3月14日
夢追いのガーネット Side episode
3月14日。
ひと月前の同じ日に喜んだ男子ならば、この日の前一週間は財布との睨めっこに忙しいだろう。
中には金をかけない人も居るだろうが。
日本ではバレンタインに何かを貰った場合、その相手に好意を持っていれば何かしらのものを返す。
返すのは物であったり、言葉であったり―――人それぞれだ。
そうして、ここにもまた一人。
一ヶ月前の約束を果たすべく、強敵と向き合っている男子が居た。
「…玲、頼みがあるんだけど」
3月の14日と言えば、一ヶ月前の同じ日を思えば平和なものだ。
バレンタインにチョコなんかを貰っていない人間にとってはまったくと言っていいほど普通の日。
それだけに、関係のある者もあまり大々的にお返しをしたりはしない。
「おはよ、紅!大荷物ねー」
毎年の事だけど、と悠希が笑う。
そんな彼女におはようと返して、紅は彼女曰く『大荷物』の中から目当てのものを探し出した。
「はい、悠希の分」
「ありがと!毎年これが楽しみで仕方ないのよね~!!」
「そんな大げさな…」
「だって、あんたのお菓子美味しいんだもん」
けろりとそう答えると、悠希は渡されたそれをギュッと抱きしめる。
お菓子だからあまり圧迫しない方が…などと思うけれど、力は込めてないようなので言わないでおく。
そして、悠希がご満悦にそれを自分の鞄にしまいこんだ所で、持っていた『大荷物』を差し出す。
「何?全部貰っていいの?」
「そんなわけないでしょ」
嬉々とした声を上げる悠希の言葉を一刀両断。
ばっさりと切り捨てられた彼女は、大して気にした様子もなく肩を竦めてそれを受け取った。
馬鹿でかい紙袋の中、所狭しと詰まれているのは―――お菓子の山。
クッキー一つをとってみても、味が三種類はありそうだ。
「また大量ねー」
「兄さんがあれもこれも食べたいって言うから…ね」
お蔭で二日掛かったわ、と溜め息を一つ。
「このブラコン」
「兄さんには負けるわよ。そこらの菓子屋よりも美味しいって煩くって…」
「いーや、紅も負けないわね。リクエストの品を全部作ってあげるんだから」
一つでも作ってあげるだけで十分、なんて呟く。
バレンタインに、例年通り兄に渡している事はすでに確認済みだ。
本来ならば貰う側であるにも拘らず彼のリクエストを聞いて、全部作るのだから悠希の言い分にも無理はない。
「で、これはどうすればいいわけ?」
「くれた子には『一ヶ月後に部室で返すね』って言ってあるから、取りに来ると思うの」
「…で?」
「私の代わりに渡しておいて?」
小首を傾げるポーズをつけて、紅がそう言った。
何となくだがそう言われるのだろうと悟っていた悠希は長い溜め息を吐き出す。
「何であんたのお返しを私が渡さなきゃなんないの…」
「バレンタインもホワイトデーも強請った人の台詞じゃないわ、それ」
「………仕方ない。来年の分の契約で、頷いてあげる」
どの道、一人分増えようが二人分増えようが関係はない。
どちらかと言えば今頷いてもらう事が大事だった紅は、素直にそれを了承した。
そして、悠希は紙袋を机の横に掛けながら、紅の方を向かずに口を開く。
「それにしても…毎年ちゃんと自分で渡してるのに、今年はどうしたの?」
「んー。一ヶ月前の約束を果たしてもらう日なの」
そう言って嬉しそうにはにかむ姿を見れば、もう何も言う事はない。
お返しを貰いに来る子達には文句を言われるだろうけれど…物がないわけではないのだから、何とか成るだろう。
いつも甘やかしてくれる親友の為にも、今回は自分が一肌脱ぐとしようではないか。
放課後までの時間は可もなく不可もなく。
普段通りに進み、そして時は放課後。
水曜日と言う事もあり、いつもよりも少し帰りが早かった。
「紅、行くよ」
「はーい。玲姉さんには?」
「話はつけてある。先に玲の所に寄ってから出発」
ひょいと鞄を持ち上げて歩き出す二人。
教室を出ようとした所で、紅は思い出したように中に居た悠希を振り向いた。
「ごめんね、それとありがと」
「どういたしましてー。楽しんできなさいな」
去っていく二人を、ひらひらと手を振って見送る。
「………用意周到ね」
「やるならこれくらい当然。さっさと着替えてこないと間に合わないよ」
はい、と手渡されたそれを見て、紅は思わずそう呟いた。
急かされて人の居ない部室へと入る。
先ほど翼が玲から受け取ってきた紙袋には、彼の服とそれから彼女の服が入っていた。
衣装、と言うわけではなく、所謂私服だ。
肌触りが良いと最近好んで着ている服が手の中にあることに、紅は図らずも肩を竦める。
大方、暁斗あたりが協力したのだろう。
「時間もなくなるし…」
着替えるか、そう呟いて制服を脱ぎに掛かる。
数分で着替え終えると、翼と入れ替わる為にドアを開いた。
壁にもたれていた翼は、その音に気付いて背中を離す。
