夢追いのガーネット
Idle talk 27.5

不意に鳴り響いた携帯電話。
暁斗は仕事の合間、コーヒーに向かって伸ばしていた手の進路を変える。
パカリと黒の折りたたみ式のそれを開けば、ディスプレイに表示されているのは見知らぬ番号。
市外局番だけは、自分の住んでいる地域のものなので覚えがあった。

「…誰だ?」

こんな時間にかけてくるような、近所の知り合いは居ない。
今現在の時間といえば8時を少し回ったあたり。
目に入れても痛くないような可愛い妹は、つい先程家を出て幼馴染と自分の学校への通学路を歩いている筈だ。
午後からの練習には暁斗も見に行く予定になっているので、それまでに今未完成の仕事を片付けなければ。
ぼんやりと考えていた時間は、片手の指で足りるようなほんの数秒。
知らない番号とは言え自分の住んでいる地区ならば取っても問題はないだろう。
そう判断し、暁斗は通話ボタンを押した。

「…はい。雪耶です」

低すぎず高すぎず、世間で言ういい声が室内に静かに木霊した。
だが、次の瞬間その声は普段の冷静さを失う事となる。
















暁斗の愛車が病院へと滑り込んだ。
それなりに急いでは来たが、法定速度を守らないほどではなかった。
彼は運転のために掛けていたサングラスを外し、助手席のシートに放り投げると小さいバッグ片手に車を出る。
遠くから背後に向けてボタンを押せば、車の方からロック完了を示すガチャリと言う音が耳に届いた。

「受付は―――…」

正面玄関から入った彼はきょろ、と受付を探して視線を彷徨わせる。
しかし、彼が見つけたのは受付ではなく…。

「何やってんだ、お前ら」
「あ、暁斗さん!!」

そう嬉しそうな声を上げたのは誰だったか。
名前は知っているが、今はとりあえず置いておこう。
受付前に集まっている集団が、暁斗の周りへとわらわらと移動してくる。
さながら地面に落ちた菓子に集う蟻だ。

「お前ら練習は?」

そう言ってぐるりと集団を見回すと、暁斗は一番話を上手く纏めてくれそうな人物へとそれを固定する。
自分が問われていると悟ったのか、彼…渋沢は少しばかり申し訳なさそうな表情で答えた。

「さっき、雪耶が事故に巻き込まれたと聞きました。俺も皆も心配で…」

自分を『暁斗さん』と呼ぶ彼が『雪耶』と呼ぶのは紅だ。
なるほど、彼女が事故に巻き込まれたとあれば皆が心配して病院に来るのも無理は無い。
しかし―――

「事故…?」

語られた言葉に暁斗は首を傾げる。
確かに、渋沢は『事故』と言った筈だ。

「あれ?暁斗さんも雪耶を心配してきたんじゃないんスか?」
「いや、まぁそうだが…事故とは聞いてないぞ」
「え?」

それぞれが仲の良い者同士で「どう言う事だ?」と疑問をぶつけ合う。
そして、一頻りざわめいた後、視線は自然と情報主…この場合、柾輝と六助の方へと向けられた。
一方、視線を向けられた二人も困惑気味に暁斗を見る。

「話を聞いたのは柾輝と六助なんだな。よし、とりあえず歩きながら話そう。邪魔だから」

暁斗の言葉に彼らは漸く気付いた。
自分達は今、酷く視線を集めているではないか。
それもそのはず。
病院に入ってきたばかりの暁斗を囲んだのだから、場所は当然のことながらそこから動いていない。
と言う事は、正面玄関入ってすぐのところで集団が固まっているのだ。
視線を集めるのも決して分からない話ではない。

「ほら、さっさと歩けー」
「部屋は分かるんですか?」
「一応電話で聞いてる。受付で来院を教えてくれって事だったんだが…こんだけ目立てば十分そうだ」

彼はそう答えると、受付の看護師に視線を向ける。
そう遠く離れていない受付の彼女は、十分に暁斗の声を拾うことが出来たらしい。
にこりと微笑まれた事に若い看護師は頬を軽く染め、そしてコクコクと頷いた。
それに再び人の良い笑みを浮かべると、暁斗は受付に背を向けて病室棟の方へと歩き出す。
背後で先程の彼女が看護師仲間と軽く騒ぐ声に背中を押されるようにして、彼らは病室へと急いだ。














玲の説明の内容を聞いた暁斗は、なるほどなと思った。
これならば柾輝や六助が『紅が事故をした(巻き込まれた)』と勘違いしても無理は無い。
実際に、自分がそんな連絡を受けていれば仕事も法定速度も関係なく、それこそ飛ぶように来院しただろう。
自分に余裕があった理由はいたって簡単。
あの電話がこの病院から紅の保護者に向けて掛けられたもので、倒れた原因が疲労だと知っていたからだ。
怪我も無くただ眠っているだけだと聞いたから、彼は仕事の区切りを付けてからこっちに来た。
それでも仕事の方は、急いだ事には急いだが。

「紅なら怪我も無いから安心しろよ。ま、詳しい事は本人に聞けばいい」

保護者であり、病院側から連絡を受けている暁斗の言葉の力は絶大だ。
顔には出さずとも彼女を案じていた一同の肩の力が抜ける。
そんな彼らを見て、暁斗は「玲の思い込みも厄介なものだ」と頬を掻いた。
話は最後まで聞け、と言ったところで、またこんな事になれば同じことを繰り返すだろう。
それだけ、紅を大事に思ってくれていることなのだと暁斗は諦めた。

「あぁ、病室はあそこだな。俺は担当の医者に挨拶してくるから、お前らは先に行ってろよ」

そう言って暁斗は彼らを病室へと送り出す。
ゾロゾロと20名以上で列を成す光景は病院で見るには少しばかり珍しいものだ。
だが、暁斗は勝手に持ち上がってくる口角を諌めることが出来なかった。

「…ちゃんと認められてるじゃねぇか」

同じフィールドに立てないだとか、そんな事は本当に小さな悩みだと言う事は、彼らの行動で確信付けられた。
あのチームの中に、紅の居場所はちゃんとある。
それが、暁斗にとって何よりも嬉しい事だった。



両親が仕事で海外に向かった時から、暁斗は妹を大切に育ててきた。
歳の離れた妹は「娘が居たらこんな感じか…」と言う考えすら抱く事がある。
熱を出せば付きっ切りで一晩看病したし、参観があると言えば彼女の許す限り参加した。
一重に、彼女が可愛いと言う兄としての想いがあったからこそ出来たこと。
まだまだお役御免するつもりは無いが、重圧を分ける肩は自分だけで無くても構わないはずだ。
支えてくれる人間は多いに越した事は無い。

「…悪くない仲間だ」

呟く暁斗は穏やかに微笑した。
優しく、慈愛すら感じることの出来るその微笑みは、廊下を行く看護師の動きを止める…一種の麻薬のようだ。
あちらこちらで看護師の銅像が出来上がっている。
それに気付いた暁斗は、軽く肩を竦めると適当な医師に声を掛けて紅の担当を聞きだした。

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06.10.01