台風到来
夢追いのガーネット Side episode
「あ、お帰り」
バス停から歩いてきていた紅は、今まさに自宅の門を開こうと言うところでそんな声を掛けられた。
声の方を向けば、学校が違う所為か中々会うことの出来ない幼馴染の姿。
偶にメールの遣り取りをするくらいで、話したのは一週間くらい前だっただろうか。
「翼…?こんな時間に珍しいね」
「まぁね。今日まで合宿だったんだろ?お疲れ」
にこっと笑って、翼はそう言った。
彼の一言に彼女自身も笑みを返し、門を開いてそこから身を滑り込ませる。
「じゃあね」
「あ、紅」
別れの挨拶、と振り向いた彼女を追うようにして翼の声が掛かる。
紅はきょとんと彼を見て、その続きを待った。
「明日、面白い事が起こると思うよ」
言い終わるが早いか彼は自宅の玄関の中に消えていく。
紅は言い逃げ…と思いつつ首を傾げた。
「…明日って…何かあったっけ?」
学校の行事予定を脳裏に浮かばせるも、彼の言葉の真意を悟る事は出来そうに無い。
まぁ、明日になればわかるだろう。
剣道部の合宿で疲れ切っている身体をそれ以上酷使する事など出来ず、紅も家の中へと消えていった。
夜。
ふとベッドの中に入り、紅はとある事を思い出す。
「あれ…そう言えば…翼に合宿の事話したっけ…?」
自身の記憶が確かならば、彼に話している暇は無かったはずだ。
ん?と首を傾げつつも、兄が話したのだろうと結論付け、考える事をやめる。
疲れた身体は与えられた睡眠を貪った。
翌日、目覚まし時計だけでは起きられなかった紅は暁斗に起こされて学校の準備を始める。
出掛けるついでにと彼に送ってもらった為、着いたのは始業のチャイムより40分ほど前だった。
「お?紅、早いね」
各地で流れ解散だった為に、合宿参加者は自宅近くで一人また一人と別れた昨日。
紅もそのまま直帰していて部活の荷物まで持ち帰っていた。
それを部室まで運ぶ道中で、彼女は悠希と出逢う。
「おはよ。悠希も早いね」
「何か不必要に早く目が覚めちゃったから。紅は寝坊したでしょ?」
「何で!?」
「あ、やっぱり寝坊したんだ?あんた、疲れると翌日起きられないもんね」
けらけらと笑う悠希に、紅はそこにきて初めてカマをかけられたのだと気付く。
普段は勘のいい方の彼女だが、悠希相手となるとどうにもいつもの調子には行かなかった。
部室に持ち帰っていた胴着などを置くと、二人で揃って教室へと向かう。
「そう言えば、風の噂なんだけど…」
「ん?」
「うちのクラス。転校生来たらしいよ。男だって」
「へぇー…」
特に興味のなさそうな返事に、悠希はクスクスと笑う。
転校生とあれば性別が気になるところ。
更にそれが異性と知れば今度はかっこいいのか、などと言う疑問が出ても良さそうなものだ。
現に、それを教えてくれた後輩は酷く興奮した様子だった。
「興味ないの?」
「無いよ。まぁ、いい人だったら嬉しいけど」
「何で紅が嬉しいの―――って、そっか。委員長だもんね」
「そう言う事。理由つけて案内とかさせられるだろうから…」
そうなってしまえば、言葉を交わさないわけにもいかない。
紅が性格のいい転校生である事を願うのも無理は無いだろう。
「雪耶ー!!」
勢いよく近づいてくる声に、紅はひょいと身を左へ避ける。
丁度先ほどまで彼女が歩いていた位置を、急には止まれなかった声の主が走っていく。
彼は数歩余計に走ると、その場でくるりと身体を反転させた。
「合宿から帰ったんやな!お疲れさん」
「うん」
「で、疲れとるとこ悪いけど屋上にダッシュや!!佐倉!雪耶借りてくで!!」
「は…?って……引っ張るな!こけるって!」
紅の言い分など聞かず、関西弁の彼は彼女の手を引いて元来た道を走る。
一方、一人残された悠希はその背中を見送り「何だったんだ?」と首を傾げた。
「大丈夫か?」
「…へ、いき…」
体力が無いわけではないが、人のペースで全力疾走と言うのは中々辛いものだ。
肩で息を整える紅に、柾輝がまだ開けていない紙パックのジュースを手渡した。
ストローまで刺してやると言う何とも優しいオプションつきで。
東棟の1階から西棟の屋上までノンストップで連れてこられた紅。
かなりきつかったらしく、屋上に来たのはいいが顔を上げることさえ出来ない。
呼吸の所為で乾いた喉を潤す程度に、ほんの少しだけジュースをストローから吸い上げる。
そこで、紅は漸く身体を起こす事に成功した。
まず、真正面に居た人物に視線が向く。
「…………」
にっこり。
「…げほっ!!」
ストローから吸い込んだそれが気管支を直撃する。
吸い込んでしまったのは少量とは言え、地味に苦しい。
「何しとんの?」
「……う、るさい…っ」
咽る苦しさと言うのは、その本人にしかわからないものだ。
折角整った呼吸も再び乱れ、彼女はそれを整える事にまた数分の時を要した。
漸くそれを整え終えると、俯けた視線を持ち上げてその人物を指差す。
「何で翼がここに居るの!!」
そんな彼女の言葉に、翼は悪戯の成功した子供のような笑みを浮かべた。
二人の反応に首を傾げるのは周囲の四人。
「知り合いか?」
「………赤の他人です」
「幼馴染に向かってそれは無いんじゃない?」
五助の言葉に紅は苦虫を噛み潰したような表情で答える。
しかし、彼女の言葉は翼のそれによって、一瞬のうちに無意味なものと化した。
