049.逃げて逃げて逃げて、其処には何が残っているというの

数少ない楽しかった記憶すら、塗り替えられてしまう。
恐いと思いたいわけじゃなかった。
ただ、理解してくれない事が―――切ない、苦しい。

「―――おい!」
「!」

声が聞こえて、ビクリと肩を揺らす。
モノトーンだった世界に色が戻ってきた。
声の主を見上げると、彼、御子柴くんが呆れたように見下ろしてくる。

「授業どころかHRも終わってんぞ」
「あ…」

最後の授業のまま、時間を止めている私の机。
開かれたままだった教科書を閉じ、板書が中途半端なノートに苦笑した。
教室にはもう、誰も残っていない。
こんな風になるまで、よく誰にも気付かれなかったものだと思う。

「いや、気付かれなかったって言うか…何も言えなかっただけだろ」
「え?」
「…お前、かなり深刻な顔してたからな」

心の中を読んだかのような発言に、ドキッとする。
出来れば、この心の内は誰にも知られたくないと思っていたのに…もしかして、彼は全て知っているのだろうか。
不安が胸に広がった。

「…こんな風に逃げた続けて、何が残るのかな…と思って」

優しかった記憶すらも塗り替えて、そうしてまで、繋がりを残さなければいけないのだろうか。
恋と言うのは、そんなものなのだろうか。
彼との心の温度差が、ただ苦しい。

「嫌いになりたくないのに、楽しかった時間もあるのに。全部、忘れてしまいそう」
「―――」
「…ごめんね。また、こんな話聞かせちゃった」

どうしてだろうと思う。
御子柴くんを前にすると、友達には隠していた言葉が零れ落ちてしまう。

「…そう思うのは、当然だろ。それは…お前が、アイツと向き合ってたって言う証拠だ。
―――気付くべきなのは、アイツの方だ」
「気付くべき…?」
「戻りたいと思えば思う程、お前を追い詰めて…過去すらも、失ってる。俺は、それに気付かないアイツが…憐れに思える」

“気付かない”と語る御子柴くんの目が何を見ていたのか。
その時の私に、知る由もなかった。

「ほら、帰るぞ」
「あ…うん。いつもありがとう」

手早くカバンに詰めて準備を整えた私に、彼は小さく笑った。
そして、ぽん、と頭を撫でられる。
本人は無意識の行動だったのかもしれない。
けれど、髪に触れた手のぬくもり、向けられた眼差しの優しさ―――ドクンと、小さく鼓動が跳ねた。

御子柴 恭介 / 君恋

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10.12.28