070.その視線に気付いていながら、知らないふりをしました

疲れて帰ってくる私の顔を見る、物言いたげな翼の視線。
長い付き合いがなくったって気付くような、堂々としたそれを、あえて気付かない振りをした。
何を言われるのかを理解していて、それでも自分がしなければならないと思っていたから。
そんな私の考えを知っていたのか、翼もまた、そんな視線を向ける以上の行動を取ろうとはしなかった。


仕事を覚えると言うのは決して簡単な事じゃない。
学生の頃とは違い、誰かが教えてくれるものを覚える受け身では駄目なのだ。
自ら考え、何を知らないのか、何を知るべきなのか―――少しでも早く、その流れを掴まなければならない。
怒涛のように過ぎていく毎日は、充実していても大変な日々だった。

「ちょっとここに座って」

お風呂上り、程よく疲れの取れた身体は、休息を求め始めていた。
そんな中、翼に呼ばれてリビングのソファーに腰掛ける。
クッションの良いそれが腰や背中を包み込み、何とも言えない心地良さだ。

「翼?」

隣に座るだろうと思ってあけたスペースを通り過ぎ、ソファーの後ろへと回る彼。
そんな彼を追いかけた頭は、ぐいっと前を向かされた。
疑問符を抱くよりも前に、翼の手が私の肩に触れる。

「うわ、ガチガチ」
「ちょ…痛い」
「そう?…これくらい?」
「………うん。何?どうしたの?」

肩が一定のテンポで、人肌により揉み解されていく。
どういう風の吹き回し?と問う私に、背中で笑う翼。

「疲れてるみたいだから。俺としては無理はやめれば、って言いたいけど…今は頑張る時期なんだろうから、言わない」

その代わりに、と続けられるマッサージは、初めてとは思えない手際の良さだ。
私の考えを読んだのか、翼が答える。

「チームの先輩に詳しい人がいるんだよ。すっげー上手い」
「へぇ…やっぱり、選手にもマッサージが大事だからかな?」
「たぶんね。自分でやる方法も色々聞いたよ」
「あ、それ教えてほしいかも。そっかー…凝ってたんだ。カバンが重いんじゃなくて肩が重かったのね」

最近、通勤カバンが重いと感じていた理由はそれか、と納得する。
もちろんそれだけではなく、中身もしっかりと詰まっているのだが。

「疲れてるなら寝ていいよ。一頻終わったら運んでやるから」
「…出血大サービスね」
「まぁね。俺の方はまだそんなに厳しくないし…。でも、忙しくなる時期は絶対あるから」
「…うん。その時は、任せて」

頭が少し不安定だとか。
そう言ったことなんてお構いなしに押し寄せてくる睡魔。
構わない、と言う翼の言葉に誘われるように、意識がふわふわと宙を舞う。

「…翼」
「うん?」
「ありがと」
「…どういたしまして」

優しさに見守られ、包まれて。
微睡みの世界へと、落ちた。

椎名 翼 / 夢追いのガーネット

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11.01.28