091.君の唄が聞こえる
「―――♪」
キキョウに呼ばれてその場を離れていたイルミ。
彼女のもとへと戻るその途中で、人並み以上の聴力が小さな声を拾った。
その声の主が彼女であることに気付くと、無意識のうちに少しだけ足を速める。
屋敷の壁が切れた先に、彼女はいるだろう。
「………」
壁を抜ける最後の一歩を踏み出そうとしたところで、イルミの足が止まった。
目の前に広がる光景に、表情乏しく驚く。
彼女はこちらに背を向けるようにして、大きな木の根元に座り込んでいた。
機嫌が良いのか、澄んだ声で紡ぎ出される唄は、イルミにはわからない言語だ。
しかし、彼を驚かせたのはそんなことではない。
もちろん、彼女の歌声に魅了されたというわけでもない。
いや、まったく魅了されていないと言えば偽りになるだろうが、少なくとも足を止めるほどの効力はなかった。
「…特質系…」
呟く彼の前を、ふわりと漂う水滴。
今日は昨晩から今朝にかけて降った雨が、木々を濡らしていた。
足元の芝生はすでに乾いていて全く影響していなかったけれど、葉が折り重なる木々の中まで乾くほどの時間は経っていない。
つまり、その場に水滴があること自体は何も不思議ではない。
不思議なのは、その水滴が重力を無視してイルミの眼前を、まるでシャボン玉のように漂っていることだ。
彼女が少しずつ念に慣れてきていることは、修行を見ているイルミが誰よりも理解していた。
そろそろ水見式を行って、自分の系統を知るべきだろうと考えていた矢先の出来事だ。
凝を使うまでもなく、彼女が発する念を肌で感じ取れる。
リラックスしているらしい伸びやかで澄んだその歌声に、彼女の念が乗せられていた。
「悪くないオーラだな」
「父さん」
「どうやら、声に念を乗せることができるらしい」
「うん、そうらしいね。本人は無意識みたいだけど」
「上手く導いてやれよ。あの娘は良い使い手になる」
いつの間にか来ていたのか、などと愚かなことは言わない。
シルバが近付いてきていることには気付いていたので、驚くこともなく会話を続ける。
わかっている、と頷けば、彼は満足げな表情を浮かべて踵を返した。
「あ、イルミさん」
一頻り歌い終えたのか、振り向いた彼女が小さく笑顔を見せた。
今しがた、この場にやってきたと思っているのかもしれない。
ずっと聞かれていたと気付いていたのなら、彼女の性格からすれば、まずは照れるだろうから。
「お帰りなさい。キキョウさんの用事は終わりましたか?」
「うん。…ただいま」
「ところで、そろそろお店に帰りたいんですけど…」
「…」
「店長が忙しいって…私、居候の身なので、できれば困っているときには力になりたいです」
「…」
「…まだ、修行は途中だと思いますから、また来ます―――というのは、ダメですか?」
「…明日、仕事だからついでに送るよ」
「あ、ありがとうございます、イルミさん!」
イルミ=ゾルディック