新たなる始まり
-悠久に馳せる想い- 番外編

ととと。
足音が聞こえ、暁斗が顔をあげた。
優れた聴覚を持つ妖狐である彼は、例え人型をとっていたとしても人よりは多くの音を聞くことができる。
彼の耳が聞き分けた音の方を見れば、今まさにリビングのドアが開いた。

「ただいま!あ、お兄ちゃん!!」
「お帰り」

部屋に入ってきた妹は、暁斗の顔を見るなりパッと表情を輝かせた。
朱音という名をつけたのが彼だからなのだろうか。
彼女は、暁斗にとてもよく懐いた。
いや、一番初めに話しかけたのは名前を付けてもらう前のことだ。
名前云々は関係なく、生まれた瞬間から彼女は暁斗が大好きだったのだ。
いつもの癖でそのまま抱きつこうとした彼女は、暁斗の前で急ブレーキをかけた。
その理由は、彼が何か作業の途中であることに気付いたから。
ちょこん、とその隣にしゃがみこんだ朱音が彼の手元を覗き込む。

「何してるの?」
「パソコン、壊れたから直そうと思って」
「ふぅん…直るの?」
「どうかな。買い換えた方が早いかもしれないけど…。とりあえず直せば、使い方を覚える程度なら問題ないと思うし」

小さな工具をカチャカチャと動かしつつ答える兄の言葉は、朱音にはよく理解できなかった。
とりあえず、ふぅん、と生返事をしておく。
パーツを取り外して掃除を始めようとした暁斗は、そこで彼女を見た。

「もうすぐ母さんが帰ってくるよ」
「どこに行ったの?」
「買い物。ついでに父さんの職場に寄って来るって」
「そっか。わかった」

そう頷き、学校から帰ってきたばかりであることを思い出した朱音は着替えのためにリビングを出て行った。
ほどなくして戻ってきた彼女は、そのままリビングを抜けてキッチンへと移動する。

「お兄ちゃんも飲む?」
「うん。ありがと」

冷蔵庫に手をかけて問いかけると、彼は一旦顔をあげて微笑む。
それだけで嬉しくなる自分は単純なのかもしれない。
でも、それが事実なのだから変に見栄を張って偽る必要などないのだ。
二つのグラスを用意して、そこに冷たい麦茶を注ぐ。
小さなお盆の上にそれを載せて兄の所へと歩いた。
テーブルにお盆を置くと、ソファーからお気に入りのクッションを持ってくる。
そして、作業を続けている暁斗の傍に座った。

「今回はいつまでこっちにいるの?」
「んー…俺の部隊が一週間休みをもらってるから…五日くらいはいると思うよ。
母さんに話しておきたいこともあるし」
「五日かー…」
「寂しい?」

残念そうにクッションを抱いた妹に、暁斗がそう問いかける。
少しだけ間をおいて、朱音は小さく頷いた。

「ごめんな。ほんとはずっといてあげたいけど…向こうも放っておけないんだ」

トーナメント勝者による魔界の統治が始まり、人間界で言う10年が過ぎた。
去年から4代目統治者が魔界の統治に勤しんでいる。
5年前から正式に躯の下についた暁斗は、めきめきと頭角を現した。
既に一つの部隊を預かる隊長として、およそ50人の部下を持つ身だ。

「知ってるよ。お兄ちゃん、強いもんね」

まだ幼い朱音だが、彼が強いという事を知っている。
そして、その強さはただ単に力だけの事ではないのだという事も。
暁斗の部隊は、よく違法者の捕縛にあたる。
向こうは本気で抵抗してくるために、捕縛にはかなりの危険が伴うのだ。
しかし、暁斗の部隊は任務での死者が少ないと周囲から評価されている。
技術は躯に、知識は両親である蔵馬と紅に鍛えられた。
魔界で言えばまだ若輩の彼だが、その実力は既に周知のものとなっている。

「また休みをもらって帰ってくるよ」

わかっているけれど、頭が納得できない。
そんな幼い妹の頭をなで、暁斗は苦笑いを浮かべた。












「朱音は本当に暁斗が好きね」

日付が変わる少し前、リビングで過ごしていた紅が、そう呟いた。
その場にいるのは蔵馬と暁斗。
本人は既に自室で夢の中だ。

「どうしたんだ、急に?」
「どうして魔界に行かなきゃいけないの、って悲しそうに聞いてくるものだから」

夕方の事を思い出した紅は、蔵馬にそう答えた。
寂しい思いをするのは可哀相だが、暁斗には暁斗の生き方がある。
親元に縛り付けておくような年齢でもないのだ。

「暁斗はどう思う?」
「…まぁ、そりゃ…可哀相だとは思うけど。どうにもならないよ。俺が帰らなくちゃ、部隊がまとまらない」
「そうだな。朱音の為と言って部隊を放り出すのはよくない」

読んでいた雑誌を置いて、蔵馬がそう答えた。
それに、と暁斗が続ける。

「…いつかは、朱音も魔界に来るんだろ?それまでに、安全な場所を作っておかないと」

呟くようにそう言った暁斗に、紅と蔵馬が瞬きをする。
そこで、テーブルの上に投げ出されていた暁斗の通信機が音を立てた。
相手を確認した暁斗は、それを片手に立ち上がる。

「躯だ。何もないとは思うけど…出てくる。今日はそのまま寝るから。…おやすみ」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさい」

出て行く息子を見送って、二人は顔を見合わせた。

「…どう思う?」
「まだ何とも言えないが…可能性はあるな」
「…“人間”としては道徳的に問題があるんでしょうね」

きっと、とあえて何とは言わず、曖昧な会話を続ける二人。
この10年間、二人の様子を見てきた紅と蔵馬の考えに相違はない。

「まだわからないわ。特に朱音の方は、憧れから抜けていないわけだし」

年の離れた優しくて強い兄。
そんな、一番近い異性は、自然と憧れの対象になってしまうものだ。

「恋心ではないと…言い切れるものではないわね」
「まぁ、“妖狐”として考えれば、不思議じゃない。そう気にする必要もないさ」

元々、動物に近親相姦と言う概念はない。
本能的に、より強く子孫を残せる相手を探すのだという。
それが同じ血を分けた兄弟であろうと変わりはないのだ。
妖狐にも同じことが言える。

「でも…多分、暁斗は違うと思うわ。あの子、元々躯が好きだったもの」
「……………え?」
「あら、気付いていなかった?2代目の頃よ」
「………いや、知らなかった、けど…躯?」
「強い憧れと情愛は、違うようで似ているわ。相互間で変化するのはそう珍しいことじゃない」

そうでしょう?と問いかける紅に、蔵馬は溜め息を吐き出した。
好きだった、と言う事は、今は違うのだろうか。
その疑問に答えるように、紅が口を開く。

「あの子はそれを叶えるつもりのない想いだと納得して、その想いを消化したの。それも、一つの選択ね」

暁斗は紅や蔵馬のように、添い遂げることを望まなかった。
認められ、役に立つという道を選んだのだ。

「今は情愛ではなく、親愛よ。見ていればわかるわ。安心して」
「…別に、心配はしてないよ。暁斗が望むようにすればいい」

スッと顔をそらす彼に、クスクスと笑う彼女。
そして、ぽすん、とその肩を借りるように頭を置いた。

「…なるようになるわよね」
「…あぁ、そうだな」

今はただ、ゆっくりと見守ることにしよう。

09.05.17