048.懐かしい匂い
ザァ、と風が吹いた。
それと同時に、電流でも浴びたかのようにびくりと肩を揺らし、立ち止まる彼女。
きょろきょろと周囲を見回す視線は、ただひたすら何かを探し求めているように見えた。
「どうかした?」
「花の…」
問いかけにも、心ここにあらずと言った様子だ。
中途半端に止まってしまった言葉の中から、彼女の真意を見つけ出すのは容易ではない。
「花の、香りがしたの」
長い時間をかけて、彼女は思い出したようにそう呟いた。
花?と思い、首を傾げて周囲の香りを探してみるけれど、残念ながらそれらしき香りは見つけられない。
そもそも、同じ香りを共有するのはとても難しい。
「どんな感じの?」
「甘い香りよ。私が知っている花だったなら、白くて小さな花びらで…」
「…もしかして」
これくらい、と表現した彼女の手の動きに、何となく見覚えを感じた。
この山の規模だと恐らく…と彼女を追い越して山肌を歩いていく。
記憶が正しければ、この辺りにあるはずだ。
「あ、あったよ」
その特性から、咲く場所が限られた高山植物。
独特の甘い香りは、風に乗ってかなりの距離を移動すると聞く。
声を聞いて近付いてきた彼女は、あ、と小さな声を零した。
「…同じ…?」
彼女の白い手がその花を包む。
彼女はそれを摘み取る事はせず、そっと指先で花びらを撫でた。
そして指に移った香りを鼻先へと近付け、小さく微笑む。
「懐かしい香り…まったく同じではないでしょうけれど…」
「似たような花があるんだ?」
「ええ。私の世界では、飛竜に乗らなければたどり着けないような岸壁に花を咲かせるわ」
「それは大変そうだね。そう考えると、こっちは少し難易度が低いかな」
そう答えてからその花を摘み取る僕に、咎めるような彼女の視線。
その視線に、小さく笑みを返してから、摘んだ花を彼女の耳元へと挿した。
「この世界では、この花は摘んでいいことになってるんだよ。適度に間引いてやらないと、互いを殺し合うんだ」
「そう、なの?」
「そう。だから、旅人は摘み取ってもいい事になってる。その代わり、別の場所に花の種をまく。これが決まり」
国が違えば常識が変わる。
その手に花の種を握らせると、彼女はそれをぎゅっと握りしめた。
「城に植えては駄目?」
「うーん…あそこ、平野だからなぁ…育つといいけど。試してみたらいいよ」
「ありがとう」
吹く風に花びらを揺らし、甘い香りが遠くへと飛んでいく。
1主 / 水面にたゆたう波紋