Babyシリーズ
夢追いのガーネット Side episode
時間になっても出てこない紅を待って、すでに15分ほども門の前に立たされている翼。
インターホンを鳴らして家の中に入れてもらえばいいのだが、これから出かけることを考えると面倒だ。
彼女が時間に遅れることなど今までに片手で足りるほどだ。
珍しい、と思ったことも手伝い、インターホンを押すべきなのかと悩む。
しかし、悩んでいた時間はものの30秒ほどだ。
指は自然とインターホンを押し、そこから聞きなれた男物の声が返ってくる。
「紅は?」
『そう言えば、今日はまだ起きてきてないな。約束してたのか?』
「ん」
『悪い。それなら、起こしてやってくれ。ちょっと電話中なんだ』
玄関は開けるから、と言う返事の後、暫くしてからガチャ、と玄関が開く。
そこから暁斗が顔を覗かせ、空いている方の手で翼を招く。
もう片方の手には携帯が握られていて、電話中だということは明らかだ。
翼は彼に向けて軽く頭を下げてから、お邪魔します、と小さく告げて玄関ポーチを抜ける。
くいっと顎で二階を指す暁斗に頷いてから、紅の自室を目指した。
階段を上り始めて、ふと思う。
―――年頃の妹が寝ている部屋に男を通すのはどうなんだ。
幼馴染だし、寝起きを起こすなんて、何度も経験したことだ。
しかし、それはまだ子供の頃の話。
この年になってそれを許されていると言うことは―――少し、微妙な心境だ。
「紅、入るよ」
起こさなければならない時の彼女は、この程度の呼びかけでは起きない。
わかっているけれど、自室に入るのだから、無断と言うわけにもいかないだろう。
予想通りに返事はなく、溜め息と共にドアを開く。
カーテンの引かれた部屋の中は、レース越しに差し込む日の光で明るい。
慣れた調子で部屋を一瞥し、盛り上がっているベッドへと近づいた。
「紅、起きなよ」
そう言って、顔が見えるように少しだけ布団を捲る。
全てを取り払わないのは、一応異性であると言うことに対する小さな小さな配慮だ。
しかし、そこから見えたのは、紅の寝顔ではなかった。
「―――は?…え?」
ここまで混乱した彼には、早々お目にかかれるものではない。
紅が起きていないことが悔やまれるくらいだ。
そんな自分の状況など知る由もなく、翼は目を瞬かせてそれを見る。
年端も行かぬ子供…どころか、まだ四つんばいですら満足に歩けないであろう赤ん坊が、紅の腕の中に居た。
頭の整理が追いつかず、掛け布団の端を持ち上げたままの状態で固まる翼。
スッと入り込んだ空気に気付いたのか、紅が「ん」と小さく声を上げた。
「…つばさ…?」
薄く開かれた目が自分を認識し、少し乾いた声が名前を紡ぐ。
その声により、翼の金縛りが解けた。
「紅、妹でも出来たの?」
「は?妹ぉ…?何言ってるの、翼。寝ぼけちゃ駄目よー…?」
今にも寝てしまいそうな彼女に、寝ぼけているのはそっちだと言いたくなる。
彼女はふぁ、と大きくあくびをしてから、ごく自然に腕の中の赤ん坊を翼に手渡す。
「着替えて降りるから、先に下で待ってて」
そう言って、彼女の手により回れ右をさせられる。
まだ混乱から抜け切れていない翼は、その自然さに思わず従ってしまった。
我に返ったのは、廊下に放り出され、ばたんとドアが閉じてしまってから。
頼るべきは大人―――翼の脳内は、その結論をたたき出し、手足へと命令を送る。
「…暁斗!!ちょっと、これどう言う―――!!」
「お、翼。丁度良いところに。今から急用。出掛ける事になったから、紅に伝えといてくれよ」
玄関で靴を履いているところだった彼は、一瞬振り向くだけでそのまま外へと出て行ってしまった。
ちょっと待って、と言う声を発する暇すらなかった。
