夢追いのガーネット
Episode High School June
「そう言えば…雪耶。少し聞きたいことがあるんだけど、聞いてもいいかな?」
「部活のことですか?」
「サッカー部のことじゃないけどね」
部室で新入部員の申し送りに目を通していた部長が、ふとそんな事を言い出した。
申し送りのノートを書いたのは紅だったから、その内容の質問だと思ったのだろう。
彼女はドリンクを作っていた手を止めて部長を見る。
しかし、そんな彼女に返ってきたのは否定の言葉。
「…口だけで構わなければ、どうぞ」
要するに、部活時間中だから手を止めてまで彼の質問に付き合うつもりはないと言うことだ。
部長と言う事を考慮し、少しだけ躊躇いながらも、そう答えた彼女に彼はクスリと微笑む。
いいマネージャーが入ってくれたものだ。
「構わないよ。そのまま続けてくれていいし、答えにくいなら答えなくていいから」
「ありがとうございます」
作って冷やしてあったドリンクをボトルの中に注いでいく。
背中に部長の視線を感じるけれど、作業を止めるつもりはない。
見られることにも慣れている紅は、手早くドリンクを作っていく。
「雪耶は、もう剣道はやめたのか?」
ゴトン、と空のボトルがシンクの中に落ちた。
ほんの少し握力が緩んだ隙に抜け落ちてしまったらしい。
ドリンクを入れる前でよかった、と思いながらそれを拾い上げ、作業を再開する。
「高校で部活に入るつもりはありません」
「…そうなんだ」
ふぅん…と気のない返事をする部長。
どんな表情で話をしているのか気になったけれど、振り向かない。
「私が剣道部に入っていたこと、知っていたんですね」
「あぁ…妹がね。武蔵森中でキャプテンをしていたから。試合を見に行ったことがあるんだよ」
「そうでしたか」
それならば、知っていても不思議ではないだろう。
紅は興味を失ったように自身の手元に集中する。
「尤も、うちのクラスに剣道部の部長がいるしね。雪耶を剣道部に入れてくれって喧しくてさ」
「それは…すみません」
自分が剣道部を早めに引退する時ですら、かなりしつこく言われたのだ。
新入生確保に意気込んでいる部長の声は、煩わしい以外の何者でもないだろうと思う。
申し訳なさそうに声のトーンを落とした彼女に、構わないよ、と笑った。
「でも…残念だな。俺は、君が剣道をやってる姿が好きだったんだけど」
「え―――?」
「失礼しまーす」
紅が振り向こうとした、その時。
ノックもなく入ってきた部員の声に、二人の視線がそちらを向いた。
「部長、休憩に入っていいーか?」
「あぁ、もうこんな時間か。うん、構わないよ。声をかけにいく」
ノートを閉じて立ち上がると、部長は紅の方を向く。
「ドリンクは?」
「出来てます」
「そ。じゃあ、持ってきてくれるかな」
「あ、俺も手伝うよ」
率先して声をあげてくれたのは、先ほど休憩だと教えに来てくれた部員だ。
三年生だと言う事は覚えているのだが、名前まではまだ把握できていない。
手伝うどころか籠をそのまま取り上げられ、紅は申し訳なさそうな表情を見せた。
「気にすんなって。うち、人数が多いから大変だろ?」
「大丈夫です、この程度なら」
選抜の合同練習でのマネージャー経験もある紅にとって、部活の人数は高々知れている。
けれど、手伝ってくれると言う申し出を断る理由はない。
「ありがとうございます」
「いいって。こんな重いのを運ぶのは大変だろ?俺たちを使ってくれていいからさ」
そう言うと、先に行ってるな、と言い残して部室を出て行く。
「真面目なマネージャーは久しぶりだから…あいつらも嬉しいんだよ」
そう言って笑ってから、部長も部室を出て行く。
籠に入れそびれたドリンクボトルを三つほど抱え、紅も彼らの後を追った。
「休憩しながらでいいから、耳だけはこっちに貸すように」
そう言って、集まっている部員たちに声をかける部長。
全員にドリンクとタオルが行き渡ったことを確認し、紅も彼に注目した。
耳だけ、と言われているが、全員が部長を見ている。
「新入部員も全員揃ってるし、うちのサッカー部の話をしておくよ」
そう言って、彼は持っていたファイルを片手に話を始めた。
まず、部活時間から入った説明は、順調に進んでいく。
「あと、毎月練習試合をして、大会のレギュラーを決めていくから。頑張ってね」
レギュラーに選ばれたとしても、そこから手を抜くようでは翌月にはレギュラー落ち。
厳しいようにも思えるけれど、逆に言えば毎月レギュラーにあがるチャンスがあると言うことだ。
中学校生活では試合に出ることすら出来なかった者も居る。
部員の目の色が変わった気がした。
「うちの部に年功序列って言葉は該当しない。一年でも実力があればレギュラーになれるから」
めくっていた紙を全て戻し、時計を確認する部長。
「さて、と。じゃあ、練習を再開しようか。基礎練は終わったね?次は―――」
部長の声を皮切りに、練習が始まった。
帰り道、夏に向けて日が長くなっているおかげで、通学路はまだほんのりと明るい。
再来週に行われる練習試合の話をしていた紅は、ふと部室での会話を思い出した。
「そう言えばね。剣道で、武蔵森のキャプテンと試合したじゃない?」
「…あぁ、そんな事もあったね」
「あのキャプテン、部長の妹らしいよ」
「そうなの?」
「世の中狭いよね」
本当に、意外なところに繋がりがあるものだ。
くすくすと笑った彼女とは違い、翼は何かを考えるように沈黙している。
そんな翼の様子に気付いたのか、翼?と彼の名を呼ぶ紅。
「あぁ…なんでもないよ」
「…ふぅん」
そういう風には見えないけど…と呟きながらも、無理に聞き出そうとは思っていないらしい。
話は終わりとばかりに空を仰いだ彼女の視界には、赤く染まる雲が見えているだろう。
「梅雨なのに雨降らないね。練習が出来なくなるし、ありがたいと言えばありがたいけど」
今年も水不足かな、などと呟く彼女に、そうだね、と曖昧な返事を返した。
Menu
09.06.19