St.Valentine's Day

私自身、菓子会社の策略に乗るつもりはない。
学生時代から酷く縁の深いものではあるけれど…
まさか、この歳になって、しかも女だと公表してからこんな光景を眼にするとは思わなかった。
元キャプテンの無言の眼差しが痛い。








「とりあえず合宿先に届いた分を分けておいたわ。各自部屋に持って帰るように」

この場に集っているのは皆、この世代の中でも特に将来有望な若者ばかり。
正直なところ、3年前のトレセンの面子ばかりだから同窓会のようだ。
玲の声に、各々自身の名前を書いた紙が上に置かれているそれの方へと歩み寄っていく。

「よっしゃ!紅!今年も勝負や!」

嬉々として自身のそれへと向かってゆく成樹の後を追って、紅は苦笑を浮かべていた。
女だと世間でも有名な自身が彼に勝てるはずがないのだが…。
どうやらすっぽりとその辺りが抜け落ちているらしく、学生時代と同じ台詞を吐いていく親友に笑いが零れる。

「女の私に勝ってどうすんだよ」
「………ほぉー…あれでも勝てんっちゅーんか?随分謙遜するなぁ、自分」
「……………はぁ?」

背中を追っている彼女から彼の表情を読み取ることは出来ない。
しかし、その声は彼が口元を引きつらせる時のものとよく似ていた。
彼の姿の向こうにある自身の荷物を見とめるべく、紅はその背から顔を覗かせる。
そして、文字通り彼女はぴたりと制止した。
固まっている二人を見つけた仲間がパタパタとスリッパを鳴らして駆けてくる。

「紅ー!!シゲー!!何固まってんだ?」
「もしかして全然貰えなかったとか言う奴!?」
「俺38個だったぜ!」

賑やか担当とも呼べるような彼らが集う。
だが、二人が前にしている光景を見るなり、彼らも同じく口を閉ざした。
いや、閉ざしたのは声のみで、唇は間の抜けた形でぽかんと開かれている。

「正直…ここまで行くと素直に喜べない…」

ひくりと口元を引きつらせた紅。
彼女の前には38個など目ではない、恐らくその倍はあるだろうプレゼントの山。
数メートル離れているにも関わらず鼻に届く匂いから、それの大半が菓子であることは想像するに容易い。
本来貰ってもおかしくはない成樹に勝るとも劣らない量のそれに、紅はただ苦笑を浮かべた。

「とりあえず…まだ合宿は一週間残っとるし、部屋に運んだらどや?」

成樹の控えめな声に静かに頷いた。












合宿参加メンバー総出で彼女へのプレゼントをその部屋へと運んだのは今から三時間ほど前。
苦笑いや冷やかしの声はあったものの、嫉妬などという醜い感情を向けられることはなかった。
それは一重に、彼女の性格や人望故のなせる業だろう。
心無いと言うよりは寧ろありまくる女性からのプレゼントの山々を前に本気で悩む紅。

「どれくらいで消化できるかな…。腐らなきゃいいけど」

そう言った彼女の脳内に「捨てる」などという選択肢はない。
どんな小さなものに対しても平等の想いを返す彼女を、羨む事は出来ても嫉妬心を向ける事など出来なかった。

「『男性の中でただボールを追う背中に惚れました』ですって。よかったわね、紅」
「嬉しい…と思っていいのかな。微妙」
「こっちは『応援します。ワールドカップでも頑張って下さい』やて」
「それは本気で嬉しい、かな。あ、これ中々美味し」

一つ箱を開けてはその中身を一口。
添えられている手紙は一字たりとも読み飛ばすことはない。
そうしてプレゼントを振り分けていけば、思ったよりも時間をかけずに食品類やらにジャンルわけする事が出来た。

「こっちは…『フランスで頑張っていた時から知っていました』だとさ」
「へぇ、そういう人も居てくれてるんだ…」

水野から読み上げた手紙を受け取り、その頬を緩める紅。
頑張っていたその姿を見てくれていて、そして今も応援してくれるという言葉が嬉しくないはずがない。
認められているのだという事実がただ彼女を喜ばせた。

「これで終わりだな」
「うん。ありがとな、手伝ってくれて。自分の分もあるのに…」
「いや、紅ほどじゃないから問題ないさ」

そういって水野が部屋を去ると、同じく手伝ってくれていた玲も同様に部屋を後にした。
ありがとうとお礼を述べれば、彼女は女性らしい微笑を返す。

「自分の叶えられなかった夢を叶えてくれたあなたが認められたこと、嬉しく思うわ」

そうしてハッピーバレンタイン、と言い残して彼女は扉を閉ざす。
彼女を見送った紅は程なくして部屋の中へと戻っていった。












残りもあと少しとなった頃、成樹は一旦紅を残して部屋を出ていた。
彼が部屋を留守にしていたのはほんの数分の事。
大して気にすることもなく紅はプレゼントの整理を進める。
そんな中、戻ってきた彼は彼女に声をかけた。

