夢追いのガーネット
Episode High School July

二人が早退した翌日には、当然のことながら噂も僅かな変化を見せていた。
部長と付き合っていると言う噂の紅が翼と二人して早退したのだから、無理もない話だ。
流石に、昨日の二人の様子を知っているクラスメイトは、他のクラスよりは静かにしている。
昨日よりはいくらかすごしやすい教室から出ないようにして、午前の授業を終えた昼休み。
その人は、現れた。

「雪耶さん、あの…」

クラスでも大人しいグループに入る一人の女子が紅を呼んだ。
そう仲も悪くないクラスメイトの声に、何?と自然に振り向く。
しかし、彼女が指差した方を見て、その表情が強張った。
紅の表情の変化を見た彼女は、自分が悪いわけでもないのに申し訳なさそうに眉尻を下げる。

「…うん、わかった。ありがとう」

ごめんね、と小さく謝罪する彼女を安心させるようににこりと微笑む。
そして、紅は自分の席を立った。
ドアの所で待っている人の所へと向かうために。

「紅」
「…一緒に来てくれる?」
「聞くまでもないでしょ」

隣に居た翼に問いかければ、さも当然と言う答えが返ってきた。
それに安堵の表情を浮かべてから、ドアの方へと歩き出す二人。
クラスメイトの好奇の視線が背中に突き刺さる。

「休憩中に悪いね。雪耶も、椎名も。尤も、用があるのは俺だけじゃないと思うけど」

渦中の一人である渋沢部長がそこにいた。
困ったように笑っているのは、二人のクラスメイトからの興味津津な視線のせいだろう。
翼を連れて来るであろうことは、彼にとっては予想通りだ。

「そうですね」
「ここじゃ、落ち着いて話も出来ないね。場所を変えようか」

そう言って彼が指先で摘んだ鍵には見覚えがある。
わかりやすいようにと付けられたサッカーボールのキーホルダー。
サッカー部の部室の鍵をちらつかせた彼に、二人が頷いた。
教室と廊下からの視線を集めながら、三人は校舎を後にする。













「何から話せばいいのか…とりあえず、ごめん」

部室でそれぞれパイプ椅子に腰を下ろした三人。
話を始めたのは部長からだった。
向き合うように並んで座る紅と翼。

「俺も、流石にこうなるとは予想していなかったんだ」
「いいえ、あの場でちゃんと否定できなかった私の責任もあります」
「本当に―――ごめん」

二人の会話を聞きながら、翼は心中で溜め息を吐き出す。
元々、口を挟むつもりはなかったし、況してや部長に文句を言うつもりもない。
ここについてきた理由は紅が不安そうな顔を見せたから。
それと、もう一つ―――これに関しては、確かな証拠はない。
しかし、翼にはある種の確信があった。

「君たち二人を呼んだのは、そろそろ噂を何とかしておこうと思ったからなんだ」
「何とかって…方法がありますか?」
「うん。考えてるのが、一つね。けど、その前に一つだけ、話しておきたいことがあって」

そう言った彼の視線が、翼へと動く。
許可を求めるような眼差しの意味を理解した翼は、やはり、と思った。
他人の発言に対してそれを止める強制力などない。
けれど、あくまでそれを求める彼は、人が良いというかなんというか。
人の感情に配慮できるからこそ、彼は多くの生徒に慕われているのだろう。
翼は何も言わなかった。
しかし、返す視線に答えを載せる。
翼の表情を見た部長は、ありがとう、と呟いた。
紅へと向き直った彼が穏やかに笑う。

「混乱させることを承知で、話をさせてほしい」
「…はい」

その真剣な空気に、何を言われるのだろうか、と緊張して姿勢を正す紅。

「―――好きなんだ」
「………え?」
「君の事が好きなんだ。だから、誰に告白されても、ずっと断ってきた。…二年前から、ね」

告白されたことなら、今まで何度も経験している。
それなのに、この時ばかりは頭が正常に働かなかった。
まったく考えていなかった出来事に対し、頭が考えることを放棄したかのように。
唖然とした様子で瞬きを繰り返す彼女に、部長は苦笑を零した。

「全然そう言う風に見てもらえてなかった事は知ってたよ。俺が君を知った時、君の隣には既に椎名がいたからね」
「ご、ごめんなさい…」
「それは、告白に対する返事かな?」

少し寂しげに笑う彼に、紅は机の下で翼の服の裾を掴んだ。
考えを整理するように深呼吸を一つ。
やがて、ゆっくりと口を開く彼女の目に迷いはなかった。

「…私、翼が好きなんです。何年も前からずっと…変わるどころか、毎日新しい翼が好きになる。
思ってくれていることは嬉しいですけど、同時に…心苦しいです。気持ちには答えられないから」

彼の人となりを知っていて、好きだと思うからこそ、この返事しか出来ないことが心苦しい。
どれほどに思われていたとしても、その想いに答える事は出来ない。
人として好きではあるけれど、異性として恋しているわけではない。
愛しいと思う感情の先に居るのは、ただ一人だけだから。

「うん、ありがとう」

柔らかく微笑んだ部長の表情に哀しみはない。
普通ならば、告白を断られれば悲しみや寂しさと言った感情が浮かぶものだ。
いっそすっきりしたように見えるそれは、作った表情ではない。

「本当のところを言うと、好き“だった”と言った方が正しいんだ。
俺が好きなのは、剣道をしている君だから。正直、ここで会ってからの君は、可愛い後輩なんだ」

同じ人物であるはずなのに、胴着を纏った背中を見た時のように、胸を焦がすような想いを抱く事はなかった。
それどころか、翼と話をしている彼女はとても可愛くて、等身大の恋愛が微笑ましいとさえ思ったのだ。

「ごめん。混乱させるくらいなら、言わない方がよかったんだろうけど…けじめは付けておきたくて」
「いえ、こちらこそ…」

状況を理解するのに必死な様子の彼女は、何とかそう答えているようだった。
そんな彼女を見て、やはり違うな、と思う。

二年前、初めて見た彼女は、藍色の胴着を纏い、凛とした様子で試合に臨んだ。
過ぎるほどに練習したはずの妹をあっさりと打ち破った彼女に抱いた感情は、憧れに近かったのかもしれない。
あの時はまだ一年生で、入ったサッカー部はろくでもない部長の所為で基礎練習ばかりだった。
満たされない日常に入り込み、鮮やかな色彩を放つ彼女が、まるでヒーローのように思えたのだ。
それは年下の異性に抱く感情としては不自然で、それが自然と恋心へと進化したのだと思う。

「…ありがとう」

今の自分があるのは彼女のお蔭―――ずっと温めていた言葉を、漸く告げることが出来た。
短いながらも彼の話を聞いた紅は、とんでもない、と首を振る。

「でも、ありがとうございます」

誰かに感謝される事は嬉しいことだから。
そう言って微笑んだ彼女を見て、彼女でよかったと、心からそう思う。





「例の噂の事は、俺に任せてくれないか?」

明日になるけど、ちゃんと解決するから。
そう言った彼に、二人が頷いた。
そして、帰っていく二人を見送り、一人になった部室で息を吐く。

「さて、と。明日の準備をしないといけないな」

頼りになるであろう人物を思い浮かべてから、彼も部室を後にした。

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09.08.02