Babyシリーズ  Soccer Life

「し…成樹ぃ―――――っ!!」

焦り半分、怒り半分。
そんな怒鳴り声が聞こえ、日曜の朝の惰眠を貪っていた成樹は反射的に飛び起きる。

「何や!?敵襲か!?」

半ば寝ぼけ、奇妙なことを口走ってから、ハッと覚醒する。
よく分からないが、ルームメイトが自分を呼んでいることは確かだ。
元気にあちらこちらに向いている寝癖を撫で付けつつ、自室から出る。
声のした方向からして、彼女の自室ではなくリビングだろう。
ふぁ、と大きな欠伸を一つ零し、リビングのドアに手をかける。

「おはようさ―――」

ガチャ、とドアを開け、いつもの習慣となっている朝の挨拶を口にする彼。
しかし、部屋の中央に立っていた彼女の姿を見ると同時に、その言葉は途切れた。
ぽかんと口を開いたままの彼に、紅は大股で近づき、そしてズイッとそれを彼の眼前に差し出す。

「どう言う事か…説明してもらおうか」

自分の置かれている状況など全く理解していないであろう、純朴な双眸が成樹を見つめる。
その目と、紅の言葉に、成樹の脳内の混乱は最高潮へと達した。













今すぐにでも拳を握りそうだった紅を宥め賺し、ソファーへと落ち着く。
それだけで大変な労力を使ってしまった成樹は、状況を理解することを放棄したくなった。
しかし、彼の膝の上に居る―――恐らく、はいはいが出来る程度の赤ん坊の存在は無視できない。
正面のソファーに座る紅から視線を逸らし、自分の膝の上に乗りタオルで遊んでいる赤ん坊を見下ろす。

「…説明してもらいたいな」
「説明っちゅーてもなぁ…俺もさっきまで寝とってよくわからんねんけど」
「ここには俺とお前しかいなくて、俺に覚えがないとしたら…お前以外には考えられないだろ」
「や、それはちょっと乱暴な発想…っちゅーか、言葉遣いが戻ってんで、紅」

冷や汗を流しつつ、成樹は口元を引きつらせた。
彼女が学生時代のひと時のように一人称を戻す時―――それは、かなり危険なレベルまで怒っている時だ。
未だかつて、2度しか見たことのない彼女に、成樹は心中で「どうする、自分!?」と慌てる。

「どこにおったん?こいつ」
「起きたらソファーの上で遊んでた」

要点のみを話す紅の声は冷たい。
導火線が刻一刻と短くなっているのを感じ、彼はこれ以上彼女を刺激せぬことに努める。

「何を怒ってるんかわからへんねんけど…一つ、言わせてもらうで。これ、俺の子とちゃうから」
「思い当たる節はありそうだけど?」
「……や、あらへんな。俺は中学ん時から紅一筋や」

一応、思い当たる節を探してみるも、あるはずがない。
思えば中学のあの時から、自分はずっと彼女を思い続けている。
随分と一途になったものだ。
らしくないとは思いつつも、彼女の隣は心地よすぎて、他の場所など考えることすらできない。
自分に向かって手を伸ばしてくる赤ん坊に指を差し出してやりながら、そんなことを考えた。

「―――…はぁ」

紅が溜め息を吐き出してソファーから立ち上がった。
納得したわけではない様子の彼女に、どこに行くのかと尋ねる。

「コーヒーでも入れる。…二人して寝惚けてるのかもしれないし」

先ほどよりは、いくらか柔らかくなった声に、成樹は心中で安堵する。
キッチンへと去っていった彼女。
ソファーの位置関係により、成樹の位置からはカウンター越しに彼女の姿が見える。
慣れた動作でカップなどの準備を進めていく彼女。
成樹は彼女から視線を外し、赤ん坊を見た。

「自分、どこから来たんや?」

流石に、自分よりも遥かに弱く、誰かが守ってあげねばならないような赤ん坊に怒りの感情を覚えることはない。
困ったような表情を浮かべ、赤ん坊の頭を撫でた。
撫でられることには慣れているのか、怖がることもなくじっと見つめ返してくる。
よく見ると、日本人にしては、少し色素の薄い目だ。
かなり薄いかもしれないが、外国の血が入っているのかもしれない。
そんな事を考えつつ、見詰め合うこと数分。
コトン、と平テーブルの上に物を置くその音により、成樹はハッと我に帰った。

