休日事情
夢追いのガーネット Side episode

コンッと窓を叩く音に、ほんの少しだけ意識が浮上する。
それでも、覚醒するまでには至らない小さな音。
その音源を確かめる事無く、紅は再び掛け布団を抱え込んだ。





一方、窓の外では。

「ったく…携帯の電源オフだね、完璧に」

窓を外から叩いてみても、無反応。
仕方なくベランダの手すりに凭れて携帯を取り出したのだが、電話はそのままセンターへと繋がれた。
無機質な音声を半分も聞かないうちに翼は通話を切る。
そして別のアドレスを呼び出し、再び電話をかけた。

「…あぁ、暁斗?うん、俺。翼。悪いんだけど、紅起こしてくれない?」

4コールほどで電話口に声を発した暁斗は、すぐに彼の要望に答えた。
約束があったのか、と問いかけられ、翼は肯定の返事を返す。
それに返って来たのは軽い調子の謝罪と、電話口から離れた彼女を呼ぶ声。
どうやら完全に熟睡しているらしく、暁斗が「かけなおす」と言って通話を切った。











部屋の中に戻るか…と思った矢先、彼女の部屋に動きがあった。
シャッと勢いよく開かれたカーテンの向こうに、正しく寝起きと言った感じの紅が顔を出す。
寝起きの所為なのか、自身の失態が恥ずかしいのか…彼女の頬は赤い。

「ごめん!!思いっきり寝過ごした!!」
「別にいいけど…はねてるよ」

手を伸ばせば届く距離まで近づいてきた彼女の髪を撫でる。
一瞬呆けるように動きを止めた彼女だが、ハッと我に返るとまた慌てた様子で部屋の中に戻っていった。
今から準備を始めたとして、それが終わるまでには早くても30分は掛かるだろう。
自室のベッドに腰を下ろし、時間つぶしにと持ち上げたサッカー雑誌に視線を落とした。
前に読んだ記事に視線を落とす事約5分。
突然…いや、携帯が鳴り出すのが突然であるのは当然なのだが、兎に角それが着信音を奏でる。
別に何があるわけでもないのにビクリと驚いてしまった自分を軽く叱咤して、彼はそれを取った。

「はい?」
『翼、非常に言い難いんだが―――』

暁斗の言葉の内容を聞くなり、翼は膝の上に乗せていた雑誌を放り出して部屋から飛び出した。
















「間抜け」

部屋に入った翼の第一声。
その言葉に紅は申し訳なさそうに苦笑を浮かべた。
そんな彼女の足首には、氷水の入った氷嚢が乗っかっている。
暁斗からの電話の内容はこうだ。

『紅が急いで階段から落ちた』

本末転倒である。
出掛けるために慌てた所為で、足首を軽く捻って出掛けられなくなるとは…呆れる以外に浮かばない。
「何で自分の家の階段で落ちるかな…」
子供の頃ならまだしも、と翼は溜め息と共にそう言った。
彼女は所在無さそうに身を捩るが、足の上の氷嚢が落ちそうなので大して動けない。

「…急いでた上に寝ぼけて…た…?」
「俺に聞かれても知らないよ」

自分でもよくわからない内に落ちたので、何とも言えないところだ。
尤も、落ちたと言ってもどちらかと言えば踏み外したと言った方が正しい程度。
足だって明日には問題なく動けるだろう。

「結局今日は出掛けられない運命だったらしいね」
「もー…ごめんってば」
「謝られてる感じがしない」
「…ごめんなさい」

口ではそう言っているが、翼がそう感じているはずが無い。
目の前の彼女はベッドの上で詰まらなさそうに怪我の無い方の足を揺らし、肩を落としている。
金曜の帰り道で出掛けたいと言い出したのは彼女なのだから、自分よりも落ち込んでいるに決まっているのだ。

