058.それはまるで夢のように、微かでおぼろげな記憶
私にとって、睡眠は人間ほど重要なものではない。
ひと月くらい寝ていなくても、普通に過ごすことが出来る。
朝起きて、夜眠ると言う規則正しい生活は、正直なところ少しだけ窮屈だ。
だから夜、寝床を抜け出した私の時間つぶしに付き合ってくれる彼の存在は…とても、ありがたい。
「あ、おはよう!」
廊下でばったりと出くわした彼は、屈託のない笑顔で朝の挨拶をした。
そんな彼に「おはよう」と返してから、歩いていくその背中を見送る。
4分の1しか妖怪の血が流れていない彼。
昼間の彼と、夜の彼の差があまりにも大きくて、慣れるまではまだ少し時間がかかりそうだ。
―――お前、赤い杯が良く似合うな。これと同じ色だ。
そう言って口角を持ち上げた彼は、指先で絳華石を遊ばせた。
私の分身と言うわけではないけれど、そうして指先で弄られると何だかくすぐったい気持ちになった。
自信に満ちて堂々としていて。
迷いのない目は、百鬼を率いたと言われても納得できる。
自分もまた、間違いなくその血を受け継ぐ彼に惹かれた一人だから。
「昼のリクオに必要なのは…威厳、かな」
一朝一夕で身に着けられるものではないし、本質的な所ではそれを備えているのだと思う。
要は、表に出てきていないだけ。
二人が一人になるには、もう少し時間が必要なのだろう。
―――まぁ、危なくなったら守ってやってくれよ。アイツも俺だからな。
慣れない、と言った私に、彼はそう言った。
苦笑を浮かべていたけれど、恐らく私の言葉には納得できていたのだろう。
スッと頬を撫でた体温を思い出し、静かに瞼を伏せる。
目を向けた庭先の桜には、彼の姿はない。
彼は今、私が残してきた水鏡の世界にいるのだろうか。
胸元の絳華石に触れると、自身の結界の存在を感じることが出来た。
その中に、朧気ながらも感じられる存在。
「…また、今夜ね」
聞こえていないと理解しながら、小さく微笑んだ。
奴良 リクオ / 桜花爛漫