039.どうか名前を呼んで、それだけでわたしは安息を得る

迷いがないと言えば嘘になる。
このまま進んでいいのだろうかと、何度自分に問いかけたことか。
そうして足を止めようとすると決まって、彼が振り向く。
前を歩いているはずなのに、ただの一度さえも見落とすことなく。

「   」

迷う必要などないよ、と。
彼は穏やかで、それでいて強い表情で手を差し伸べる。
その手を取ることに対する迷いはなかった。
寧ろ、名を呼ばれ、手を差し伸べられ―――私は、初めてここに存在することを許されたような感覚を持つ。

薄氷の上の安寧だと知りながらも、その手に縋る以外に未来を見出す方法がわからなかった。

一番の願いはきっと、一番届けたい人には届いていない。
それがただ、もどかしい。
言葉で伝えれば何かが変わるだろうか―――そう思いながらも、心を言葉にする勇気すらない。
彼の望むように存在する事こそが、彼の傍にいられる最も確実な方法だから。
たった独りの、偽りの日々には戻れない、戻りたくない。
彼が私を望む理由が、私が彼を求める理由と同じでなくとも、構わなかった。
望まれる間は傍にいられる―――なんて、歪に依存した関係なのだろうか。

「   」

ぬるま湯のような甘く優しい声に誘われて、このままではいけないと訴える良心に蓋をする。
世界に背を向け、そして今日もまた、彼の手を取る。

藍染 惣右介 / 逃げ水

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10.12.13