2月14日
夢追いのガーネット Side episode

2月14日。
自分の誕生日には休ませてくれる兄も、この日ばかりは苦笑交じりに「サボるなよ」と頭を撫でる。
本音を言えば「行きたくない」なのだが、彼にこう言われてしまえばそれ以上の駄々を捏ねられる自分ではない。
溜め息混じりに、いつもの通学路へと一歩を踏み出すのだ。






「紅。お願いだから剣道部に来て」

朝練を終え、教室へと入ってきた悠希は、開口一番紅にそう言ってきた。
おはよう、と挨拶を返すはずであった唇は、苦笑を浮かべる他はない。
この言葉の原因を、紅は彼女が手に持っている紙袋の存在で理解したからだ。

「ごめん。そっちに行ったか…」
「当然でしょ!サッカー部の朝練がないって分かれば、あんたのファンは剣道部に来るに決まってるじゃない!」

今までどこに居たの!と強く問われ、紅は口では答えずに指先を天井へと向ける。
上、つまりは屋上だ。

「まさか、朝練がないのは…」
「もちろん、キャプテンの一存。まぁ、こんな日に部活をしても効果ないし」

如月の14日と言えば、女子学生ならば一度は便乗した事があるであろうバレンタインデーだ。
親しい人にチョコを渡すのは、お菓子会社の策略に乗せられた日本のみらしい。
尤も、最近ではチョコだけに限らず、何かを渡すと言う行為に変わってきているような印象を受けないでもない。
チョコを渡すのは、何も親しい人だけではない。
それは友人であったり、恋人であったり―――好きな人であったり。
日頃の思いの丈をぶつける…といったら少し語弊があるかもしれないが、とにかく親愛の心を込める事が多い。
となれば、常日頃から人気の高い男子にその照準が集まるのも無理のある話しではないのだ。

「サッカー部の練習がないって知った時の女子の声。道場まで聞こえたわよ」
「うん。あそこでも聞こえた」

少しばかり、申し訳ないことをしたかな、と苦笑を浮かべる紅に、悠希ははぁ、と溜め息を吐き出した。
そして、本題に、と自身の椅子に腰掛けてクルリと振り向く。

「でも、何で今年はこんなに必死で逃げてるの?」

今だって、悠希と話すことで教室の外からの視線に気付いていない振りをしている。
少なくとも、去年は普通に来る者拒まず、と言う姿勢だったはずだ。

「んー…賭けを、しておりまして」

紅はそう答えて悪戯に微笑んだ。
ペロッと舌を出すその仕草が酷く子供っぽく見えて、見慣れない彼女の行動に周囲の男子が浮つく。
先ほどから、彼らが彼女の発言に一挙一動している事に気付いていた悠希はもう一度溜め息を吐いた。

「何を?」
「いやー…実は、昨日の夜に去年のチョコの数の話になって…」





「同数!?俺と紅が?」
「…みたいね」

ホットレモンを片手に紅は苦笑した。
去年のチョコの数を聞かれたから、覚えていた数字を述べた、ただそれだけ。
その数字が偶々彼の去年のそれと同じだったらしい。

「何で女の紅がそんなに貰ってるの?」
「…ほら、剣道をする女の人って格好良いから」

最中は面で隠されたその顔が露になる瞬間だとか、練習で竹刀を構えるその真剣な姿勢。
女子高であったならば、その人気をその身一つに集められるだけの魅力があるのだ。
自分だって、玲が女子高の先輩に居たならその背中を追いかけている。

「今年は増えるかなーって思う。多分だけど」
「何で?」
「生徒会長したでしょ。アレ」

有名になると増えるのよね、とどこか人事のような彼女に、最早開いた口が塞がらない翼。
嫉妬したりするだろうか、とチョコの話を持ちかけた。
ほんの些細な出来心だったと言うのに、何故こんな事になってしまったのか。
自分のようにチョコを貰う事を迷惑そうにではなく、寧ろ少し照れたように話す彼女。
改めて自分の彼女の人気に、彼は直面する事になってしまった。

「…賭けようか」
「駆ける?無性に走りたいの?メロスにでも影響された?」
「違う。チョコの数、賭けようか」

その提案に、彼女は目を瞬かせた。
自分でも何を考えているのか…。
とにかく、口が勝手にそれを紡ぎだしてしまっていて、気付いたのは驚く彼女の表情を見てからだ。
紅に関係していると、自分はつくづく平常ではいられないらしい。

