その想いは果ても無く
-悠久に馳せる想い- 番外編

「なぁ、何で蔵馬は紅って呼ぶんだ?妖狐の時からの知り合いなら佐倉って呼ぶだろ」

幽助が蔵馬の方を向いて問う。
蔵馬は読んでいた本から顔を上げ、彼の方を見た。
質問の意図に気づき、視線をリビングから見えるキッチンへと移す。
そこでは女性陣が仲良くお菓子作りに勤しんでいた。

「俺が付けた名前だからですよ」

亜麻色の髪を後ろで一本に束ね、雪菜と何やら談笑しながら作業を進める紅。
そんな彼女の背中に微笑みながら、蔵馬はそう答えた。











魔界で“佐倉”と言う名はそれなりに通っていた。
妖狐蔵馬と共にある事でその名の広まりは留まる所を知らず、その力を手中に収めようとする者も後を絶たない。
そんな中で、誰よりも彼女自身がそれを良しとしなかった。

「…名前が嫌?」

バラの花に水を与えていた蔵馬が首を傾げる。
彼の問いかけに佐倉は頷いた。

「ええ」
「……無茶を言う…。名前なんてものはそう簡単に捨てられるものではない」
「だから蔵馬に相談してるんじゃないの…」

温室のソファーに座ったまま佐倉は天井を仰ぐ。
彼女の膝の上に載せられた本のページは一向に進まない。

「佐倉。俺も万能じゃない」
「そんな事くらいわかっているわ。ただ……ちょっと思っただけよ」

長い髪の裾を弄りながら佐倉は呟く。




いつの間に水遣りを終えたのか、蔵馬は彼女の隣に腰を降ろしていた。

「佐倉。俺はお前の名前に惹かれたわけではないし、その名前を買っているわけでもない」
「……わかっているわ。だけど…蔵馬に呼ばれるの嬉しくないの」

コトンと彼の肩に頭を乗せ、紅は答える。
その声色から彼女が落ち込んでいると言う事がよくわかった。
蔵馬の銀色の髪に佐倉の髪が交ざりこむ。

「解決にもならないかもしれないが…」

蔵馬がそう切り出した。
紅は閉ざしていた瞼をゆっくりと開く。

「俺が名前を付けてやろうか?」
「え?」
「そうすれば俺は佐倉とは呼ばない」
「…蔵馬っ!」

嬉しそうに、佐倉は微笑んで蔵馬の腕に抱きつく。

出逢った当初はこれほどまでに彼女が心を開いてくれるとは思わなかった。
自分にその名で呼ばれるのが嫌などと言われるとは…思わなかった。

「……紅」
「“紅”?」
「お前にやろう。先日新しく出来た美しい花につけるつもりだった」
「…まるで人間みたいな名前ね?」
「気に入らんか?」
「まさか」

擦り寄る紅にまるで猫のようだなと思いつつ、蔵馬は彼女の髪を梳く。
細く柔らかい髪が蔵馬の指をすり抜け、ソファーへと流れる。
彼女の耳元のそれを掻き揚げると彼はそこに唇を寄せた。

「紅」

くすぐったそうに、照れたように身を捩る佐倉…いや、紅。
愛おしいと思う気持ちが溢れ、その肩を抱き寄せる。
抵抗なく自分の腕の中に納まる彼女への想いは募るばかりだった。

「く…っ」
「蔵馬…?」

押し殺した笑い声を耳にした紅は不思議そうに首を動かす。
と言っても彼の腕の中ではそう大して動く事は出来なかったが。

「いや…俺がここまで深みにはまるとは思わなかったな」
「……………私も」

彼の胸元に頬を寄せ、静かにそう呟く。
紡がれた言葉は何の障害もなく蔵馬の耳に届いた。

「ありがとう。あなたがくれた名前なら…きっと愛せるから」

僅かに身体を離し、紅は彼の顔を見上げて笑う。
美しい笑みを浮かべる彼女の額に唇を落すと、それを耳元まで移動させた。

「紅」
「…もっと呼んで…?」
「ああ。お前が望むなら何度でも」









「…馬……蔵馬?」

不意に現実に引き戻され、蔵馬はハッとした表情を見せる。

「……紅?」
「白昼夢でも見てた?」

クスクスと笑う紅を前にして、彼は少しだけ笑んだ。

「ね。口開けて?」

首を傾げながらそう頼まれ、何だろうと思いながらも素直に従う。
開くと同時に、口内に甘い味が広がった。

「…クッキー?」
「どうかな?」
「うん。美味いよ」
「そ、よかったわ」

ふわりと微笑む紅。
その表情は佐倉の時と同じ物だった。
いつも見ている笑顔に懐かしさを感じる蔵馬。

「紅、明日出掛けないか?」
「明日って…あ、今日が土曜だからまだ休みだね。いいよ。何処に行くの?」
「もうすぐ“佐倉”が花をつけそうなんだ。約束だろ?」

蔵馬は優しく微笑む。
佐倉という名も彼女が愛せるようにと、彼は自身が生み出した花を佐倉と名づけたのだ。
紅は嬉しそうに頷き、そしてキッチンへと戻っていく。
彼女の背中を見送ると、蔵馬は漸く読書に戻ったのだった。








「…何か見てるこっちが照れるくれーにバカップルだな」
「俺もいつかは雪菜さんとああ言う風に…っ!!」
「…フン…向こうにも選ぶ権利がある」
「何だと、飛影!?」
「あはははははっ!!!!違いねぇ!!」
「お前は笑いすぎだ浦飯ー!!!」



「男性陣は賑やかだねぇ」
「ぼ、ぼたんさん!!焦げます焦げます!!」
「え、あ!あちゃー…やっちゃったよ…」
「怪我はありませんか?」
「大丈夫だよ、雪菜ちゃん」
「…その程度なら焦げた部分だけをよければ使えるわね」
「本当かい?紅」
「うん。ところで…こんなにお菓子ばっかり作ってどうするの?」
「一番作ってる人の言うセリフじゃないですよ、紅さん」
「そう?あ、螢子さんは幽助にあげるのよね」
「!?ち、違う……事もありませんけどっ!!」
「クスクス…初々しいわね」

05.06.23