四人の視線が、翼と紅の間を行き来する。
「…聞いてない」
「言ってないよ」
「何で!?」
「その方が面白いでしょ?」
「家が隣なんだから教えてくれたっていいじゃない!」
面白いからと言う理由で黙って転校して来た幼馴染に、紅が食って掛かる。
その様子を四人が少し驚いた様子で見ていた。
彼らは示し合わせたわけでもなく二人からスススと距離を取り、集まる。
「なぁ、雪耶が子供に見える」
「子供っちゅーか、歳相応に見えるんちゃうか?」
「いつも大人びてるけど、ああしてると普通に中2に見えるな」
「何か…意外な一面発見?」
先生からの人望も厚く、かつ生徒の間でも男女問わず人気の高い彼女。
それだけに、頼られることが多い所為か彼女は酷く大人びていた。
だが、今翼と言葉を交わす彼女には、張り詰めた鋭さは無い。
幼馴染だと言われても頷ける何かが、二人の間にあった。
「四人とも、サッカー部の話に入るよ」
こそこそと話し合っていた彼らに紅からの声が掛かる。
来いと手を揺らす彼女に従い、一度は開いた距離を自ら詰める四人。
「驚かされた事とか黙ってた事は、凄く不愉快だけどこの際水に流すことにして…」
「しつこいね、紅も」
「翼が来てくれたなら、最後の条件が揃うわ。今日中に先生に話をつけておくから」
そのつもりで居て、と紅は言う。
そんな彼女を横目に、翼は感心したような声を発した。
一同の視線が彼へと集う。
「暁斗が、紅は本気でサッカー部を作ろうとしてるって言ってたけど…本当だったんだね」
「…嘘なわけないじゃん」
「紅を本気にさせた辺りに感心するよ。こいつ、基本的に信頼しないと動かない性質だから」
ぽんぽんと紅の肩を叩いてそういえば、彼女がむっとした表情を浮かべる。
そんな行動すら、四人からすれば初めてだ。
サッカー部を作りたいからと彼女が仲間に入って早二ヶ月。
友好関係を築くには十分だが、深く知り合うには少し短いような気がする時間だ。
怒ったり不機嫌にしたりすることはあまり無く、仕方ないなぁと苦笑を浮かべる事が殆ど。
ごく自然に、ころころと新しい表情を引き出す翼に、尊敬に近い感情が四人の中に芽生えた。
「あ、もうHR始まるね」
校庭から見えるようにと、馬鹿でかい時計が屋上から見える校舎の壁に張り付いている。
その時計の示す時間を捉え、紅は言葉と共に立ち上がった。
スカートの裾をパンッと払って埃を落とし、階段の方へと歩き出す。
彼女に続いたのは翼だけで、それに気付くと紅はくるりと振り向き、綺麗に微笑んだ。
「行くよね?」
「「「「…おう」」」」
有無を言わさぬ笑顔に、四人は同時に頷いた。
「…女子が凄い」
紅を拉致された後、仕方なく一人で教室までやってきた悠希。
持ってきていた小説を読んでHRまで…と言うより紅が戻るまでの時間を過ごしていた。
そんな彼女の耳に、登校して来たクラスメイトの声が届く。
男子よりも高い、女子特有のそれは酷く浮ついた様子だった。
そこで漸く視線を活字から外した悠希は、クラスメイトを視界に捉えて思わず上のように呟く。
いつもより数倍気合の入っている女子がわんさか。
明らかにこのクラスの女子生徒だけではなく、男子なんかは女子の気合に少し引き気味だ。
普段教科書など開かないような奴が勉強に逃げているのがいい証拠。
獲物でも狙うかのように目をぎらつかせるような子と関わりたくないと言う気持ちはよくわかるが。
不意に、廊下に屯っていた生徒がざわめく。
「王子様のご登校か…」
悠希の呟きとほぼ同時に、開かれっぱなしの教室の扉から王子…基、椎名翼が入ってきた。
クラスメイトの女子の目つきがガラリと変わる。
その様子に思わず入り口のところで立ち止まる翼の脇をすり抜け、紅は自身の席に着いた。
一年と少し使い込んだ鞄から教科書を抜き出し、机の中に移動させる。
「あれって紅の幼馴染じゃなかったっけ?」
「そうだよ。私も今日…って言うか、さっき知ったところ」
世間は狭いよね、と紅はどこか遠い目を見せて呟いた。
確かにと頷き、悠希は翼の観察にかかる。
一時は女子の殺気にも似た気迫に静止した彼だが、すぐに調子を取り戻したのか自身の席についている。
彼の席は悠希の右の二列前で、観察するには格好の位置だった。
「あ」
ふと、翼が何かを思い出したように声を上げる。
そんな声にすらピクリと反応する辺り、教室内の人間の耳はダンボ状態だと言える。
「ねぇ、紅。さっきの部の話だけど…」
「ん?」
振り向いた彼に、紅は当たり前のように答えてその内容を聞く。
因みに悠希の右斜め前の席は紅で、その前が翼と言う何とも絶妙な位置関係。
普段通りに言葉を交わしているのだろうが、二人は気づいていなかった。
「お互いを名前で呼んじゃ駄目でしょうが…」
悠希の言葉は、サッカー部設立に盛り上がる二人には届かなかった。
その後、二人が幼馴染なのだということは瞬く間に広まる。
紅を翼に譲りたくない男子生徒と、何とか翼の隣をゲットしたい女子生徒。
水面下の静かな攻防が広げられている事に、本人達は気付いていながらも知らない振りをしていた。
「お互いがお互いを牽制して静かだし」
「その方が平和に暮らせるしね」
こんな二人が幼馴染から脱するのは、それから一ヶ月後の事。
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06.07.06