夢追いのガーネット
Episode High School July

「紅、変な噂が立ってるよ」

三時間目が終わった休憩時間。
席に近付いてきた悠希が、やや表情に影を落としてそう告げた。

「変?」

覚えがない。
首を傾げる紅に、彼女は溜め息と共に続ける。

「あんたが渋沢先輩と付き合ってるって。相手が有名なだけに、学校中の噂になってる」

馬鹿馬鹿しい、と吐き捨てる彼女。
悠希は、紅が幼馴染から恋人になってからもずっと翼だけを見ていることを知っている。
翼も紅を大事にしていると知っているし、二人が一緒にいる事こそが自然だと思っていた。
だからこそ、根も葉もない噂を聞いて、その表情に不満を浮かべているのだ。
一方、紅は悠希からの説明を聞いて、あぁ、とどこか納得した様子だ。

「道理で最近クラスに他のクラスや学年の人が来るわけね…」

直接何かを言われたわけではないけれど、廊下から教室の中を見ていく生徒の多さは気になっていた。
自分に向けられているとは思っていなかったから、放っておいたのだが。

「サッカー部のキャプテンで、イイ人で格好良くて…人気なのはわかるんだけどね」

だからと言って、そんなステータスに惹かれるような紅ではない。
自分のことのように不満を露にする悠希に、紅は苦笑を浮かべた。

「何でそんな噂が出たのかしら。紅、何かした?」
「あー…もしかして…あの時の彼、かな…」

一週間ほど前の告白劇を思い出す。
彼に誤解されたところで痛くも痒くもないと高を括っていたのだが…まさか、こうなるとは。

「その人の誤解を解けばいいって言うだけの話じゃなさそうね」
「全校生徒の誤解を解く勢いになるでしょうね」
「うーん…。まぁ、人の噂はそんなに長引くものでもないし。油を注がなければ、そのうち消えるでしょ」

大丈夫、と笑う紅。
この時はまだ、そう思っていた。












それから三日後。
消えていくと思っていた噂は、全校生徒の半数以上が知るものとなっていた。
紅と翼が付き合っている事を知っているはずのクラスメイトですら、噂に流され始めている。
7月と言う暑さの中、話題に飢える生徒の餌食となっていた。

「ねぇ、雪耶さん」

噂好きの年頃の女子には、この話題は美味しすぎる。
今日もまた、クラスメイトと言うだけで大して親しくもない女子生徒が話しかけてくる。
先ほど終わった授業の教科書を片付けていた紅は、座ったままその女子生徒を見上げた。

「何?」
「ちょっと聞きたいんだけど…」

これに続くのは、「椎名くんとは別れたの?」か「渋沢先輩と付き合ってるって本当?」だ。
今回の質問は前者だった。
もう何度も繰り返した回答に、流石の紅も堪忍袋の緒の限界を感じ始めている。

「別れてない」

短くそう答えると、それ以上話をするつもりはないとばかりに視線を外す。
いつもならばここで悠希が間に入り、彼女らを軽く咎めて追い払ってくれる。
けれど、今彼女は教師に呼ばれていて、この場にはいない。
それを幸いと思っていたのか、女子生徒は更に質問を投げようとした。

「紅、今日の部活の話がしたいんだけど」

彼女の口が何かを言う前に、それを遮るように発せられた声。
視線を落としていた紅は、声のした方に目を向けた。
そして、一瞬申し訳なさそうな表情を見せる。

「うん、大丈夫」

こんな何気ないやり取り一つにも、突き刺さるような視線を感じる。
他人のことなんだからほうっておいて!と声を荒らげそうになる自分を抑え、机の下で拳を握った。

「あ、丁度いいじゃん!椎名くんにも聞きたいんだ!あの噂の話!」
「ちょっと…翼は関係ないでしょ?それに、もう答えたんだから―――」

翼を巻き込むなと言う紅の言葉は、彼女らの勢いに押されて掻き消える。

「ねぇ、椎名くん!雪耶さんとまだ付き合ってるの?」

ずい、と身を乗り出した一人が、そう質問する。
翼は彼女を一瞥すると、冷たい眼差しで呆れたように溜め息を吐き出した。

「あんた達に答える理由はないね。大体、用があって紅のところに来てるのに、それの邪魔しないでくれる?
相手の迷惑も考えずに押しかけるあんた達みたいに暇じゃないんだよ。人の噂で楽しむこと自体、趣味最悪だし」

矢継ぎ早に紡がれる言葉に、慣れている紅は懐かしさすら覚えた。
だが、慣れていない彼女たちからすると、普段の翼とのギャップに頭が付いていかないのだろう。
高校生になり、無闇矢鱈にマシンガントークをぶっ放さなくなった弊害、とでも言うのだろうか。

「な、何?椎名くんってこんな人だったんだ」
「渋沢先輩なら絶対こんな風に言わないよね」

手の平を返す、とはこう言うときに相応しい言葉なのだろう。
それを聞いた紅の中で、何かが切れる音が聞こえた。
両手を振り被り、バンッと机を叩く。
静まる教室内で、音源である紅に視線が集中する。

「…いい加減にして」

いつもの人当たりの良い彼女は、そこにはいない。
無表情で机を叩いたままの姿勢を保っている彼女は、本気で怒っていた。
チャイムが鳴り響き、殆ど無音に等しい教室のドアがガラリと開き、次の教科担任が顔を出す。

「席に着けよ―――って、何だ?どうかしたのか?」

いつもとは雰囲気の違う教室内に、教師はきょとんとした表情でそう問いかける。
そんな中、紅はふぅ、と深呼吸を一つ。

「先生」
「お、おぉ、どうした、雪耶」
「気分が悪いので早退します」
「…た、確かに機嫌は悪そうだな」

それ以上は何も言わず、帰り支度を整えて教室を出る紅。
動くに動けない教室の中で、もう一人動きを見せた者がいた。

「先生、俺も早退します。二人とも体調不良です」

淡々とした声で教師に早退を告げ、鞄を引っつかんで教室を出て行った紅を追う翼。
成績優秀、品性良好な二人が相次いで早退を申し出て、返事も聞かずに教室を出て行くという事態。
生徒受けは良くとも教師歴3年の彼には、少々荷が重い状況だった。











よほど早足で歩いたのか、紅に追いつくことが出来たのは、玄関のところだった。
無言で靴を履き替え、通学路を歩く二人。

「私が好きなのは、翼だから」

今までの沈黙を破った言葉に、翼が視線を向ける。

「…知ってるよ。俺は、心配してない」
「私のこと、ちゃんと知ってくれてる…翼だけが、好き」

まるで、懺悔を聞いているようだと思った。

「…ごめん。こんな事になるなら、すぐにでも誤解を解きに行けばよかった…!」

彼女は何も悪くない。
けれど、行動しなかったことが翼を傷つけている。
あんな風に翼と部長を比べる言葉を耳にしたのは、今日が初めてではなかった。
自分のことならば気にしないのに―――悔しさで視界が歪んだ。

「ちゃんとわかってるから」

そう言って手を握ってくれる翼の体温が優しい。
零れ落ちる涙を隠すように、無言で顔を俯かせて、もう一度だけ「ごめんなさい」と声を震わせた。

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09.07.12