064.息を殺すように、この思いも
「…もう。疲れてるなら、家に帰って休めばいいのに…」
約束していたわけではないのに、インターホンが鳴った土曜の午後。
来週からは試験が始まるからと部活も禁止されているから、今日はのんびり復習でもしようと思っていた矢先のことだった。
突然の来訪者はこのマンションを知る数少ない一人。
その長身を軽く下げて玄関のドアを潜った流川は、私がコーヒーを用意している間に睡眠学習に入ってしまったようだ。
「眠そうだったからと思って濃い目に入れたんだけど…」
それでも無駄になったわね、と呟く。
まさか、戻ってくるまでのわずかな間に眠ってしまう程だなんて、誰が想像しただろう。
それほどに疲れているならば、先ほど口に出したように、家でゆっくり休めばいいと思う。
ただでさえ成績は良くないのだから、疲れだけでも何とかしておかなければ勉強に身が入らないだろう。
そう思う、けれど―――
「…嬉しいなんて、言えないよ」
こんなに疲れているのに、それでも顔を見せてくれる彼の行動が嬉しい。
本人を前にして言えるはずもない言葉が、口をついて出てくる。
それはきっと、彼が眠っているからこその本音なのだろう。
ふとした時に絡む視線が、多くの感情を持っているような気がして。
もしかすると、私は―――なんて、淡い希望を抱いてしまう。
その度に、そんなはずはないのだと。
この関係は表に出そうと考えてしまう事すらも許されないものなのだと思い込むようにして。
起こさないようにと、そっと息を殺すようにして、この想いも一緒に身体の奥へと飲み込んでしまう。
「…起きたら一緒に勉強ね」
小さく呟いた声は、窓からの風によって掻き消された。
流川 楓 / 君と歩いた軌跡