夢追いのガーネット
Episode High School May

自室で明日の準備をしていた翼は、ドアをノックする音に顔を上げた。
持っていた真新しい教科書を机の上に置き、ドアへと近付く。

「あ、と。今忙しくない?」

返事はなく、突然開いたドアに驚くも、そこに立っていた紅はそう問いかける。
悩むこともなく、翼は彼女を部屋へと招きいれた。
慣れた様子で部屋の中を歩き、邪魔にならない位置で丸いクッションを抱いて座る。

「用意だけ終わらせるから」
「あ。しながら聞いてくれてもいいよ?」
「3分待って」
「はーい」

きちんと顔を合わせて話を聞いてくれるらしい。
鞄の中の教科書を入れ替えている翼の動き、ニコニコと見つめる紅。
視線に気付いたのか、携帯を持った翼が振り向く。

「穴が開きそう」
「大丈夫。今まで見つめられて穴が開いた人は居ないから」

そう言う問題ではないのだが、彼女にとってはそう言う問題なのだろう。
要するに、言っても無駄、と言うことだ。
はぁ、と短く溜め息を吐き、それから手早く準備を片付けてしまう。
一通り確認してから、彼はドアの方へと向かった。

「何がいい?」
「お任せで」
「はいはい」

どうやら、彼は紅が後ろ手に持ってきていたお菓子に気付いていたようだ。
お菓子と言っても一口サイズのカステラで、カフェオレなどと良く合うようなもの。
何となく、彼はそれを用意してきてくれるような気がした。











暫くして部屋に戻ってきた彼は、両手にマグカップを持っている。
程よい温かさのそれは、紅が望んでいたものに相違ない。
思わずクスリと笑った彼女に、翼が口を開く。

「飲み物も持って来れば良かったのに」
「翼が淹れてくれるカフェオレが飲みたかったの。ありがとう」

マグカップを受け取りながらそう答える。
ご機嫌な様子の彼女を見れば、悪い気はしないのも事実だ。
そんな内心を隠すかのように、彼はマグカップに唇を近づける。

「で、何の用?」
「明後日なんだけど、用があるから出かけようと思って」

それを伝えに、と告げる彼女。
マグカップを手放した彼は、理由を問うように彼女を見た。
彼女がこうして自分に伝えに来るという事は、少なからず自分が関係しているからだろう。
そうでなければ、廊下ですれ違う時にでも言えばいい話だ。

「久しぶりに、桜上水に行こうと思って。と言うより、有希に誘われたの」

半分は事実で、もう半分は嘘を言っているのではなく、事実を話していないだけのこと。
鈍くない翼もそれに気付いたようだが、あえて問いただす事はしないようだ。

「まぁ、気をつけて行きなよ」
「うん。翼は…」
「部活」
「そっか。頑張って」

その言葉でその話題を終わらせることにしたらしい紅は、次に取り留めない話題を口にした。
新しいクラスのことだったり、教科担当の教師のことだったり、学校行事のことだったり。
話の弾む話題としては十分な素材を使いながらも、踏み込みすぎない絶妙なタイミングで次へと運ぶ。
そうしている内に、話は先月の身体測定のことへと移って行った。

「そう言えば…翼、身長が伸びたんだね」
「あぁ。2センチだけど」
「いいなー。男子って。私なんて、中2の時から止まったままよ」
「剣道の所為じゃない?ほら、籠を被ると背が伸びなくなるって、小さい時に母さんに言われた」

翼の言葉に、そう言えば…と自分の幼少期を思い出す紅。
洗濯物用の籠などを頭から被っては、背が伸びなくなるよと注意された気がする。
まさか、剣道の面と籠を重ねているというのだろうか。
ありえないだろう、と思う傍らで、無関係とも言い切れない紅。
微妙な表情で考え込む彼女に、カステラに手を伸ばした翼が溜め息を吐く。