「随分と熱い視線を交わしてるね。親近感でも沸いた?」
「だから…ちゃうって言うとるやん…」

そう答えつつ、置かれたそれを見る。
先ほどはカップを用意していた筈だが、そこにあるのは水玉模様の入ったプラスチック製のコップだ。
もちろん、中に入っているのも湯気立つコーヒーではない。
好みの味に調えられているであろうアイスコーヒーを見て、成樹は首を傾げた。

「寒いからアイスは嫌やっちゅーてなかったか?」
「熱いのは危ないでしょ」

軽く肩を竦めつつ、紅はストローを加える。
少しコーヒーを濃い目にしてあるそれを飲みつつ、絨毯に直に座って、彼の膝の上の赤ん坊を見た。
その時、ふと何かに気付いた様子を見せる彼女。
膝立ちになって成樹の方へと近寄ると、じっと赤ん坊の目を見つめた。

「…何か、死んだばあちゃんによく似た目の色だな」
「……………」

思わず動きを止める成樹。
数秒後、我に返った彼は、慌てたように声を上げた。

「紅の子か!?」
「…。あぁ、そう言えば…」

何言ってんだこいつ、と言いたげな表情を見せたかと思えば、次には悪戯めいた笑みを浮かべている。
その両方を見ていなかった成樹は、紅の言葉に焦った。

「ちょ…待って!覚えあるんかい!!」
「っつーか、あるわけないって思わないところが凄いね」

成樹と離れていた期間と言えば、あの3年間だけだ。
その間に生んだのならばわからないことはないが…それならば、子供は6歳になっているはず。
呆れたように溜め息と共に切り返す紅に、成樹が脱力する。
ぐたりとソファーに凭れ掛かる彼を見て、彼女は苦笑した。

「…で、結局どこの子や、こいつは…」
「知らん」
「どないすんねん…いきなり子持ちは冗談やないで…」

そう言って額に手をやる彼。



不思議なことに、二人とも警察に届け出ようと言う気にはならなかった。
手当たり次第に親の候補を挙げてみては、違うだろうと除外する。
そんな風に過ごすこと、小一時間。

「…って、いつの間にか寝とるやん」

すやすやと成樹の膝を枕にして眠る赤ん坊。
話し合いを中断し、二人は同時に息を吐き出した。

「…とりあえず、毛布取ってくる」

そう言ってから立ち上がり、ついでに空になったコップ類を片付けにいく。
物置部屋に置いてある毛布も考えたが、干している暇もないので今使っているものにしよう。
そう考え、自室へと移動した。
布団の上にかけてあった毛布を折りたたんで抱え、リビングへと戻る。

「お待たせ。敷くから、こっちに―――って、赤ん坊はどこいった?」

成樹の前に回ってみてはじめて、彼の膝の上から赤ん坊が消えていることに気付く。
まさか、と足元も見回してみるが、やはりいなかった。

「…白昼夢…やな」

突然消えたのだと彼が言った。
腑に落ちない様子の成樹もまた、状況を理解しかねているのだろう。
抱えてきた毛布を見下ろし、溜め息を吐き出す。

「…ま、そうしておくか」

無駄になったな、と思いつつ、毛布を抱えなおす。
部屋に戻してこようと踵を返す彼女の背中に、成樹の声がかかった。

「紅」
「うん?」
「子供好きか?」

脈絡のない問いかけに、紅はすぐに答えを出さなかった。
沢山の思いが含まれているであろう言葉。
彼女は小さく笑みを浮かべ、首だけを振り向かせる。

「嫌いじゃないよ」

そう言い、リビングを去る。
残された成樹は、ゆっくりと自分の手を見た。
小さな手でしっかりと握り締められたときの感覚が、今も指先に残っている。
不思議なひと時を思い出しながら、彼は小さく呟く。

「白昼夢…正夢になったらええけどなぁ」

08.05.11