086.薄れてゆくあなたとの記憶
―――いつも右足が半歩前。お前の癖だよな。
そう言ってくれた彼の表情は、どんな風だった?
忘れたくないと思っていた。
けれどこれは、自分の努力ではどうしようもない問題なのだ。
わかっているはずなのに―――それに気付いた時、溢れた涙が止まらなかった。
「どうした?」
カランと木刀が床に落ちる。
対峙していた修兵が訝しげに私を見て、流れる涙に驚きの表情を見せた。
「ごめ…」
謝罪の言葉が最後まで紡げない。
詰まった言葉の続きを飲み込み、泣き声が零れないようにする。
口元を押さえて俯く私に、彼はポンと優しく頭を撫でてくれた。
「どうした?ゆっくりでいいから、話してみろよ」
そう言って、髪を撫でてくれる優しい手。
手の平の感触に支えられ、励まされ、背中を押され…唇が私の意思を離れて語り出すのは、生前の思い出。
この記憶と共に、死神になる。
そう誓って瀞霊廷の門を潜った、過去。
「…それは仕方ねぇよ。お前はここで死神として過ごすうちに、新しい記憶を蓄積してるんだからな。それに…生前の記憶は、いずれ全部忘れちまう」
それは、当然の事なのだと、彼は言う。
霊圧を持つ人も、持たない人も。
魂が集う場所―――尸魂界。
そこに流れ着いた魂魄が持つ記憶は、長い時間をかけて塗り替えられていく。
いずれ、別の命を授かるための準備。
尸魂界に流れ着いた魂魄に等しく訪れる自然の摂理。
「そう、だよね…私の中の彼の記憶も…」
「………初めは辛いかもしれねぇけどな…辛い事ばかりじゃねぇぜ」
「…修兵は、そう思えた?」
その問いかけに、彼は笑う。
「全部忘れちまったけどな…落ち込んだ事だけは、覚えてる。だが、俺はこれで良かったと思ってるぜ」
「…どうして?」
「お前に会えた」
失くしてしまった記憶の中には、きっと大切なものもあったのだろう。
でも、代わりに得たものがある。
「お前は?」
「…修兵と会えて、良かったと思ってる。これだけはきっと…後悔しない」
「なら、いつか笑って受け止められる日が来る。だから、今は黙って泣いておけよ」
頭を引き寄せられ、彼の胸元へと額を寄せる。
与えられる優しさに甘え、逆らうのをやめて瞼を閉じれば、新たな涙が零れ落ちた。
檜佐木 修兵