Nightmare
-悠久に馳せる想い- 番外編
その言葉と共に絡められた指先から、気持ちが溢れる。
身体を繋げなくとも、そこにある確かな想いを感じられるのだと言う事を、初めて知った。
腕の中で微笑むその存在が愛おしく、逃がさないようにと自身の腕に深く抱きこむ。
そんな彼女が、哀しい表情を浮かべて口を開いた。
「さようなら」
その声が耳に届くなり、意識は急速に覚醒へと導かれる。
「…で、存在が不安になってこんな早朝に妖狐の姿で?」
若干呆れの含まれた声で紅は言った。
開いた窓から入り込む夜風は寒いとまでは行かずとも身体を冷やすには十分だ。
窓に寄り添うように身体を伸ばす木の枝に腰を下ろした彼に、いつもの覇気はない。
彼の様子を見つめ、紅は溜め息を一つ零すと開いた窓を塞いでいた自身の身体をずらす。
「何も出せないけど、それでもよかったらどうぞ?」
元々追い返すつもりなど全くなかったが。
垣間見える呆れも、妖狐の姿でここまでやってきた彼を案じてのことだ。
前よりも妖狐の姿を取り戻しやすくなったとは言え、未だ自由にならない部分もある。
下手にその存在を広めない方がいいだろうと紅は考えていた。
それゆえの溜め息だ。
「すまない」
「別に構わないわ。この部屋なら結界もあるから、早く入って」
そう言って窓枠の所で躊躇った蔵馬の腕を引く。
足音もなく部屋の中に降り立った彼を中心の方へと押しやり、紅は窓を閉めた。
その際に付近の気配を探るが、特に気になるような妖気は感じられない。
その事にそっと安堵の息を漏らし、彼女はカーテンを引くと蔵馬に向き直る。
「温かい飲み物でも…」
用意しようか?と言う彼女の声は最後まで紡がれる事はなかった。
存外に強い力で引かれた身体は簡単にその腕の中へと引き込まれる。
ミリの距離さえ許さないとばかりに深く抱き込む彼に、彼女は内心驚いていた。
ここまで参っている蔵馬も珍しいな、と心の中で思う。
自身を抱きしめたまま動かない彼の背中に腕を回し、安心させるようにその背を撫でる。
「紅」
「うん」
「紅…」
「蔵馬、私はここに居るから」
何も恐れる事はない。
そう伝わってくる声色に、蔵馬の肩から僅かに緊張が解ける。
それでも彼女の身体を解放する事は無かった。
ザワリと妖気の揺れを感じたかと思えば、彼の姿が南野秀一へと変化する。
自身の視界まで流れてきた黒髪を見て、彼の感情の起伏も徐々に和らいできているのだと悟った。
「蔵馬」
「……………」
「離れろって言われても離れない。さよならなんて嘘でも言わないから」
幼子を宥める様な仕草で彼女はそう告げた。
決して大きくはない声は、それでもはっきりと、優しく彼の耳に届く。
痛いほどの力はすでに抜け、いつもの柔らかい抱擁が紅を包む。
ごめんと小さく紡がれた声に、紅は口元に笑みを浮かべてその胸元に擦り寄った。
ふと目が覚めた暁斗。
ゆっくりと身体を起こせば、カーテンの隙間から差し込む日がすでに高いことに気付く。
いつもは母親に起こしてもらうために目覚ましなどと言う耳障りなものは用意していない。
思った以上に寝過ごしたな、と思いながら暁斗は身体をベッドから下ろした。
靴下を履かない素足に木の冷たさを感じつつ廊下を進む。
ふと覗いたキッチンに彼女の姿はなかった。
朝起きてからの活動の見られないキッチンを一瞥すると、暁斗は首を傾げながらも彼女の部屋へと足を運ぶ。
「母さん?」
控えめなノックの後、暁斗は静かに扉を開いた。
和で統一された屋敷内に、後から作られた洋式の部屋。
紅が使いやすいようにと幻海が用意したものだ。
薄く開いた隙間から顔を覗かせれば、ベッドに膨らみを見止める。
