Destiny - 01 -
首筋にピタリと沿うように当てられた冷たい感触。
一筋の赤い血の流れが鎖骨の辺りまで流れ、服に同色の染みを広げていた。
「何者だ?」
低く唸るような声。
鋭い眼差し。
左肩にクロスと思しき飾りが施された、見たこともない服。
「……話さねェなら敵として処理する」
チャキ、と首筋に当てられていたそれが引かれ、その切っ先が眉間に添えられる。
いよいよもって生命の危機を感じた私は、咄嗟にパンッと自らの両手を合わせた。
ギィンと鈍い音と共に互いの刃が弾き合う。
その反動を利用して間合いを取ると、コウは血の流れる首筋を押さえた。
「さほど深くはない、か」
舌打ちと共にそう呟き、パンとあわせた手を傷口に当てる。
小さな錬成反応を見せた後、それは綺麗に塞がった。
「ここの奇怪現象はお前の仕業か!?」
黒い刀を構える男はそう怒鳴る。
それを聞き、コウは眉を寄せた。
「奇怪現象…?何の事?」
「恍けんな!!」
地面を蹴ってくる男に、コウは静かに溜め息を漏らした。
どうやら問答はどちらかが動けなくなるまで不可能のようだ。
そう判断し、その辺に転がっていた瓦礫から作り出したナイフを放り投げると、地面から壁を錬成する。
ガンッと言う鈍い音が辺りに木霊した。
話を邪魔されないように、とコウは周囲の物質から拘束具を作り出し、男の動きを制する。
先程強かにぶつけた額を赤く染め、不機嫌にその場に座り込んだ彼を前に、コウは口を開いた。
「名前はコウ・スフィリア。今年で17歳。性別は見ての通りで、性格はー…まぁ、褒められるようなものじゃないわね」
「……誰がそんな事を聞いたんだ」
ギロリと睨みつけてくる男の視線など、どこ吹く風。
コウは彼の前にしゃがみ込んで額を弾く。
「こっちが名乗ったんだから名前くらいは教えて欲しいものね」
「……………神田」
「カンダ?それってファーストネーム?それともファミリーネーム?」
「…神田ユウだ。神田がファミリーネーム」
「へぇ…そんな名前の並びは初めて聞いたわ」
と呟き、コウは何やら考え込むように俯く。
垣間見える眼は真剣そのもので、神田は何故か口を挟む事が出来なかった。
だが、任務としてここへやってきた以上いつまでもこうしているわけには行かない。
「お前は人間か?それとも…アクマか?」
「もちろん人間だけど……悪魔?そんな非科学的なものを信じている人が知り合いに?」
「……AKUMAだ」
疲れたようにそう言い放つと、神田は自分の背後にあった岩にもたれかかる。
彼の言葉にコウは首を傾げた。
「一つ、聞きたいんだけど…」
「…何だ」
「錬金術って、知ってる?」
今度首を傾げるのは彼の方だった。
「それこそ非現実的だな。錬金術なんて所詮は空想だ」
「………はは…空想…か」
諦めにも似た乾いた声を上げ、コウは前髪を掻き揚げる様にして上を向いた。
感傷に浸るかと思いきや、彼女は意外とすぐに表情を戻す。
「えっと…神田…さんはここで何を?」
「…この辺り一体で起こっている奇怪現象に、イノセンスとの関わりが調査でわかった。それの保護だ」
「色々と聞きたい事はあるけど、とにかく現状は思わしくないって事ね?」
「ああ」
素直に答えてくれたことから、恐らく害はないだろうと彼女は判断する。
パンと両手を拘束具にあてれば、それは瞬く間に砕けた。
突如自由を手にした神田は手を握ったり開いたりしながら、コウに訝しげな視線を向ける。
だが、彼女の視線は彼を通り越して岩の向こうを見つめていた。
「…ねぇ、一応どんな奇怪現象か聞いてもいい…?」
「………異常なまでの気温変動、及び故意的に発生させられた竜巻だ」
「へぇー……今まさにそれが迫ってきてるわね」
「あぁ?」
コウは彼の向こうを指さしながら事も無げに告げた。
振り向いた神田の視界に、全てをなぎ倒しながら此方に近づいてくる竜巻を発見する。
それからの彼の行動は速かった。
脇に置いてあった彼の武器である刀を左手で持ち上げ、反対の手でコウを引き寄せる。
まるで米俵のように彼女を肩に抱き上げると、被害を受けないであろう場所まで飛んだ。
コウを荷物と同じ扱いで地面に下ろすまで、ほんの数秒だっただろう。
「気づいてたならもっと早く言え!」
「気づかなかった方も気づかなかった方だと思うわ。でも、助けてくれてありがとう」
「……次はねぇからな。自分の身は自分で守れよ」
そう言うと彼は竜巻が発生したであろう場所を睨む。
コウは肩を竦めながらも、了解と言葉を返す。
彼が見つめているそこに彼女も視線を向ける。
それとほぼ同時に、ざわりと周囲の空気に変化が起こった。
「何これ…空気中の水分が蒸発してる…?」
目が乾いてしまいそうなほどの早さで周囲の気温が上昇する。
なるほど、確かに奇怪現象だな…とコウは心の中だけで呟いた。
例の一角に、動く何かを見つけた神田は地面を蹴る。
「あれが原因か…」
誰に言うでもなくそう呟き、自身のイノセンスである六幻を薙ぐ。
刀の軌跡に合わせて奇怪な何かが発生し、原因であるそれに襲い掛かった。
「うわー…何だありゃ…。何か常識外れすぎで夢みたい…」
平和にも思える発言をかますコウだが、その声は神田には届いていない。
届いていれば再び彼が声を荒らげる事となってしまっただろうが。
衝突の衝撃で彼の姿が完全に消え去る。
「んー…死んではいないと思うんだけど…どーかな…」
安全と思われる場所に腰を降ろし、コウは彼を待つことにした。
ふと、気温の急上昇によって乾燥しきってしまった周囲に視線を巡らせる。
「おぉ…いい乾燥具合。ロイさんの独壇場ね」
場違いな感想を漏らしながら、彼女は立ち上がった。
近くにあった木々に歩み寄り、あわせた両手をそれにぺたりと当てる。
すぐさま錬成反応が起こった。
木々に蓄えられていた水分の結合を解き、空気中にそれを分散させたのである。
「…これで随分マシになった…かな」
数本の大木は枯れてしまったが、何とか元に近い状態まで戻す事ができた。
それに満足げに頷くと、コウは再び安全地帯に腰を降ろし、彼の到着を待つ。
見たこともない地形に目線だけを向け、呟いた。
「信じられないけど…異世界…か。持っていかれなかったのは幸か不幸か、どっちかしらね」
自嘲気味に笑みを刻み、ゆっくりと瞼を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、誰よりも尊敬していた彼の姿だった。
「禁忌を犯した私を、あなたは許してくれますか…?」
05.09.03