無情に閉ざされたそれを見ていた翼の耳に、焦ったようなバタバタと騒がしい足音が近づいてくる。
「翼、その子何っ!?!?」
寝巻き代わりのTシャツとハーフパンツのままの彼女は、漸く目が覚めたらしい。
「妹…妹、ねぇ…」
いや、流石に無理だろう、と思う。
すでに成人している暁斗が居て、中学生の自分が居て。
更にこの程度の赤ん坊となると…どこまで現役なんだと問いたくなってしまう。
今すぐにでも電話で問いただしたいところだが、生憎両親は海外だ。
それを考えれば、この赤ん坊が彼らの子供であり、紅の妹と言う説は薄い。
「じゃあ…」
「暁斗の…?」
それならば、と悩む紅の言葉に続いたのは、翼の声だ。
彼女自身もそう言おうと思っていたのだが、いやしかし。
恐らくは相手の可能性は玲が一番高い。
しかし、彼女が妊娠していたと言う話は聞いていない。
「何なの、この子…」
意味がわからないんだけど、とソファーに深く凭れかかる。
着替えようとして我に返り、そこからずっとこの状態だ。
「大体なんでこんな時に限って兄さんは急用で出てっちゃうの!!」
怒りの矛先を向けるべき相手ではないとわかっていても、頼れる大人が居ないと言う事実に呻く。
同意の頷きを見せつつ、翼は膝の上で転がっている赤ん坊を見下ろした。
誰に似ているのか、やたらと大人しい赤ん坊だ。
こうしてあやすこと、かれこれ30分。
一度も泣き出すことなく、じっと見上げてくるだけで、時間をすごしてくれている。
頼みの綱の玲も、今日は関西方面へと出かけていて留守だ。
「そもそも、寝ている私の布団に入ってきていること自体が変」
タオルを振り回して上機嫌の赤ん坊を見下ろしながら、紅はそう呟く。
起きたら突然赤ん坊が腕の中に居たなんて、非現実的だ。
しかし、今自分が置かれている状況はまさにその通り。
「………」
「どうしたの、翼?」
じっと赤ん坊を見つめる翼の真剣さに、紅が首を傾げて問いかける。
何か思うところでもあるのだろうか?
「やっぱり、紅の親戚か何かなんじゃない?」
「はぁ?」
「だってさ、こいつ…赤ん坊の頃の写真の紅とそっくり」
ひょいと赤ん坊を腕に抱き、紅に近づいてくる。
そして、呆気に取られている彼女と顔の位置を合わせて並べるように抱いた。
「…ほら」
「ほらって…自分ではわからないわよ」
無茶を言わないで、と溜め息を零す。
親戚にもこんな年頃の子は居ないはずだが…と思いつつ、赤ん坊を受け取る。
二人の腕の間を移動しようとした赤ん坊が、ふと大きく暴れた。
予想外の動きに、両者の手が一瞬だけ力を抜いてしまう。
ずるっと手を滑り落ちるそれ。
「危な―――っ!!!」
そう叫んだのはどちらだっただろうか。
ゴツン、ともガツンとも取れる、鈍い音と共に視界に星が散る。
「~~~~~っ」
「ったぁ…」
紅と翼は、頭を押さえてその場に蹲った。
しかし、そんな風に痛みに喘いでいたのは一瞬のこと。
バッと顔を上げ、自分たちの間を見る。
だが、そこに赤ん坊の姿はない。
「赤ん坊は?」
「あれ?」
自分の腕やら足やらを動かしてみるも、当然ながら赤ん坊の姿はなく。
その姿だけが忽然と消え、けれどそれが現実のことであったと伝えてくる頭の痛み。
唐突にそこにあったものが消え、残ったのは疑問符と不思議な消失感。
「…寝ぼけてた?」
「二人して?…でもまぁ…そう考えておくのがいいのかもしれないね」
これは、言葉では説明できないような体験だったのかもしれない。
何となく、それで納得できるような気がした。
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08.06.10