寝過ごすなど珍しい…と思いながらも足を忍ばせて室内へと入り込んだ。
そしてベッドの方へと足を動かし、顔が見える位置まで来てぴたりとその足を止めてしまう。
暁斗は再び首を傾げた。
「昨日父さん居なかった…よね?」
仲睦まじくベッドに寄り添う二人に、暁斗は小さく呟いた。
彼の声を聞きつけたのか、蔵馬の肩がピクリと揺れる。
そして薄っすらと目を開くと、首だけで侵入者の方を振り向いた。
「…暁斗?」
確認のように呟き、彼の視線は枕もとの時計へと向けられる。
時間を見た蔵馬は苦笑を浮かべ、腕の中の彼女を起こさないように気を配りながら身体を起こした。
そっと人差し指を唇に乗せ、次いで扉の方へと向ける。
声を出さずに静かに部屋を出ろと言う彼の仕草に頷き、暁斗は足音を忍ばせて先に廊下へと出た。
開いたドアの隙間から中を振り向けば、ベッドから降りた父親が枕元に顔を埋めているのが目に入る。
恐らく唇もしくは額にキスを落としているのだろうと判断し、視線を逸らした。
遅れること数秒で廊下へと出てきた蔵馬は静かに扉を閉める。
「何かあったの?」
「何でもないよ」
蔵馬は苦笑を浮かべてそう答え、彼の頭に手を載せる。
妖狐の時の自分と同じ色の髪を撫で、ゆっくりと歩き出した。
「お腹空いただろ?何か作ってあげるからおいで」
「…母さんは?」
「………多分まだ起きれないよ」
あんな時間に起こしたから、と心の中で付け足す。
無論その心の声が聞こえる筈もなく、暁斗は一体何をしたんだとでも言いたげな視線を蔵馬へと投げかけた。
「まったく…母さんの事も考えてあげてよね」
「…あぁ、そうだな。悪かったよ」
お互いが考えている事は全く噛み合っていない。
にも拘らず、不思議な事に会話は成立していた。
キッチンに辿り着くまで不機嫌に口を尖らせる我が子に手を焼く蔵馬。
普段ならば軽くあしらうのだが、流石に今回は自分に非があるだけにそれも出来ない。
いつもとは違う父に心中首を傾げるも、珍しくも優位に立っていることを大いに楽しんだ暁斗だった。
「え!?父さんって結構怖がりなんだ?夢ぐらいで夜中に母さんのとこに来たくなるなんて」
「あら、先週13日の金曜日だからって枕持参で部屋に居座ったのはどこのどなただったかしら」
「………おはよ、母さん。これ以上ないグッドタイミングで起きてくるんだね」
「おはよう。ごめんね、蔵馬。朝ごはんを作らせちゃって」
「構わないよ。元々は俺の所為だし」
両親が朝の挨拶を交わす中、すでに食べ終わっていた暁斗はいそいそと席を立つ。
先週の事を問い詰められれば折角の優位が台無しだと判断したからだ。
そんな彼を横目で見送り、紅は蔵馬の向かいに腰を下ろした。
「眠れた?」
「あぁ。あんな時間に来てごめん」
「頼ってもらえるのは嬉しい事よ。気にしないで」
寝過ごしてしまったけれども、休日なのだから大した問題はない。
そう言って笑えば、蔵馬の方も苦笑ではあったが笑みを零す。
「不安になった時は、いつでも来てくれればいいわ。例え夜中でも迎えるから」
「…ありがとう」
頬に滑った手を握り、蔵馬は静かに答える。
握った手を自身の口元へと運び、それに唇を落とすと彼は立ち上がった。
「お詫びに朝食をご馳走するよ。って言っても有り合わせの上に勝手にキッチンを借りたんだけど」
「有り合わせでも十分。ありがとう」
そう言って微笑んだ彼女の頬に軽くキスをして、彼はキッチンへと向かう。
その背を見送りつつ紅は静かに窓の外へと視線を送った。
悪夢など感じさせない陽気な日差しがカーテンの隙間から部屋の中を照らす。
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06.04.29