004.触れそこねた指先

パスの練習を続けること、数十分。
そういえば、と高く上げたボールを受け止め、パスを辞めた。
先ほどまで話していたはずの彼女の気配がない。

(寝てる…?)

もしかすると、昨日の夜は彼女のいう「集中できる日」だったのかもしれない。
そういう日は極端に睡眠時間が短くなる。
膝の上に抱いていた柔らかいクッションを枕に、縁側ですやすやと眠る彼女。
今更ながら足音を消して近付き、彼女の前にしゃがみ込んだ。
自分を映したとき、優しく溶ける瞳は瞼の奥に隠され、穏やかな呼吸に合わせて体が揺れる。

カラン、とグラスの中で溶けた氷が音を立てる。

バレーの試合中のひりつくような緊張感や、打ち下ろしたスパイクの高揚感。
自分の中でバレーに関わる時間は何物にも代えがたく。
けれど、バレーから一歩離れた記憶の中、そのほとんどに彼女がいる。
物心がついたときにはすでに幼馴染だった。
背が低い自分が抱いた憧れをただの一度も笑わず、ずっと一番近くで応援してくれる。
いつだって独りじゃない―――それがどれほどに幸福なことか、知っている。




ざぁ、と風が吹き、彼女の黒髪がふわりと揺れた。
癖のない黒髪が呼吸だけを繰り返す唇にかかる。
それがなんだかとても勿体なく思えて―――そっと、指先を伸ばした。

「お兄ちゃーん!」
「!!!!」

夏の声が聞こえ、思わずあと数ミリで触れたその手を引っ込めた。
別に、何か悪いことをしていたわけではないけれど、ドキドキと心臓がはやる。

「あれ?お姉ちゃん寝てる?」
「お、おう。どうした?」
「お母さんがアイスあるよって。食べる?」
「後でな!夏は先食ってていいぞ」
「はーい。お母さーん。お兄ちゃん後でって言ってた」

元気な声と足音が立ち去っていく。
未だに落ち着かない心臓を服の上から押さえて、深呼吸を一つ。
もう一度彼女に視線を向けると、小さく揺れた瞼がぼんやりと開かれた。
ぱち、ぱちと瞬きをして、ゆるりと動く視線。
視線が絡み、そして溶ける。

「…翔陽」
「…おはよ」

先ほど触れられなかった手を伸ばし、その髪に触れた。
頭をなで、頬へと滑らせる。
甘えるように目を細めて頬へとすり寄る様子に、自然と笑みがこぼれた。

「夏ちゃん来てた?」
「おう。アイスあるって」

そっか、と答えた彼女に手をひこうとしたけれど、離れる少し前に彼女の手によって引き留められた。

「…もうちょっとだけ」
「ん、もうちょっとな」

そうして内緒話を楽しむように、小さく笑い合う。

日向 翔陽/ 狐の嫁入り

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2024.04.28