「いいよ。でも、普通に賭けるんじゃ面白くないし面倒だから…数の少ない方の勝ち、ね」

そう言って、彼女はその口元に笑みを浮かべるのだった。










「って事なの。因みに、両者共に今日は未だ0」
「あんた…その賭けは卑怯だわ」

紅の思惑に気付いた悠希は、やや呆れた風にそういった。
彼女の言葉にも、紅は笑みを深めるのみだ。

「だって、ね。翼との賭けって、中々勝てないから」

こうでもしないと、と彼女は笑う。
それは反則技だろう、その言葉を飲み込んだのは、始業ぎりぎりになって翼が教室に姿を見せたからだ。
全力疾走でここまで来たのか、髪は乱れて息が切れている。
そんな彼に、紅はのんびりと手を振って見せた。

「中間報告。現在の状況は?」
「ゼ、ロ!」

ドサッと鞄を机の上に置き、彼はぐたりと椅子に座り込む。
紅は苦笑交じりに持っていたペットボトルを彼に差し出した。
無言でそれを受け取ると、翼は何口かそれを含んで机に倒れこむ。
彼をここまで疲れさせるとは…試合中でもそうそう見ない彼の様子に、紅は場違いな関心の念を抱く。
それと同時に、今日は放課後まで持つのかなぁと人事のように考えていた。















帰り道、どこか草臥れた様子の翼と共に、紅はいつもよりは早めに帰路へとついた。
朝練がなかった分放課後は!と意気込んでいたのだが、よく考えれば朝渡せなかった女子が諦める筈がない。
結局、部室前に座り込み状態で翼を待つ女子生徒に、今日の部活は休部にせざるを得なかった。

「散々な目に遭った…」
「ははは。ご苦労様」
「何で紅はそんなに平和なわけ?」
「付き返すんじゃなくて、明日にしてって断ったから。チョコは一日くらいで傷んだりしないし」

ケロリとそう言ってのけた彼女に、翼は一時歩みすらも忘れてしまう。
目を瞬かせる彼を見て、紅は「やはり気付いていなかったか」と思った。
初めから断るとなれば、しつこい相手に苦労しなければならない。
しかし、歯医者だから、などを理由に明日に持ち越すよう話を持っていくと、面白いほどあっさりと引いてくれるのだ。

「…それって、卑怯じゃない?」
「思いつかなかった方が悪いんだと思うよ」

そう答えれば、苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
何だか今日は、知らない…訳ではないけれど、あまり見ない顔が見られるなぁ。
そんな事を考えながら、紅は彼に向けて問うた。

「で、今の数は?」
「ゼロ。このまま決着が付きそうだね」

すでに二人の家は見えていて、このまま行けばどちらにも軍配はあがりそうにない。
しかし、彼は失念していた。

「それはどうかな」

クスリとそう笑うと、紅は鞄から綺麗にラッピングされたそれを取り出す。
翼はそれを見るなり、貰ったの?と意外そうな顔を見せた。
だが、彼女はその問いかけに対して首を振る。

「毎年の恒例も忘れて勝負をしかけるなんて…翼らしくないね?」

紅はそう言って、彼からよく見えるようにそれをちょこんと掌に乗せる。
可愛らしく結わえてあるリボンに、小さなメモが挟まれているのが見えた。
そこに書かれている綺麗な筆記体の文字を読み取るなり、彼は唖然と口を開く。

「ねぇ、翼。私からのチョコと、勝負の勝ち。どっちを取るの?」

はい、どうぞ。
そう差し出されるチョコを前に、彼は初めて彼女からのそれを受け取るかどうかを悩む状況に立たされた。
もっとあの時によく考えておけばよかった。
お菓子会社の策略とは理解しつつも、彼女は毎年手作りのチョコをくれる。
今年に限りそれが無いと言うことなど、ありえる筈が無かったのだ。

「………わかったよ。俺の負け、だね」

結局の所、翼の中に紅からのそれを受け取らないと言う選択肢はない。
溜め息混じりに自身の負けを認め、何をして欲しいの、と問いながらそれを彼女の掌から受け取る。
その際にハッピーバレンタイン、と楽しげな声が彼女の唇から紡がれた。
賭けに負けて悔しい事に変わりは無いけれど、その嬉しそうな表情だけで少しばかり気分が浮上する。
お手軽な性格…と思いつつも、こればかりは惚れた方の負け…とでも言うのだろうか。
あのね、と彼女の口から紡がれるお願いに、二人は家を通り越して夕暮れには早い道を歩き出した。

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07.02.14