034.置いていかないで
朝、目が覚めて一番にする、毎日の恒例。
それは―――そっと、隣の部屋に意識を向け、その気配を感じ取ること。
眠っている間に、また失ってしまうような気がして。
「大丈夫よ」と微笑む彼女の言葉を信じているけれど、やはり確認してしまう。
先週も、一昨日も昨日も…そして、今日も。
「―――っ!!」
いつもと同じように、鳥が鳴き出すよりも早くに目を覚ました。
そうして隣の部屋に意識を向けた私は、勢いよく掛布団を跳ね除けた。
いつも毎日感じていた彼女の気配がない。
女性の部屋だと言う事も忘れて飛び込んだ室内は、もぬけの殻。
皺のないシーツは既に冷え切っていて、主が離れて数分どころではない事がわかる。
いつも彼女が持ち歩いている荷物が消え―――花のような、彼女の香りだけがその部屋の中に残っていた。
「どう…して…」
がくん、と膝が折れる。
いつもと同じ笑顔で、お休みと言ってくれた彼女が、いない。
それは、まるで世界に一人だけになってしまったような絶望感だった。
その時―――
ガチャン、と玄関のドアが開閉する音が聞こえた。
「ただいまー」
音量を小さくした声が聞こえ、弾かれたように彼女の自室を後にする。
廊下を走り、滑り込むようにリビングに駆け込むと、反対側のドアから入ってきたらしい彼女が、きょとんと目を瞬かせた。
「おはよう、クラピカ。今日も早いのね」
彼女はふっと笑顔を浮かべ、腕に抱えていた紙袋をダイニングテーブルの上に置く。
「もう顔は洗った後?コーヒーを入れるから、少し待ってね」
「…あ、ああ…」
変わらない彼女の声に促され、顔を洗いに向かう。
冷たい水が冷静さを取り戻してくれた。
「今朝は…どこに?」
「通りの向かいにあるパン屋さん。この時間だと、焼き立てだからって奥さんに教えてもらったの」
「…パン…」
テーブルの上には、湯気立つコーヒーと、数種類のパン。
それぞれの小袋の口は開かれたままで、そこから食欲をそそる焼き立ての匂いがした。
「たくさん種類があったから、明日は一緒に行く?」
「…そうだな」
言葉数の少ない私。
彼女はきっと、全てわかっているのだろう。
一人の空間を恐れた私を気にして、誘ってくれる。
その優しい心に感謝し、彼女の向かい側へと腰を下ろした。
クラピカ / Ice doll