夢追いのガーネット
Episode High School February

11時半になり、からりとベランダの窓ガラスが動く。
翼が来るとわかっていたから鍵を開けていた窓の隙間から冬の風が入り込んだ。
羽織っていたカーディガンにちゃんと袖を通して、彼を出迎える。
ローテーブルの上には二人分のカップとポット、そしてカバーのかかった何かとお皿に並んだクッキー。

「待たせた?」
「ううん、時間通り」

翼をローテーブルに促してから、ポットの中のホットティーをカップに注ぐ。
本当はこんな時間にお茶会なんてするものではないけれど、今日は特別だ。

「今年はなに?」
「ガトーショコラ」

実のところ、昼間はブラウニーを作っていた。
だが、去年のバレンタインもブラウニーだった事を思い出し、急遽ガトーショコラに切り替えたのだ。
割とお菓子を作る頻度が高いため、材料が揃っていたのは不幸中の幸いだった。

「今日ね、久し振りに道場に連れて行ってもらって…あの頃の先輩に会ったのよ」
「へぇ、どの先輩?」
「んーと…たれ目の人」
「………あぁ、あの人か」

翼の中で正しい人物像が思い描かれているのかを確かめる術はない。
だが、翼も知る紅の先輩の中でたれ目と表現できる人は他に居ないから、間違っていないだろう。
そして、カバーを外して切り分けたガトーショコラを乗せた皿を翼の方へと運ぶ。

「15分かけて食べてね」

にこりと微笑んだ彼女の次に時計を見る。
12時を回るまで15分。
あくまで14日に拘るつもりのようだ。
まぁ、わからないわけではないから、翼は何も言わずにホットティーを一口飲んだ。

「明日は朝からハードだよね。午前中は部活で、午後からは選抜練習」

忙しいなぁ、と呟いた彼女は、それでも楽しそうだ。
選手ではないにせよ彼女も同じサイクルで動くのだから、忙しさは同じだ。

「あぁ、それだけど。俺、午前中は部活出ないから」
「え?何で?」
「選抜前には身体を休めておきたいし。明日は練習だって部長が馬鹿みたいに宣言してたから」

面倒な事になるに決まってる。
翼はそう言って肩を竦めた。

「紅は行くの?」
「うーん…」

些細な事に囚われずに、自分の思うように頑張ろうと思った翌日だけに、紅の心中は複雑だ。
悩んでいる理由をバレンタイン関連だと思った翼の機嫌が少しだけ悪くなる。

「…これ、部活の連中にも作った?」

拗ねたような声でショコラを指す翼に、紅は首を振った。

「部活仲間には用意してないよ。人数も多いし」
「そ。なら休めば」

紅が明日出て行けば、チョコを強請るであろう人間が、少なくとも5人は頭に浮かべられる。
用意していないと断るのはわかりきっているけれど、それでもその光景を見るのは嫌だ。
況してや、自分がいないとなれば彼らの行動に拍車がかかる事は必至。
彼女にも関わってほしくなかった。
そんな翼の心中を察したのかそうではないのか、彼女は苦笑を浮かべて、うん、と頷く。

「じゃあ、明日は休むね。午後からの選抜練習で思い切り動きたいし」
「紅が動くわけじゃないだろ」
「マネージャーも色々と大変なのよ。選抜のマネージャーは私一人なんだし」

そう言った紅の返事に、それもそうかと納得する。
部活は、人数は多くはないが、紅以外にもマネージャーがいる。
分担できるだけに、部員数が多くてもお互いにカバーできる部分があるのだろう。

「そう言えば、あいつらには?」
「クッキーを焼いてあるから、持っていく予定」
「ふぅん」
「食べる?」

なるほど、クッキーまで置いてあった理由はそれか。
差し出された皿の上から一枚受け取りながら、そんな事を考えた。

「…こっちは怒らないのね」
「あいつらに用意する事くらいわかってたし。今更目くじら立てるつもりはないよ」

あっさりそう答える翼。
選抜の仲間は二人の関係を知って割り込もうとはしない。
彼らにとって、紅は唯一の女子と言うより仲間なのだ。
それがわかっているからこその余裕なのだろう。
学校の連中はわかっていて関わってくるから性質が悪いと思う。
あわよくばと思っているのか、淡い期待なのか、自己満足なのか。

「あ、12時。ハッピーバレンタイン」

ピリリリとアラームが鳴って、日付が変わった事を知る。
携帯の音を止めた紅がにこりと微笑んだ。

「結局、一口も食べなかったね」
「食べだしたら残すのは難しいからね」

そう答えると、翼はフォークを手にとってガトーショコラを一口サイズに切る。
甘さも焼き加減も絶妙。
相変わらず彼女の作るお菓子は自分好みだと思う。

「美味しいよ」

翼はこちらを見ている紅にそう告げた。
ありがとう、と嬉しそうに笑う表情が好きだと思う。
この表情を見たいがために、翼は『美味しい』とその感想を口にする。
朝食、昼食、夕食、お菓子類。
どんなものでも関係なく、彼女が作るものに対してはお礼の代わりのようにそれを口にする。
今まで彼女が作ったものが翼の口に合わなかったということはない。
それは紅の努力の賜物であり、また愛情というスパイスの成せる技なのだろう。
初めての料理を失敗することはあるけれど、十分に『美味しい』と思える範囲だ。
フォークを進める翼に安心したように、彼女もまた、自分の分に手をつけた。

「姉さんね、1ホール丸まる兄さんにあげるのよ」
「…それはまた…意地の悪いバレンタインだね」
「うーん…姉さん曰く、愛情の大きさだって。どう思う?」
「少なくとも俺は、この一切れに十分な愛情を感じるけど―――紅はどう思うの?」

最後の一欠けらをフォークの上に残して、少し冷めたホットティーで喉を潤す。
問いかける翼に、紅は小さく笑みを浮かべる。

「もちろん。たっぷりと愛情を感じてもらえると思うよ」
「要するに、人それぞれって事だね。ま、玲の場合は明らかに暁斗の反応を楽しんでるんだろうけど」
「うん。でも、兄さんは文句も言わずに全部食べるのよ、きっと。明日の朝はお粥を用意してあげないと」

こう言うイベントを玲なりに楽しむのは彼女らしさだ。
それを知っているから、暁斗はちゃんとその気持ちを受け止める。
そう言うところが、紅にとって理想の二人なのだ。
膝立ちで翼の隣に移動した彼女は、少し照れたようにはにかんでから、照れ隠しのようにショコラを食べる。

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10.02.14