052.好きと囁いて
平原を進みながら、森に沈む夕日を見た。
隣ではない、少しだけ遠い位置。
そこから彼の横顔を見つめる。
夕日に照らされた彼。
横顔に帯びた表情に、その身に纏う空気に。
意図せず、感情が溢れた。
「―――好き」
風に攫われてしまうような、小さな小さな声。
微かな声が彼の元に届く事はない。
囁いた声を聞いたのは、彼女自身だけ。
今はまだ―――そう思って心の奥へとしまい込んだ感情は、時折ひょこっと顔を出す。
油断している時に限って、悪戯に飛び出す感情が、いつか彼の目の前で現れて来ないだろうかと、気が気ではなかった。
誰かに制限されているわけではない。
けれど、他でもない―――自分たちで、そう決めたのだ。
命を背負う立場だからこそ、この感情を一番後回しにしようと。
「どうかした?」
視線には気付いていたのだろう。
驚いた様子もなく振り向いた彼が問う。
一度溢れた感情は、すぐには引いてくれないようだから。
ほんの少しだけ、甘えてもいいだろうか。
何でもないわ、と首を振り、少しの勇気と共にそっと手を伸ばす。
彼は何も言わず、何も聞かず、伸ばした手を取り、握り締めてくれた。
「…帰ろうか」
「ええ」
もう少し―――手の平を介した感情が、重なった。
1主 / 水面にたゆたう波紋