「着替えた?」
「うん。交代ね」
そう言って翼が入ってくるのと入れ替わりに部室を出ようとする紅。
そんな彼女を引きとめたのは彼の手だった。
「外で待ってて教師に見つかったらどうするつもり?」
「え、いや…でも…」
確かに、私服で部室前に立っているのは危険かもしれない。
一瞬それが浮かんだ所為で、反応が遅れた。
もちろん彼がそれを見逃すはずもなく、すでに扉は閉ざされている。
これを開けて出て行くのも…と思った紅は、仕方なくドアの方を向いたまま蟹のように移動してベンチに腰掛けた。
静かな部屋に衣擦れの音。
それは決して長い時間ではなかったけれど、酷く緊張した。
気を抜けば頬が赤くなってしまいそうで、紅は壁のシミをにらみつけるようにして時間をやり過ごす。
「そんなに見てると壁に穴が開くよ」
「開かないわよ。着替えたの?」
「うん、待たせたね」
翼に声を掛けられて、紅は漸く振り向く。
私服姿を部室で見ると言うのはどこか新鮮で、何度か見たことのある服が別のもののようにも見えた。
じっと自分を見つめたまま黙ってしまった彼女に、荷物を移していた翼は首を傾げる。
「見惚れるのは勝手だけど、時間なくなるよ?」
「み、見惚れてないから!」
「はいはい。ほら、鞄」
そう言って、学校のそれから貴重品やら必要なものを移した普段の鞄を彼女に差し出す。
そして、自分の制服と畳んであった彼女の制服、それから学校指定の鞄を紙袋に入れる。
少し嵩張ったけれど、持って帰るのは自分ではないから別に気にしない。
そこまで準備を終えたところで、コンコンと部室のドアがノックされた。
「用意は出来た?」
「丁度良かったよ、玲。これ、よろしく」
「ええ、わかってるわ。あぁ、紅。その服は初めて見るわね、良く似合ってるわ」
顔を覗かせたのは玲で、彼女は翼から紙袋を受け取りながら紅に微笑みかける。
褒められた事が嬉しかったのか顔を綻ばせる彼女を見た後、翼はベンチから立ち上がった。
「さて、と。んじゃ行って来る」
「行って来ます」
「今は職員会議の最中だから、きっと先生も居ないわ。気をつけなさいね」
楽しんでいらっしゃい、と彼女は手を振った。
今度は玲に見送られて、二人は部室を出て行く。
「間に合う?」
「次の上映には十分」
「そっか。それにしても…よく玲姉さんが許してくれたね」
「あぁ、言い忘れてたけど…。これが玲からのお返しだってさ。楽しんで来いって言ってたよ」
昨日だけど、と答えるのは隣を歩く翼。
―――今度上映する映画を観に行きたい。
それが一ヶ月前の紅の願いだった。
制服デートと言うのも少し憧れるけれど、流石にそれで映画館に入る気にはなれない。
けれど、家とは逆の方角にある映画館に行くのに、一度家に帰るのは時間が勿体無い。
そう判断した翼は、バイク通勤の玲に荷物運びと部活を休みにしてくれるよう頼んだのだ。
こんな事で部活を休みにして欲しいと言えば、はとこは怒るかもしれない。
そう思ったけれど、予想外にあっさりとYesが返って来た。
「映画久しぶりだから楽しみ」
「そう言えば…。前に観たのは半年前?」
「多分ね」
ありがとう、とパンフレットを片手に笑う彼女に、どういたしまして、と答える。
もう15分もすれば始まるかな、と思ったところで、彼はポケットに入れたその存在を思い出した。
「紅、手を出して」
「手?」
言われた通りに差し出された手の上にちょこんとそれを乗せる。
四角くて平たくて小さくて、それから可愛らしくリボンが飾られたそれ。
「俺からのお返し」
「でも、連れて来てもらったのに…」
「これは賭けの景品だろ?そっちはバレンタインの分」
受け取りなよ、と言われて紅は素直に頷く。
元々くれると言うものを拒むつもりはない。
開けようかどうしようかと悩んだ所で、場内の明かりが少しだけ落とされた。
スクリーンに映し出される予告に、タイミングを失ってしまう。
とりあえず失くさないように、と鞄の中にそれをしまいこみながら、スクリーンを見ていた翼の手を引いた。
「ありがとう」
微笑む彼女に、翼はその手を取ってその甲に軽く唇を落とした。
「わ…綺麗なピアスだ。しかも誕生石」
「安物だよ」
「でも、嬉しい。これを機にピアスホールを開けようかな…」
「毎日ケアしないといけないんだし、もう少し様子を見れば?学校で注意されるよ」
「そっか…そうだよね。やっぱり、高校に入らないと無理かな」
「危ない橋を渡らないならそれが妥当だね」
「暫く付けられないけど…ごめんね」
「…別にいいよ。付けられるようになるまでは離れる予定はないしね。もちろん、その後も」
「(映画の後ってこっちが照れることを平気で言うよね…)」
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07.03.14