷めた視線を投げていた。
「お姉ちゃんはわかりやすかったよ?エリシアってお姉ちゃんの大事な妹だよね」
何が楽しいのか―――いや、きっとコウの反応が思い通りであることが楽しいのだろう。
少女の纏う空気は、いつもの戦場で感じるそれとよく似ている。
誰に言われなくても分かる。
彼女は―――アクマだ。
「本当はね。姿も完璧に似せようと思ったんだ。でもね、後から変わるのは変だから、やめたの」
こんな風に、と少女の姿がぶれる。
次に現れたのは、コウの記憶の中のエリシアと寸分変わらぬ少女の姿。
中身が違うと分かっていても、コウの動きが止まる。
「千年伯爵がね、エクソシストは殺さないと駄目って言うの。
だから…ここに来たファインダーって人にね、手紙を書いてもらったの。その人ももう死んじゃったけど」
今回の調査は、ファインダー中の生存者ゼロの任務だった。
短期戦で、と言うのも理由の一つだったが、エクソシストが4人も派遣されたのはその危険度故だ。
名もなきゴーレムが持ち帰った手紙は、この少女によってファインダーが書かされたものだったらしい。
全ては、目の前の少女の掌の上で行なわれていたに過ぎなかった。
パンッと両手を合わせたコウは、地面から作り出したナイフを自身の前へと構える。
それを見て、「エリシア」がクスリと笑った。
「…手が震えてるよ?お姉ちゃん」
そんな手で何をしようって言うの?
その問いかけに対する答えはない。
少女はそれを見越していたのだろう。
ゆっくりと時間をかけ、赤く濡れた腕を持ち上げる。
小さく可愛らしい形をしていた手は、いつの間にか熊の爪のように鋭く尖っていた。
「寂しくないよ。コウお姉ちゃん。パパも一緒だからね」
勢いよく振り下ろされる腕を、まるで他人事のように眺めていた。
世界が揺れる。
突然身体に衝撃を感じたかと思えば、視界が音も無く過ぎ去っていく。
「コウさん!大丈夫!?」
そんな声が耳元で聞こえた頃には、その揺れも収まっていた。
声の主、リナリーによって救われたのだと理解するには十分だ。
大丈夫だと答えようとしたが、心配する彼女の向こうに見えた光景に言葉を失った。
迷いのない神田の一刀の元に崩れ落ちる小さな身体。
同じなのは姿だけで、中身はアクマなのだと分かっているのに、心が悲鳴を上げた。
「―――、――…」
微かに紡がれた声を最後にコウの記憶はぱったりと途絶えている。
肩の傷からの失血により、コウは3時間ほど目を覚まさなかった。
その間に、村のアクマ全てを片付けた三人。
蓋を開けてみれば、この村は全員がアクマと言う、千年伯爵の息のかかった村だった。
コウは、起きてからその事実を聞かされ、小さく「そう」とだけ呟いた。
「肩の傷は大丈夫?」
「…うん、大丈夫。痛むけど、耐えられないほどでもないよ」
「そっか。じゃあ―――」
リナリーがそう言うと、次の瞬間にはぱんっと乾いた音が室内に響く。
3度目をぱちぱちと瞬きするコウの視界で、リナリーの目から涙の粒が零れ落ちた。
「無茶は駄目。あの子がコウさんの大事な妹と同じだったって事は神田から聞いてるからわかってる。
だけど、あんな風に殺されそうになって、妹さんが喜ぶの?」
コウさんのこと、大好きだったんでしょう?
リナリーの言葉に、コウの脳内に幼い子供の声が甦った。
―――絵本読んでー!
―――明日は仕事じゃないよね、一緒に遊んでくれるよね??
―――お姉ちゃん、大好き!
浮かんでくるのは、大輪の向日葵のような優しくてあたたかい笑顔。
あのアクマがいくらエリシアの皮をかぶろうとも、真似られるはずのない笑顔だ。
それを思い出したコウは、はは…、と乾いた笑い声を零す。
「…大事なことを…忘れてしまっていたみたい」
「もう大丈夫?」
「うん。もう…大丈夫」
先ほどよりも晴れやかな表情の彼女を見て、リナリーも漸く微笑むことができた。
『コウ、平気?』
「うん。心配かけてごめ、ん……って。アズ…喋れるの?」
トス、と膝の上に飛び乗ってきたアズから声が聞こえる。
驚いたように目を見開く彼女の傍らで、自分には何も聞こえなかった、と首を傾げるリナリー。
どうやら、コウにだけ聞こえる声らしい。
「…そっか。いっぱい喋れるようになるといいね。そうしたら、色んなことを話そう?」
コウはそう言ってアズを抱きしめた。
そして、彼を放すと、今度はリナリーの腕を引く。
驚いてわたわたと慌てる彼女をしっかりと抱きしめ、コウは言った。
「ありがとう、リナリー」
「…うん。私も、コウさんのこと…大好きだから」
リナリーはそう答えると、子供のようにコウにしがみ付いた。
コウが眠っていた部屋の入り口、中からは見えない位置に、二人はいた。
中の様子を見ていたわけではないけれど、いい方向に解決したのは、その声からでも十分知ることができる。
「…ま、これで万事解決…ってな」
「……ふん。世話のかかる奴だ」
「そう言うなって。ユウだって心配してっから様子を見に来たんだろー?」
二人の声が遠ざかっていく。
08.03.02