「そんなわけないに決まってるじゃん。玲を見てみなよ」
「あ、そっか。もう少し位は期待できるかも」

自分よりも10センチほど背の高い玲を思い浮かべ、そう納得する。
身長に関しては個人差があるものだが…と思いつつも、翼は口を噤んだ。
紅の身長がこの先伸びるかはわからないが、伸びないとも限らないのだ。
あえてその可能性を否定する必要はない。

「そう言えば、暁斗からは何か連絡はあった?」
「連絡自体は毎日あるよ。…そろそろ、かな」

枕元に置かれている目覚まし時計を見た紅が、そう呟く。
それにあわせたかのような絶妙なタイミングで、テーブルの上の携帯が震えだした。
学校から帰ってから、マナーモードからの切り替えを忘れていたようだ。
ちらりと翼を確認した彼女に、出ていいと顎で促せば、彼女はすぐに携帯を手に取る。

「はい。―――うん。…大丈夫。もう入った後」

兄妹の会話としては、実にさっぱりとした返事が続く。
それでも、どこか楽しそうな表情を浮かべている紅に、やはり暁斗は兄なのだと感じた。
自分と一緒の時とはまた違う、家族に対する愛情を感じる表情だと思う。
今更だが、翼が紅の格好を見た。
自分と同じ風呂上りだからだろう。
ラフな格好をした彼女は、いつもの制服や私服姿とは違って見える。
無防備…とでも言うのだろうか。

「うん。今は…翼とお茶会をしてた所。…ん?カステラとカフェオレ。翼のカフェオレって美味しいのよ」

風呂上りの姿を見るのは、今が初めてと言うわけではない。
中学の時だって幾度となく互いの部屋を行き来していたのだから、当然だ。
それなのに―――ジャージの襟元から覗く首筋に視線が吸い寄せられて、離せない。

「…もう。何を心配してるのよ、兄さん。…翼に?別に構わないけど……わかった。翼、兄さんが―――翼?」

ぼうっとしている翼の前でひらひらと手を振ってみる。
そんな彼女の行動に、ハッと我に返る翼。
何?と問う彼に疑問符を抱きつつも、通話中の携帯を差し出す。

「兄さんが翼に代わってくれって」
「…ん」

口数少なくそれを受け取った翼に、首を傾げながらそれを手渡す。

『久しいな、翼。お前と話すのは三週間ぶりくらいか?』
「…そうなんじゃない?」
『で、本題だ。あんまり風呂上りの紅を部屋に招くなよ』
「今までもそうだったと思うけど?」
『いや、高校に上がるとな…状況が変わるんだよ、これが。経験者は語る、って奴だ』
「……………………」
『その無言は、お前も似たような状況と見た。な、年上の言う事は聞いとくもんだぜ』
「………心配する相手が違うんじゃない?」
『紅には言っても無駄だからな。お前の事は信用しきってるから、俺が悪者になる』
「…紅だってそんなに馬鹿じゃないと思うけど」
『お前が自爆しないように忠告してやってるんだよ、俺は』

否定を出来ない翼が無言になれば、電話の向こうで暁斗が笑う。

『言っておくとな、翼。俺は紅を心配してないぜ。紅が笑ってれば、いいんだ。
重く考えなくていいが、紅を幸せに出来るのはお前だと思ってる。だから、紅が泣かないならそれでいい』
「暁斗………ただの兄馬鹿じゃなかったんだね」
『お前…お兄様に向かって随分な物言いだな』
「………ありがとう、暁斗。一応、お礼は言っておくよ」
『おう。じゃあな。紅にもよろしく伝えてくれよ。おやすみ、二人とも』

ぷつり、と通話が途絶え、料金がディスプレイに表示される。
携帯を折りたたんで紅に返せば、彼女はどこか膨れた表情だ。

「どうしたの?」
「私だってそんなに馬鹿じゃないとか…何の話をしてたの?まったく…」

口を尖らせる紅に、翼は口元を引きつらせて笑う。
会話の内容を彼女に話せるはずもなく―――とりあえず誤魔化す以外に、道はない。

Menu
09.02.03