夢追いのガーネット
Episode High School February

玲と並んでキッチンに立ち、互いが別の作業を行う。
刻んでいる途中のチョコレートを前に、最近の学校生活について話をしていた。

「まぁ、仕方がないんじゃないかしら。紅は他の高校生より精神年齢が成長していると思うわ。
ご両親が不在だった分、暁斗の迷惑にならないよう一生懸命だったでしょう?」
「…そう、かな」
「ご両親の庇護の下、甘えて成長した子とは環境が違っているもの。渋沢くんが特殊なのよ」

紅は粉を篩いにかけている玲を見上げる。
彼女の言うとおり、前の部長が特殊だったことは確かだ。
それなら、自分はどうすればいいのだろう。
包丁を持つ手が自然と動きを止めた。

「その子が部長を勤めるのは秋まででしょう?それまで頑張るのもいいし、何なら辞めても言いと思うわ」
「なんかそれ、逃げるみたい」
「…ねぇ、紅?」

玲の手もまた、その動きを止める。
こちらを見る彼女に気付き、紅が顔を上げた。

「作り終わったら、付き合ってくれない?」
「え、別にいいけど…どこに?」
「秘密」

その時のお楽しみよ、と彼女が微笑んだ。
そして、再び粉を篩う。
紅は疑問符を浮かべながらも彼女と同じく作業を再開させた。
今年のバレンタインはブラウニーを作る予定である。















「…道、場」

車に乗せられて到着したそこを見て、紅がそう呟いた。
懐かしい―――二年ぶりだろうか。
中学二年生の時に全国大会で優勝して、それ以来ここには来ていなかった。
何とも言えない感情の中立ち尽くす紅の背中を押す、優しい手。

「さ、行くわよ」

行かないと言う選択肢など、はじめから存在していなかったのだ。



胴着に身を包めば、自然と背筋が伸びる。
引退してから一度も着ていなかったそれを、驚くほど自然に受け入れることが出来た。
ほんの少しだけ丈が短くなったと感じるのは、高校に入ってから少しだけ背が伸びたからだろう。
少し大きめの袴だったから、寧ろ今の方がしっくりと身体に馴染む。

「もう二度と着ないと思ってたのにな…」

鏡の中から見つめ返してくる自分自身は、酷い顔をしていた。
そっと瞼を伏せ、精神統一をするように深呼吸をする。
次に目を開いた紅は、竹刀を持つに相応しい表情を浮かべていた。



土曜日の昼間は、道場に通ったことのある人間に対して使用を解放されている。
時間的にも混み合う時間ではなく、紅と玲は思うままに打ち合った。
そして、夕方になり、二人はどちらともなく竹刀をおろす。
礼をして竹刀を納め、面を外した。

「暑…」

手ぬぐいを解きながらペットボトルの水で水分を補給する紅。
2月の寒さなのに、かなりの時間動いたお蔭で身体はぽかぽか、寧ろ暑いくらいだ。

「腕は落ちていないわね、紅」
「そうかな?久し振りだから心配だったんだけど…」
「まぁ、少し腕力が衰えたかしら。マネージャー業とは使う筋肉が違うから仕方がないけれど」

道場の壁に凭れて二人で会話を弾ませる。
目の前で繰り広げられる試合展開に、紅は目を細めた。
自分も先ほどまであそこにいた。
緊張感の中、玲だけを見据えて竹刀を振る時間。
言葉で表現できない、充実した時間だった。

「すっきりした?」

玲がペットボトルの蓋をしながら尋ねる。

「うん」

紅の返事に迷いはない。
吹っ切れたようだ。

「私が悩んでたことって、本当に小さいことだった。部活がどうだとか、部長がどうだとか…。
そう言うのって、ここに通ってた頃の必死だった自分を思い出すと、馬鹿みたいに小さいことだよね」

全国大会への切符を手にして、目の前に頂点が見えた。
楽しくて、必死で…些細なことに悩む暇なんてなかった、あの頃。
忘れていた感覚を思い出した気がする。
目標に向かって進む楽しさや苦労を知っていたから、サッカーに打ち込む姿を見るのが好きだった。
プレイ、声、表情―――すべてが、一生懸命だったから。

「あんな子供が高校生になったみたいな人だけど…サッカーしてる時は楽しそうだから」

輝いているとでも言うのだろうか。
好きなことをしている彼は、普段の彼とは思えないくらい格好良いと思う。
渋沢部長も、彼のそう言うところを見て部長に選んだのだろう。

「姉さん、ありがとう」
「気にしなくて良いわよ。あわよくば剣道をもう一度始めてもらおうって言う下心満載な親切だから」
「…もう。姉さん、そればっかり」
「仕方ないでしょう?あなたと打ち合うのは楽しいの。昇段審査を受けてみなさいよ。きっと二段も合格できるわ」

玲からの提案に紅は笑顔を返すだけで、何も言わなかった。
おーい、と道場中央から声がかかり、二人が顔を向ける。
声をかけてくれたのは、お世話になった先輩だった。

「休憩できたなら久々に打ち合わないか?」
「是非!お久し振りです、先輩」

ぱっと立ち上がった紅は、手早く準備を済ませて彼の元へと走っていく。
半ば強引では合ったけれど、良い影響を与えられたようだ。
玲は楽しげな紅を見つめ、穏やかに微笑んだ。













あの日の夜は紅が疲れていたから、翼と話が出来なかった。
心配をかけているだろうとは思っていたけれど、自分の問題だからとあえて相談を持ちかけていない。
道場から帰ってお風呂に入り、汗を流してから私服に着替えて翼の家を訪ねる。
出てきた彼は、紅の訪問に少し驚いたようだった。
今日は元々約束していたけれど、約束の時間は夜の11時半だったからだろう。

「入りれば?」
「ううん、ここでいい。夜にまた会うし」

門のところで首を振る彼女に、翼は玄関ドアを放して歩いてきた。

「すっきりした顔してる」
「うん。久し振りに道場に連れて行ってもらったの。気持ちよかった」

紅の晴れやかな表情を見るのは久し振りだ。
解決したのが自分ではないことは悔しいけれど、相手が玲なら仕方がない。

「もう大丈夫だから」
「そうみたいだね。安心したよ」

そう言った翼が、紅の髪に触れる。
ひんやりと濡れた感触を伝えてくるそれ。

「風邪引くだろ」
「あ、うん。急いでたから」
「乾かしてきなよ。まだ何か話ある?」

翼の問いかけに紅は首を振る。
名残惜しく翼の指が髪を離れると、紅はじゃあ、と言い残して自分の家に歩いていった。
そして、玄関のドアに手をかけたところで翼を振り向く。

「また夜、ね」
「わかってる」

さっさと入りなよ、という言葉に背中を押され、彼女は家の中に入っていった。

「…玲は流石だね」

安心したように呟く翼だが、その表情は微妙なものだ。
玲が相手なら仕方ない。
仕方ないけれど―――悔しいと思うのもまた、仕方ない感情だ。
そんな自分に苦笑して、翼も家の中へと消えた。

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10.02.13