090.抱き締めて離さない

カラン、コロン

「よぅ、イルミ坊。最近よく来てくれるな」
「…ねぇ、アレ、どうしたの?」

入ってくるなり、店内を一望したイルミがそう問いかけた。
その理由がわかるだけに、苦笑を返す店長。
二人の、否、店内すべての視線の先には。

「何やってるの?」
「あぁ、イルミさん…いらっしゃいませ」

どよんと暗い空気を背負う彼女は、それでも店員らしく接客スマイルを浮かべた。
もちろん、不完全すぎる笑顔が有効であるはずもない。

「怪我するよ」
「いいんです、私が砕いちゃったんで…私が」

囁くような音量で強調された部分に、イルミは首を傾げた。
彼女の指先には、砕けたガラス片。
形と量から察するに、ごくごく普通のグラスなのだろう。

「割れるのなんて普通じゃない?」
「今日新しく出したばっかりのグラスなんですよ、これ。傷んでるわけでもないのに、ちょっと強く持っちゃっただけで…」

聞くと、カウンターから落ちそうになったグラスを、思わず両手で握った拍子に砕け散ってしまったらしい。
人並み外れた力を持つイルミにとっては、強化ガラス以外であればごくごく普通の現象であるために、彼女が何をそんなに落ち込んでいるのか理解できなかった。

「持っただけでグラスが割れるなんて、普通じゃないです!まるでゴリラみたい!!」

こんな馬鹿力、女の子じゃない!!と悲鳴を上げる彼女に同調できる人間は、この店の中には存在しない。
そもそも、彼女が気付いていないだけでこの店はマグカップ一つだって普通の重さではないのだ。
もちろん、割れたグラスも普通のものよりは少々重く、そして強い。

それなのに、メソメソとガラス片を片付ける彼女。
そんな彼女を見て、イルミが動いた。

「!?!?」

店のどこからともなく、口笛が聞こえた。
二人を見守っていた全員の目の前、イルミの腕の中で顔を真っ赤にする彼女。
呼吸を忘れているらしい彼女は、声にならない悲鳴を上げた。

「抜け出して」
「…へ?抜け…?」
「うん、抜け出してみて」

一欠けらも表情を崩さず、冷静すぎるイルミに、思わずきょとんと声を返す。
抜け出せ、と言われて、とりあえず力を込めてみるも、もちろんビクともしない。

「無理です」
「もうちょっと」
「………んーっ!!!」

先ほどのとりあえず、という様子ではなく、渾身の力を込めてみるけれど、やはり結果は同じだ。
今度は別の理由で顔を赤くした彼女は、やがて力尽きた。

「これのどこが馬鹿力なの?どこからどう見てもか弱い女だけど」
「…そう、ですか…?」
「うん。母さんなら俺のことを吹っ飛ばすのは無理でも、抜けるくらいは余裕でできるよ」
「あ、そっか…うん、そうかもね」

やや酸欠の頭で冷静な判断などできるはずもなく、言われたことを素直に受け入れてほっと安堵する彼女。
よくできました、とばかりに頭をなでられ、彼女は少しだけ表情を緩めた。





「か弱い、な、うん…か弱い、か…どう思う?」
「言うなって。イルミ坊は満足そうだ」
「そりゃあ、アイツかの腕から抜け出せるなら、正真正銘の馬鹿力だな」
「着々と鍛えられていくなぁ…ハンター試験程度、余裕だろ」

イルミ=ゾルディック

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15.02.04