「ちょっとええ?」
「あぁ、いいよ」

そういって振り向いた彼女の手をとる成樹。
不思議に思いながらも大人しく彼の行動を見守る紅の手の上に、ちょこんとそれが乗った。
白い箱の上に幅の広いリボンが綺麗に結われたそれ。
これが何を意味するものかわからず、紅は成樹を見上げた。
そんな彼女の視線に彼は苦笑を浮かべ、それを開けるよう促す。

「う、わ…本物…?」

箱を開いた紅がまず漏らした言葉。
純白の箱に収められていたのは黒い革紐にペンダントトップを通したネックレス。
銀細工が複雑に絡み合ったそれに、紅は見覚えがあった。

「まさか、だよな?」
「そのまさかや。フランスから送ってもらってん」

フランスでもそう名前が通っているわけではない、ごくごく庶民的な店。
3年の間に幾度となく通いつめたそこの店主とは雑談を交わすほどに顔見知りとなり、彼女は帰国した。
それからは中々連絡を取る機会などなく、有耶無耶のままに今日までやってきたわけだが…。

「連絡先…教えてなかったよな?」
「雅晃さんに聞いたらすぐに教えてくれたで。紅がえらくご執心やって事も話してくれたし」

そう言うと彼は器用にも片手の指で革紐の結び目を解く。
彼女の正面に回ると前からその身体を抱きこむようにして首の後ろでそれを結んだ。
思わぬ急接近に、珍しくも紅はぴたりと止まったまま動かない。
運動しても解けないようにしっかりと結ぶと、成樹は漸く彼女との距離をとる。

「さすが紅が認めただけあるなぁ。ええ趣味や」

首元を開いたジャージから見える銀細工に、頷きながらそんな声を発する。
紅はどう反応してよいかと思案するように頬を掻き、そして照れたように視線を逸らす。

「…えっと…ありがとう」
「気に入った?」
「………あったりまえだろ?」

漸く彼女らしい笑みを浮かべた紅に、成樹も満足げに笑う。
それがきっかけとなり、彼女はいつも通りに戻った。
珍しく照れた紅も悪くはないが、やはり彼女にはこの笑顔で笑っていてほしいものだと成樹は思う。

「でも、どうしたんだ?」
「今日はバレンタインやん?アメリカやフランス風に、な」

彼があげた両国では、バレンタインには女性からではなく男性からのプレゼントが主流だ。
その内容も菓子とは限らず、どちらかと言えば花束やアクセサリー類が多い。
はじめは成樹も花束をプレゼントしようかと考えていたのだが…。
一週間以上の合宿の間の世話が困難だろうと判断し、断念。
悩んでいたところに偶然街中で出会った彼女の父、雅晃がそれならばと助言をしてくれたらしい。

「この店を選ぶところが成樹らしいな」
「さよか」
「合宿が終われば、久しぶりに連絡してみるよ」

銀の部分を嬉しそうに指で遊ばせる紅。
懐かしげに目を細め、柔らかい表情を浮かべる彼女に自分の選択は間違っていなかったと思う。

「あ、そうだ。お返し…何がいい?」
「………来年」
「来年?」

単語として発せられた彼の言葉に、紅は鸚鵡返しのようにそれを繰り返す。
そうして彼を見上げれば、成樹は悪戯めいた笑みを浮かべて彼女に視線を返した。

「来年、日本の風習の則ってくれればええよ」
「…日本の………あぁ、そう言う事か」

日本の風習、つまりは女性から男性に何かを贈るというそれに倣えということだ。
来年までこの関係が続いているかと言う疑問は微塵も感じないらしい。
もっとも、それに関しては自分も同じことではあるが。

「わかった。じゃあ、来年は…初のバレンタイン…かな」
「今まであげた事ないん?」
「大量に貰うばっかりだったしね」

そんな自分が誰かに上げるというのも変な話で。
結局一度も日本の女性らしくバレンタインを迎えたことなどなかった。
それを聞いた成樹は嬉しそうに笑う。

「ほな、俺が一番っちゅーことやな!」
「…そんなことが嬉しい?」
「嬉しいで!」

今から来年を楽しみにしている様子の彼に、紅はクスクスと笑いを零す。

「お手軽な奴」

口ではそんな事を言いながらも、彼女自身の表情が嬉しそうに笑っている事など気づいても居ないのだろう。
期待を裏切らないようにしないとな、と365日後の今日にその想いを馳せる。


Happy Valentine!!

06.02.14