097.走り出すこの想い
長く伸びた髪を束ね、オレンジ色のリボンをキュッと結ぶ。
今日という大切な一日を、最高の一日にできるようにと気合を入れて。
鏡の中から見つめ返してくるその顔には、少しの緊張と、大きな期待が満ち溢れていた。
そんな自分の背後に映り込んだフライゴンが甘えるように鳴き声を上げる。
「…やっとだよ、フライゴン。あなたは覚えてるのかなぁ…」
フライゴンの頬と自分のそれを合わせながら、あの日のことを思い出す。
するり、と足元に擦り寄ったエーフィに、クスリと笑顔を浮かべた。
「エーフィは覚えてるよね。あのときはまだ、イーブイだったけど」
初めて出会った日のことを、今でも鮮明に覚えている。
『そんなところでどーしたよ?』
『………』
木の枝の上で唇を噛んで沈黙する私の様子を見て、「降りられねぇのか?」と問うたその人。
小さく頷けば、その人はモンスターボールから翼をもつポケモンを呼んだ。
緑色のすらりとしたボディのポケモンがフライゴンというポケモンだと言うことを知らなかった頃。
フライゴンの背に乗って私の傍らまで飛んだその人は、そのときになってようやく、私の腕の中のイーブイに気付いた。
『そいつ…』
『苛められてて、それで…』
怪我を負った小さな体を抱えて群がるニャースから必死に逃げてきた。
口数少なく説明すると、その人は空色の眼をきゅっと細めた。
『そうか―――よく頑張ったな』
イーブイごと私を抱き上げた大きな手が、力強く頭を撫でてくれた。
5年前の、大切な記憶。
「勝者、チャレンジャー!」
審判を務めたジムトレーナーが高らかにそう宣言する。
よし、と拳を握り、労うようにエーフィの頭を撫で、額を合わせた。
「ありがとう、エーフィ!ありがとう、みんな!」
バトルを終えたときのルーティーンを終え、膝を付いた床から立ち上がる。
そうして、このジムチャレンジを見届けていたその人へと視線を向けた。
「いいバトルだったぜ。見事なコンビネーションだ」
「あ、りがとうございます」
ここからが本番だというのに、もう胸が熱い。
そんな私の感情にシンクロするように、エーフィがそわそわと長い尻尾を揺らした。
「さて…じゃあ、スタジアムに移動するか!」
控室のベンチに腰を下ろす。
未だに興奮冷めやらぬ心臓が、ドキドキと逸る。
それでも、頭の片隅にはスタジアムに響き渡ったコールが焼き付いていて離れない。
『勝者、ジムリーダー!』
そう、自分は敗れたのだ。
ぐっと奥歯を噛み締めて、俯いていた顔を上げる。
「…悔しいなぁ」
この場所に来ることが目標だった。
5年前のあの人に、もう一度会いたかった。
目標は達成された―――それなのに、勝てなかったことがこんなにも悔しい。
けれど、慰めるように額を寄せてきたフライゴンの表情を見て、思わず笑ってしまった。
「…そんな顔、しないの。みんなは弱くない―――あの人が、強かったの!」
だから、泣かないで。
フライゴンをギュッと抱きしめる。
きっと、私よりも悔しい想いをしているであろうパートナーたち。
この子たちのためにも、強くならなければ。
敗北を悔やんでいる暇など、ないと思えた。
フライゴンを解放して、パンッと自分の両頬を打つ。
「…よし!ワイルドエリアで反、省…か、い…」
するよ、という言葉は声にならなかった。
振り向いた先に、その人がいたから。
「…キ、バナ…さん…」
長身を生かして大股3歩で近付いてきた彼、キバナさんが私の傍ら、フライゴンの前に立ち止まる。
グローブを外した手がフライゴンの頭を撫でた。
「…あぁ、やっぱよく育ってんな」
「…へ?」
「なぁ、エーフィは?」
様々な角度からフライゴンを見つめていた彼が問う。
へ?と再度間抜けな声を上げる私の代わりに、エーフィが勝手にボールから飛び出してきた。
甘えるように彼の膝に手をついて伸びあがるエーフィが可愛い。
応えるようにその場に屈んだキバナさんは、フライゴンと同じようにエーフィの頭を撫でてくれた。
「…強くなったな」
バトルの最中の激しさなど微塵も感じさせない、優しい声だった。
一頻りエーフィを撫でてくれた彼が静かに立ち上がり、その身体ごと私の方を向く。
ポン、と大きな手が、頭に乗せられた。
「“よく頑張ったな”」
あの日見た空色の眼が、私を映していた。
キバナ