「…ま、家でゆっくりするってのもいいんじゃないの?最近休み返上で選抜の練習入ってたし」

そんな彼のフォローは、少しとは言え彼女の気分を浮上させる事に成功したらしい。
何かを言おうと彼女が口を開いたその時、部屋の扉から暁斗が顔を覗かせた。

「俺、出掛けてくるけど…翼が居るなら問題ねぇよな?」
「あ、うん。行ってらっしゃい」
「おう。んじゃ、悪いけど、頼んだぜ翼。あんまり動かないように見張っててくれ」

すぐに動きたがるんだ、と暁斗が悪戯めいた笑みを浮かべる。
翼が頷くのを見届けて彼は廊下へと消え、数秒後に玄関の開閉音が届いた。

「そう言えば…翼、あの宿題もう終わらせた?」
「どの?」
「数学のワーク。提出はまだ先だけど…」
「………あぁ、そう言えばそんなのもあったね。大体終わってると思うけど」

部屋の中に居るのは、飛葉中三年の学年一位と二位だ。
うっかりしていて提出ミス、などと言う事はまずありえない。
この宿題にしても、期限は一週間も先だ。

「今からやろうかと思うんだけど…」
「あ、じゃあ俺も持ってくるよ」
「わかった。ここでいい?」

そう言って紅が指したのは言うまでも無く自室。
今は壁に立てかけている平机を下ろして向かい合う、と言うのが彼らの勉強スタイルだ。
いつも通りなのだろうと思った紅が平机に手を伸ばすが、彼の声がそれを制する。

「リビング使ってもいいんだろ?そっちでやるよ」
「いいけど…何で?」
「足。椅子の方が楽でしょ」

そう言って、彼は彼女が立ち上がる前に椅子から立ち、本棚に並んでいる教科書類の中から目当てのものを引っ張り出す。
必要と思われるものを適当に持つと、他に何かいるかと彼女に問いかけた。

「あとはペンケースくらいだから」
「そ。んじゃ、これでいっか。ほら、行くよ」

教科書やらワークやらを小脇に挟むと、彼は紅に向かって手を差し出す。
少しだけ微笑んでその手を取り、少し身をかがめて氷嚢を空いている方の手に持った。

「歩けるの?」
「大丈夫」
「そんな不安定な歩き方でよく言うね」
「翼が心配性なだけ」

そんな彼女の言葉に、翼の頬がぴくりと引きつる。
綺麗な顔に、綺麗な笑顔が浮かんだ。
あ、やばい。そんな考えが紅の脳裏を過ぎる。

「紅?」
「…はい」
「素直に肩を借りるのと、無理やり抱き上げられるのとどっちがいい?」
「是非とも前者でお願いします」
「…即答だね」

ふっと笑った翼に、紅は「当然だ」と返す。
誰も居ないとは言え、抱き上げられるのにはやはり抵抗がある。
翼が有言不実行などまずありえないので、素直に聞いておいた方がいいのだと、今までの経験から悟っていた。












「他に怪我が無くてよかったよね」

数字の羅列に向き合い始めて数分。
何の前触れも無い突然の言葉に、紅の手の中にあったシャーペンの芯がポキッと折れる。

「どうしたの、急に」
「いや…暁斗が用件だけ言って電話を切るからね…」

その時の様子を思い出したのか、翼は長い溜め息を吐き出した。
階段から落ちて、その後どうなったなどと言う説明は一切無かったのだ。
翼が慌てて飛んでくるのも無理は無い。

「………心配してくれたんだ?」
「…ま、一応ね」

ここに来て、彼は初めて自身の失態に気付く。
この話題を持ち出せば、自分が彼女を案じた事は丸分かりではないか。
不自然にノートへと落とされた視線が、それを如実に語っていた。

「ありがとうね」
「…間抜けな幼馴染を持つと無駄に心配させられて困るね、本当に」

何を言っても、もう照れ隠しにしか聞こえない。
ついには声を出して笑い出してしまった紅。
彼の雷が落ちるのも時間の問題である。





数時間後、日暮れ前に帰宅した暁斗。

「相変わらず仲の良いこったな」

リビングに入った彼を迎え入れたのは、ソファーで肩を貸しあいながら眠る二人の寝息だった。


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06.06.28